縁起の悪さでかつては忌避されるも、今ではジャッキー・ロビンソンの魂を継承するべく着用する選手も――日本の「背番号42事情」<SLUGGER>

現地4月15日は、MLBのジャッキー・ロビンソン・デーだ。1947年にドジャースでメジャーデビューし、黒人選手のパイオニアとなったジャッキー・ロビンソンの功績を称え、MLB全選手がロビンソンの背番号である「42」を着けてプレーするのだ。

背番号42は現在、MLBでは全球団で永久欠番に指定されており、普段は着けることができない。このため、NPBでも外国人選手には人気の番号となっている。現役ではCC・メルセデス(ロッテ)やアンドレス・マチャド(オリックス)、アンドレ・ジャクソン(DeNA)やトーマス・ハッチ(広島)らが背負っている他、かつては大砲アレックス・カブレラ(元西武ほか)や、2016年の沢村賞投手クリス・ジョンソン(元広島)ら名選手も着用した。

その一方で、語呂合わせで「死に」につながることから、日本人には忌避されやすい番号でもある。DeNAの前身大洋ホエールズでは、56から89年にかけて、実に34年間も着用者がいなかったほど。楽天も今季、山田遥楓が背負うまでは、創設以来ずっと外国人選手が着け続けてきた歴史がある。
そんな縁起が悪いとされる番号を、史上最も長く着けていたのが下柳剛だ。阪神時代の2003年から11年まで、実に9年にわたってこの番号を背に投げ続けていた。下柳はもともと、91年にプロ入りした当時からずっと背番号24を着けていた。この番号にはかなり愛着もあったそうだが、阪神では生え抜きスターの桧山進次郎が24を着けていたため、数字をひっくり返して42番を着けることを選んだという。阪神では長くローテの一角として投げ続け、5度の2ケタ勝利をクリア。05年には最多勝も獲得するなど、縁起の悪さも何のそのだった。

また、近年ではロビンソンに敬意を表して42を着ける日本人選手も増えている。メジャーでのプレー経験もある木田優夫は、「MLBでは絶対付けられない番号だから」という理由で、現役晩年の07年から12年まで、ヤクルトの日本ハムと2球団にまたがってこの番号を着けた。また、坂口智隆も16年にヤクルトと契約したのを機に背番号を42に変更。その理由を「ロビンソンのように、引退しても他の選手がその番号を受け継ぎたいと思うように活躍したいから」と述べている(実際に元DeNAの石川雄洋が、坂口に敬意を表して20年に42番を背負っていた)。

現役でもブライト健太(中日)が、ロビンソンへの敬意から42番を着けていることを公言している。小学生の頃にロビンソンの人生を描いた映画『42 ~世界を変えた男~』を見て以来、ずっとプロの舞台でこの番号を背負うのが夢だったという。ブライトのロビンソンに対する強い思い入れは、今年のジャッキー・ロビンソン・デーに先立ってMLB公式サイトにも特集されたほどだ。その中でブライトは「将来的には子どもたちに、何か影響を与えることができるような選手になりたい」と語っている。ブライトが今後活躍すれば、アメリカだけでなく日本においてもロビンソンの魂を受け継ぐ選手は、ますます増えていくだろう。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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