明治後期の? 巨大ねぷた2台写った写真見つかる 五所川原立佞武多(青森県)のルーツ

2台の巨大ねぷたが確認できる写真。明治時代後期の撮影とみられている(野呂謙太郎さん提供)
五所川原の古写真のセットを持つ野呂さん(右)と半澤さん。最上段左隅のものが複数の巨大ねぷたが写っている写真

 青森県五所川原市の夏祭り「五所川原立佞武多(たちねぷた)」のルーツである明治時代の巨大ねぷたが複数並んでいる古写真が確認された。つがる市在住で同市文化財審議会委員の野呂謙太郎さん(76)が保管していた。五所川原市の郷土史家で立佞武多の研究をしている半澤紀さん(73)は「恐らく明治時代後期の写真で、2台が明確に写っているのを見たのは初めて。大変貴重」と話している。

 野呂さんが保管していた写真は、五所川原の名所や主要な建物を紹介する写真セットの中の一枚。裏面に「(五所川原町)七夕祭の侫武多」「松山禎祥堂発行」などの書き込みがあるが、撮られた年代ははっきりしない。半澤さんは絵はがきを制作する前の試作写真だとみている。

 同じ写真は、閉館した五所川原市歴史民俗資料館にもかつてパネルとしてあったが、不鮮明で背景に何が写っているのか分からなかったという。これに対し野呂さん保管の写真は、中央の1台の後方にもう1台の巨大ねぷたがくっきりと写っている。

 半澤さんは、手前の1台の題名は分からないものの、後ろの1台は別の写真も残る「仁徳天皇」だと推定する。また、右側に写る大きな建物は五所川原の富豪・佐々木嘉太郎が明治期に建てた「布嘉(ぬのか)邸」だと指摘する。

 「写真自体は目新しいものではないが、今回『仁徳天皇』が写っているのが初めて分かった。当時、複数の巨大ねぷたが出ていたことを証明するもので、大変貴重」と半澤さんは語る。

 野呂さんによると、一連の写真セットは20年ほど前、五所川原市内の旧家の家財整理を依頼された際に出てきたものだという。野呂さんは「半澤さんが立佞武多の前史を調べていると新聞で知り、『何か残っているはず』と思って探したら出てきた。お役に立てて良かった」と話す。

 半澤さんは現在、立佞武多のルーツをたどる「前史」の執筆を進めており、今夏出版する予定。今回確認された野呂さんの写真を表紙に使うことにしている。

© 株式会社東奥日報社