『異人たち』アンドリュー・ヘイ監督 観終わってもずっと作品が心に留まっていてほしい【Director’s Interview Vol.399】

2023年に亡くなった山田太一の小説「異人たちとの夏」は、1988年に大林宣彦監督によって同名の映画にもなったが、そこから35年を経て再映画化。しかも舞台をロンドンに移すという大胆なチャレンジがなされた。脚本と監督を務めたのは、『さざなみ』(15)、『荒野にて』(17)などで知られるアンドリュー・ヘイ。タワーマンションで一人暮らしの主人公が、同じマンションの住人から突然の訪問を受け、その後、亡くなった両親が目の前に現れる……という原作の基本的な流れは踏襲しつつも、イギリスの文化をバックに描くので、作品のムードは大林監督作とはまったく違う。何より、主人公のセクシュアリティをゲイに改変したことで、両親との関係などで新たにエモーショナルなテーマも浮き上がる作品となった。

日本の小説を大切に扱いながら、監督自身のアイデンティティーも投影された『異人たち』。どのように向き合い、何を作品に託したのかをアンドリュー.・ヘイ監督に聞いた。

『異人たち』あらすじ

ロンドンのタワーマンションで暮らすアダムは、12歳の時に交通事故で両親を亡くした40代の脚本家。それ以来、孤独な人生を歩んできた彼は、在りし日の両親の思い出に基づく脚本に取り組んでいる。そして幼少期を過ごした郊外の家を訪ねると、そこには30年前に他界した父と母が当時のままの姿で住んでいた。その後、アダムは足繁く実家に通って心満たされるひとときに浸る一方、同じマンションの住人である謎めいた青年ハリーと恋に落ちていく。しかし、その夢のような愛おしい日々は永遠には続かなかった……。

なかなか頭から離れなかった山田太一の原作


Q:原作「異人たちとの夏」と出会った経緯から教えてください。

ヘイ:今から5年くらい前でしょうか。プロデューサーから送られてきたので読みました。その時点では、特に映画化どうこうという気持ちにはならなかったものの、ストーリーがなかなか頭から離れなかったのです。この世にいない両親との再会。彼らが「見える」というアイデアと、家族愛や過去の痛みの探究の関係。そして日本の伝統的なゴーストストーリーであること……。これらを私がイギリスの文化に当てはめたらどうなるか。そうした思いが増幅し、再び原作をめくりながら脚本作りに心を注ぎ込んでいったのです。

Q:「異人たちとの夏」は、日本では同じタイトルで大林宣彦監督が映画化しました。その作品を観ましたか?

ヘイ:観たいと思っていましたが、なかなか手に入らなかったので、どこかの動画サイトで見つけ、あまり映像のクオリティが良くなかったのですが観ることができました。素直に楽しめましたね。山田太一さんのひとつの原作から、私と大林監督でまったく異なるタイプの映画が誕生したことが喜ばしくも、興味深かったです。この原作が、たとえばフランスやチリなど別の文化の国で映像化されたらどうなるのか。そんなことに思いを馳せました。

『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

Q:主人公をゲイに設定した最大の理由は何ですか?

ヘイ:これは私にとって必然の変更でした。私は長年、両親とクィアの子供たちの関係を探究したいと考えていました。そして家族愛と、誰かを好きになるロマンチックな愛がどのように関わり合うのかにも興味がありました。それらを表現できるのが、今回の作品だと確信したわけです。

Q:脚本化において大切にしたのはどんな部分だったのでしょう。

ヘイ:まず留意したのは従来のゴーストストーリーに傾かないことでした。その上で集中したのは、主人公アダムが何を望んでいるのかを、すべてのシーンで考察すること。現在の生活と両親との時間を行き来しながら、感情面では真実であることを貫いたのです。アダムが体験するのは夢と現実の間(あわい)のような感覚です。眠りに落ちる瞬間、あるいは目が覚めたばかりのぼんやりとした時間に、映画を観る人を連れて行こうとしました。

Q:ではテーマとして伝えたかったことは何ですか?

ヘイ:私たちの人生では多くのことを経験しながら、同時にいろいろなものを失っていきます。友人や恋人と疎遠になることもありますし、最も大きな喪失は、誰かを亡くすことでしょう。しかし失った相手に対する愛は、その後も消えません。ただ語られることが少なくなるわけで、私はそうした部分を本作で表現したいと思いました。この映画を作ったことで、私自身、ずっと連絡を取っていなかった人と再び繋がりを持ちました。話しておけば良かったことを誰かに打ち明けたりもしました。非現実的な世界も扱った本作ですが、現実の生活に影響も与えられると感じたのです。

抑制して演出したシーンに涙が止まらなくなる


Q:本作には、あなた自身や両親も投影されているのではないですか?

ヘイ:パンデミックの間に自宅に閉じこもって脚本を書いたので、自分の人生を振り返ったのは事実です。ただし私の両親は存命中ですし、私との関係をそのまま描いたわけではありません。彼らの私への言動も映画とは異なります。それでも実際に両親と交わした会話は脚本の端々に入り込んでいるでしょう。私が思春期に抱えていた複雑な心情も反映されています。その意味で本作は「パーソナル」ですが、「自伝的」とは意味合いが違います。パーソナルとは、個人的感情を映画に注入すること。本作を観て、「これは監督の両親か。親との関係はこうだったのか」とは思わないでください(笑)。

Q:劇中に出てくるアダムのかつての家は、実際にあなたが暮らしていた家で撮影されたそうですね。

ヘイ:あの家は確かに私が住んでいた場所です。映画の中のアダムと同じように、私はロンドンから電車に乗ってかつての家に向かい、現在住んでいる人たちに撮影の許可をもらいました。劇中でアダムが手にする写真は、70年代の私と母が映っているものですし、アダムが父を目にする公園は私が子供時代によく遊んだ場所だったりします。

『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

Q:そこまで自分との関連が深い状況では、撮影しながらあなた自身が感極まったシーンもあったのではないですか?

ヘイ:アダムと母親のキッチンでの会話シーンは、実際の撮影では感情表現が過剰にならないように演出しました。だから私も冷静だったのですが、撮影した映像を観た時にアンドリュー(アダム役のアンドリュー・スコット)の演技に涙が抑えられませんでした。たぶん2,000回くらい観ていますが、そのたびに心が震えます。今も思い出しただけで泣いてしまいそうで……。あの瞬間、アダムは母親の前で子供に戻っているわけですが、アンドリューは瞬間的に若返ったかのようで、それはまさに彼の才能です。そしてベッドでのアダムと母親のシーンは、カメラを5分くらい回し続けましたが、やはり鳥肌が立ったのを覚えています。

Q:亡き両親と再会する場所へ向かう上で、原作や大林監督の映画版では主人公が地下鉄に乗ります。今回はロンドンからの電車が使われました。

ヘイ:自分がロンドンに住み、両親が郊外に暮らすという状況は、よくあるパターンです。アダムにとって「記憶をたどる」ために、電車に乗っている時間が必要でした。電車の揺れる心地よいリズムが、自分の知らない世界へ連れて行ってくれる感覚です。電車に座りながら、ある方向に導かれ、また元の場所へ戻ってくる。注目してほしいのは、アダムが最後に電車に乗るシーンです。そこで彼は、ハリー(同じマンションの住人)に会いたいという強い意志を示します。電車で座る方向で、私はそれを表現しました。そうした些細な演出の意図は、観客に気づかれないかもしれません。でも私はそんな風に登場人物の潜在意識をどう表現すべきか考えるプロセスが大好きなんです。観客とのコール・アンド・レスポンス(呼びかけと応答)のきっかけにもなりますから。

歌詞の真の意味に気づいて選曲


Q:そしてこの『異人たち』は使用される楽曲もストーリーに深くリンクします。アダムが両親と過ごした1980年代の曲が多くセレクトされていますね。

ヘイ:使用する曲は脚本の段階から決めていました。私にとって音楽は、特定の時代にタイムトラベルさせるツールなのです。曲を聴けば、それを聴いた時代へと心が戻ります。私は80年代にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのアルバムを買い、その中の「パワー・オブ・ラヴ」を何度も聴き続けました。ただ当時は歌詞の真の意味を理解していなかったのです。後にこの曲は、エイズ危機の真っ只中にクィアのバンドによって書かれた、壮大でオペラ的なクィア・ラヴソングだったと気づきました。それを私が愛し続けてきたことには意味があり、幸福感に溢れた歌詞に潜む悲壮感や危機感というコントラストが本作にふさわしいと思ったのです。

Q:前作の『荒野にて』も、その前の『さざなみ』も、ラストシーンで映し出される主人公の表情が、映画を観ているわれわれの想像力を激しく刺激してきました。『異人たち』は人物の表情ではないですが、こちらの想像力を試すような結末を迎えます。これはあなたの映画の特徴なのですか?

ヘイ:そのとおりですね。観終わってもしばらく、その映画が心の中に存在し続ける……。それが私の理想です。スクリーン上で展開された世界と、観た人の夢が渾然一体となり、その残滓が留まり続けてほしい。わかりやすい終わり方にしないことでフラストレーションが溜まる人もいるかもしれませんが、それはそれでいいと思うのです。

『異人たち』(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

Q:『荒野にて』で話を聞いた時、敬愛する監督としてイングマール・ベルイマンやミケランジェロ・アントニオーニの名前を挙げてくれましたが、現在は影響を受けている監督はいますか?

ヘイ:映画を一作ずつ手がけるごとに、自分の道を切り開いている感覚があるので、『異人たち』では他の映画、他の映画作家からの影響を考えず、自分が何を表現したいのかに徹しました。より自分のフィーリングに集中したのです。もちろんこれまで敬愛してきた監督たちは今でも大好きです。ただ自分の映画作りにおいて自分の声は何なのかを見つけるようになったのも事実で、映画を作るたびに、先人から受けた恩恵が少しずつ薄らいでいる気がします。

Q:では最後に、日本の小説を映画化したことで、改めて日本人と英国人の感性の共通点に気づいたかどうか聞かせてください。

ヘイ:私は日本へ行ったことがありませんし、日本の文化を理解していると言える立場でもないので、日本と英国の共通点を説明するのは難しいです。ただ山田さんの小説を読んで、家族との関係や、主人公が抱える孤独感には深く共鳴できました。東京やロンドンという大都会で感じる疎外感、孤独感は似ているのでしょう。そのうえで日本と英国の国民性の近さを挙げるなら、愛や喪失、家族などの問題を語る際に、どちらの国の人も感情表現が苦手という点ですかね。家族への思いを伝えるのに、私たち英国人もどこか難しさを感じます。じつは私の弟のガールフレンドが日本人なのですが、この点に彼女は同意してくれるので、「やはりそうなのか」と納得しました。

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監督/脚本:アンドリュー・ヘイ

受賞歴のあるイギリスの監督、脚本家。手がけた作品に、『荒野にて』(17)、『さざなみ』(15)、そして『WEEKEND ウィークエンド』(11)などがある。また、ジョナサン・グロフとマーレイ・バートレットが出演したHBO作品「Looking/ルッキング」(14~16)では、製作総指揮と脚本・監督を務めた。最近のテレビプロジェクトに、BBC&AMCの5部編成作品「北氷洋」(21)がある。

取材・文:斉藤博昭

1997年にフリーとなり、映画誌、劇場パンフレット、映画サイトなどさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。クリティックス・チョイス・アワードに投票する同協会(CCA)会員。

『異人たち』

4月19日(金)公開

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

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