5分で分かるミシェル・フーコー|なぜ人間は監視し合うのか?|元教員が解説

アリステレスは、人間は「社会的動物である」と表現しました。お互いに協力し合い、目的を達成して喜ぶのが人間ですが、逆にお互いの足を引っ張り合い、他人の不幸を喜ぶのも人間です。

現代社会は「監視社会」といわれます。この監視の意味は、街中に設置されているカメラではありません。“人間同士”の監視です。SNSなどを通じて、倫理から少しでも逸脱した人間はすぐさま炙り出され、社会的制裁が加えられることを人々は望みます。

なぜ我々は監視し合うのでしょうか?

このテーマを考えるために、今回はミシェル・フーコーを紹介したいと思います。フーコーの魅力は、テキストの「書かれた部分」ではなく「書かれていない部分」に注目するところにあります。

フーコーは「近代国家に住む我々は、なぜ倫理的な問題に対してこれほど敏感なのか?」という問題提起をして、人間の意外な“部分”に着目するのです。このテキストの裏側を読むという着眼点は、まさにフーコー独自の思考形式になります。

この爽快感すら感じるフーコーの思想を、なるべく分かりやすく解説します。

国民国家による新しい支配

フーコーの理論を理解するために、まずは近代国家である「国民国家」の特徴を説明します。フーコーの主張は、ヨーロッパの歴史に基づいて展開されているからです。歴史を押さえておくと、フーコーへの理解がより深まります。

国民国家は戦争のために作られた

フランス革命によって「絶対王政」が打倒され「国民国家」という新しい国家システムが形成されました。フランス革命の時、フランスはイギリスなどの周辺国から侵略を受けることになります。この侵略に対抗するために出来上がったのが国民国家なのです。つまり戦争に勝利するシステム、戦争のために完成したのが国民国家になります。

国民国家とは「国家の所有権」が国民に移ることを意味します。絶対王政では、国王が国家の所有者でした。そのため国王は自腹で軍隊を用意し、自分の領土を守りました。しかし国民国家の場合、国民1人ひとりが自分たちの国を守らなくてはいけません。

また同時に、国民国家を運営する権力者(政治家)にとって国民とは「お客さま」のような存在になります。国民に嫌われてしまい他の国に出ていかれたら、国は納税者を失ってしまうからです。「この国に生まれてよかった」「この国に住みたい」と、国民には思ってもらう必要があります。高額納税者の場合はなおさらです。

国民のご機嫌を損ねず、少しでも多く納税してもらう。国民国家の権力者は難しい舵取りをしなければなりません。そのため権力者は「国民を支配する」ために、様々な方法を編み出すのです。具体的に見ていきましょう。

暴力による支配はもはや通用しない

もう一度、国民国家の特徴と課題を確認しましょう。

・国民国家は戦争のために作られた国家システム。

・戦争に勝利するため、自国の経済力を大きくする必要がある。

・経済を成長させるため、自国の国民にはたくさんの納税をしてもらわなくてはならない。

・権力者は国民(納税者)が自国から逃亡しないように、ご機嫌を取らなくてはいけない。

このような背景から、国民国家の権力者は新しい支配方法を考えます。「自分は支配されていない。自由だ」と国民に感じさせつつ、権力に従順な個人を作り出す方法です。

権力=暴力

絶対王政までの権力は、支配する国民に圧倒的な“暴力”を見せ付けることで、国民からの反抗を防いできました。具体的には、反抗したリーダーの公開処刑などです。あえて聴衆の前で行うことで「反抗したらお前らもこうなるぞ」というメッセージを送り、恐怖心から反抗のモチベーションを失わせることを目的にしています。

しかしこの「恐怖による支配」は、フランス革命によって有効な支配方法ではなくなってしまいました。ある道具によって、民衆が権力に対抗できる暴力を手にしたからです。その道具は「銃」になります。

この時代、銃が民衆の間にも広く流通するようになります。銃は戦闘訓練がない素人でも扱えますし、子どもや女性も使うことができます。民衆が銃という“暴力”を手に入れたことが、絶対王政の崩壊につながり、そしてフランス革命やアメリカ独立戦争を引き起こすことになるのです。

権力は「身体」を拘束する

もはや暴力では民衆を支配できなくなった近代国家は、暴力を用いない支配方法を考える必要がありました。

まず権力が標的にしたのが「身体」です。

国民国家は身体を支配することで、同時に精神も支配します。その結果として、権力に従順で、管理しやすい国民を作り出そうとしたのです。そして、国民を支配する役割を担った場所の1つが「学校」になります。

「標準化」へと加工する学校

学校を理解するキーワードは「標準化」です。身体を支配しようとする学校では「生徒1人ひとりを“標準化”する教育が施される」とフーコーは言います。

国家を強くするためには「他国よりも経済力をいかに大きくするか」が課題になります。

そのためには、社会の合理性(効率性)を上げて、経済成長に繋げることが重要です。経済成長のためには、国民の多くは勤勉に労働し、多額の納税をしなければなりません。この「勤勉な納税者」を量産する役割を担うのが教育(学校)になるのです。

つまり「標準化」とは、労働によってお金をたくさん稼ぎ、納税をしてくれる人間を意味します。学校とは「標準化された人間」を大量生産する場所になります。

学校では、生徒1人ひとりに成績が言い渡され、標準化への「ランク付け」がされます。そして標準に合わない人間(落第者)は、社会的に価値がない存在と見なされ、学校から組織的に排除されるシステムになっているのです。

誰もが経験したことがある座り方

では、どのように「支配」と「標準化」が施されるのでしょうか。具体例を1つあげてみます。

学校教育で行われる指導の中に「体育座り」があります。日本の教育を受けた人ならば、誰もが経験した座り方だと思います。

この座り方は、日本の学校が子ども達にもたらした、最も残忍な暴力になります。両手を組ませるのは手遊びをさせないためで、首も左右にうまく動かないため、注意散漫になることを防ぎます。胸部を強く圧迫し、深い呼吸ができないので、大きな声も出せません。

子どもを効率的に管理できる身体の姿勢を考えた結果、教員たちは「体育座り」という方法にたどり着きました。

しかしもっと残酷なのは「子どもはすぐに慣れてしまう」という事実です。体育座りという“不自然”さを「普通の状態である」と、子どもは受け入れてしまい、最後は「楽な姿勢だ」と思い込むようになります。また身体の拘束は「無意識な状態」で行われるため、個人は権力に支配されていることに気付かないのです。

教員という“権力”によって、無意識に身体を拘束されることで、権力に管理されやすい「標準化」された人間に、子ども達は“加工”させられてしまいます。

「パノプティコン」という監視社会

さらに学校では、教員が生徒を常に“監視”しています。監視された環境に長く置かれると、誰も見ていない状態でも、人間は監視されたような行動を常に取るようになります。毎朝決まった時間に起床し、仕事(学校)に行く…。誰かに指示を受けるのではなく、自律した行動を取るようになるのです。こうした現代人のことを「規律訓練型」と、フーコーは呼びます。

『監獄の誕生』という書籍において、フーコーは「パノプティコン」という刑務所のモデルを使って、近代国家の構造を具体的に説明しています。

この刑務所の写真を見てもらえると分かりやすいと思います。

「パノプティコン」とは、建物の中央に監視室を置いた「一望監視システム」のことです。哲学者のベンサムが考案しました。

「常に監視されている」という精神的状況を受刑者に作り出すことが目的になります。中央の監視室に監視役がいなくても、受刑者は常に見られていると“錯覚”するため、不審な行動を起こすことができません。

「自分は常に見られている」と思い込んだ受刑者は、監視者が喜ぶような態度や振る舞いを演じるようになります。そして次第に、ルールを順守することを自らに課そうとするのです。これを「規律の内面化」と、フーコーは呼びます。この「規律の内面化」によって、受刑者が自発的に更正訓練に向かわせることが、最終的な目的になります。

「パノプティコン」はあらゆる場所で機能している

ここからフーコーはこう主張します。

刑務所だけではなく、社会のあらゆるところでパノプティコンのような、個人に「規律の内面化」をもたらす監視機能が働いている。

先程も説明しましたが、監視機能としての役割は学校教育もそうですし、またSNSもあてはまります。

ネット空間を通じて、常に人々は他者を監視し合っている状態です。少しでも違和感がある内容がツイートされると、瞬く間に拡散。発信者は社会的に抹殺され、芸能人であってもスキャンダルが発覚すれば、すぐに地位と仕事を失ってしまいます。

人々は正義感を持って告発しているつもりですが、言い方を変えると、一方的な倫理の押し付けにもなってしまいます。そして結果としては「個人の標準化」が、さらに推し進められる事態に…。「正義」とは多様性や自由を排除する諸刃の刃でもあるのです。

まさにSNSは、現代版パノプティコンであると言えます。

まとめ

ここまでの内容をまとめてみましょう。

・近代国家である国民国家は、戦争をするために出来上がったシステム。

・暴力を前面に押し出す支配は、もはや近代国家では通用しない。

・国家が戦争に勝つためには、自国の経済力を大きくする必要がある。

・自国の経済力を大きくするために、国家は国民1人ひとりに勤勉な労働、そして高額な納税を求める。

・勤勉な労働、高額な納税をする「標準化された個人」が大量に必要になる。その生産場所として、国家は学校を利用する。

・身体の拘束と監視が学校では実施され、権力に従順な個人が大量生産される。

・SNSなどを通じて、国民同士による監視は社会のあらゆる場所で行われ、個人の「標準化」がさらに推し進められる。

人類にプログラムされている「監視」

旧石器時代から人類はグループ(集団)を結成してきました。他者と協力することで獲物を獲得し、生活を維持するためです。人間は徹底的に集団的な動物になります。グループからの排除は、すなわち“死”を意味します。そのため人間は、自分の評価に対してとても敏感です。

また同時に人間は、お互いを監視し合います。そして自分を批判する他者がいた場合、グループから排除するために噂話を流します。噂話であれば発信者の特定が難しいからです。過去の人類も、現代のSNSと同じような行動を取っていたのです。人類の習性は時代を超えても変わることはありません。

最近のケースとして、SNSを通して自尊心が傷付けられ、自ら死を選んだり、他者に暴力を加えてしまう事件が年々増えています。SNSの利便性の裏に隠れたデメリットを、哲学的に深く分析する必要があるのではないでしょうか?

存在の裏にある目的

社会に存在するあらゆる物事(組織やサービスなど)には必ず目的があります。企業には利益を上げるという至上命題があり、目的を果たせない組織は淘汰されていきます。

フーコーの理論を見ていくと、物事の見えない部分に着目する重要性を学ぶことができます。

「なぜオリンピックの東京開催が決まると、日本の大人達があれほど喜んだか?」

「なぜサッカーの代表戦で、私たちは日本を応援するのか?」

その目的を深く探っていく時、フーコーの思想はとても有効な思考方法になるのです。

<参考文献>

M・フーコー(2020)『監獄の誕生:監視と処罰』(田村俶訳)新潮社

佐伯 啓思(2014)『西欧近代を問い直す–人間は進歩してきたのか』PHP研究所

書籍紹介

中山元(1996)『フーコー入門』筑摩書房

哲学書の翻訳を多数手掛ける、中山先生の書籍になります。翻訳も分かりやすいですが、この解説書も非常に丁寧に書かれており、フーコーの思想を深く理解できます。この書籍で助走を付けてから、フーコーの書籍に挑戦することをオススメします。

仲正昌樹(2020)『フーコー<性の歴史>入門講義』作品社

分かりやすい解説でお馴染みである仲正先生の解説になります。フーコーは「人間の性」についても、深い考察をおこなっています。あらゆる「性」が商品として、消費される現代社会を考える上で、フーコーの理論は必読です。LGBTQなど今後の「性」を考える上でも、フーコーの重要性を再認識できます。

千葉雅也(2022)『現代思想入門』講談社

新進気鋭の哲学者である千葉雅也による入門書です。千葉先生のご専門は、フランスの現代思想になります。フーコーやデリダ、ドゥルーズなど、現代思想の巨人たちが網羅的に解説されているため、全体像をつかみながら理解することができます。現代思想をまとめて理解したい読者にはお得な一冊になります。

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