北参道のタワマンに住む34歳主婦。結婚5年、突然の離婚危機で直面した金銭問題とは

◆これまでのあらすじ◆

会社を経営する優しい夫、可愛い娘と幸せな結婚生活を送っていた楓。

しかしある日、「仕事が忙しいから会社の近くに部屋を借りた」との報告を受けてから、夫に変化が…。

次第に家に寄り付かなくなった夫から、突然届いた一通の封書。開封してみるとそこには、署名済みの離婚届が入っていた。

▶前回:結婚5年。ある日突然、愛する夫が家を出た。離婚の危機に陥った34歳主婦は…

Vol.2 弁護士費用が高すぎる!

東西線の竹橋駅から地上に上がると、春の微風が頬をかすめ、楓は頭上を見上げた。

― はぁ…。勢いで予約して来ちゃったけど…。

今、楓が向かっているのは、ネットをググって見つけた法律事務所だ。「女性の味方」「離婚専門」という言葉に惹かれ、相談のアポをとったのは一昨日のこと。

そもそもママ友の晴子に、「離婚してもしなくても、弁護士には相談したほうがいいよ」と背中を押されたことが事の発端だった。

どちらを選択するにしても、弁護士なら素人には考えが及ばない妙案を授けてくれるかもしれない、と晴子に言われたのだ。

柳が揺れる歩道を歩きながら、楓は相談内容を頭の中で反すうした。

ふと、夫が最後に帰ってきたのはいつだっただろう?という疑問が、頭をかすめる。

最近は、夫がいない日常が当たり前になりつつある。もう帰ってこないかもしれない、という諦めにも似た気持ちとともに、次第に夫への不満や怒りも感じるようになっていた。

こうしたネガティブな感情を払拭したい気持ちも手伝って、今日に至る。

もちろん、躊躇しなかったといえば嘘になる。しかし、ホームページの「初回の相談無料」の売り文句が、予約へのハードルを低くした。

また、「経験豊富な女性弁護士、男性弁護士が多数在籍」「ハートフルなカウンセリングがモットー」とあったことも。

きっと同性の弁護士なら自分の気持ちに共感してくれるのでは?と思い、予約メールには女性弁護士に相談したい旨を記載した。

― あ、ここだ!

竹橋の皇居のお堀を見下ろす大きな複合ビルのエントランスに名前を見つけ、楓は立ち止まる。

『マリキータ法律事務所』。

これまでの楓の生活には、まったく縁がなかった場所。自然と、背筋がピンと伸びる。

楓は静かに深呼吸をして、建物の中に足を踏み入れた。

受付に名前を伝えると、奥の会議室に案内された。大きな窓から皇居のお堀を見下ろし待っていると、ドアをノックする音に振り返った。

「お待たせしました。マリキータ法律事務所の弁護士で、真壁陽子と申します」

入ってきたのは、ショートカットに華やかな桜色のスーツ姿の女性。スーツのラペルには、鈍色の弁護士バッジがある。年齢は、楓よりもだいぶ上に見える。

楓もつられて、笑顔で会釈をした。

「で、ご主人から一方的に離婚届が送りつけられてきて、それっきり家には帰ってきていないと?」

PCでメモをとりながら、真壁陽子は丁寧に状況を聞き取っていった。

「はい。離婚なんて今まで話にも出たことがないのでびっくりしてしまって。夫は会社の近くに部屋を借りてから、明らかに変わってしまったんです」

「なるほど…。では、離婚についての話し合いは一切できていないわけですね?」

真壁の質問に答えていくうちに、楓の中で自分が置かれた状況が少しずつ整理されていくような気がした。少し気持ちに余裕ができたのだろう。楓は、真壁にある質問を投げてみた。

「私のような相談って…今までご経験ありますか?」

すると、真壁はパッと顔をあげ、目を大きく見開き言った。

「もちろんです!ご主人様が家を出て消息不明、というご相談なんかもありますし、楓さんの逆で、奥様が出て行ってしまった旦那様からのご相談もあります」

それまでの表情からは一転、どんと任せろとでもいった様子だ。

楓は遠慮がちに尋ねた。

「そ、そうなんですね。みなさんはどういう選択をなさるのでしょうか?戻ってきた方もいらっしゃるんですか?」

法律事務所までやってきたものの、楓の中では離婚の決心はついていない、というのが本当のところ。夫婦の仲を取り持つのは弁護士の仕事ではないとわかってはいるが、聞かずにはいられなかった。

「それは…いろいろですが、このようにどちらかが弁護士にご相談に見えられる場合は、調停で話し合いになることが多いです。

ごく稀ですが、調停で話し合いをして元サヤっていうご夫婦もいないわけではありません」

真壁の返答は、楓にとっては一筋の光のようだった。

「そういうご夫婦もいるんですね!あの、調停って、裁判とは違うんですよね?」

「ええ。家庭裁判所で行いますが、話し合って両者が合意することで、揉め事の解決を図る手続きのことです。裁判官や調停員が間に入って、話を聞きます。

離婚そのものだけでなく、子どもの親権についてや養育費、財産分与、慰謝料といった様々な内容を話し合うことができるんです」

確かに、第三者が入るのなら、話し合いも冷静に進められそうだ。しかし、その前に自分がどうしたいのか、楓は決めかねている。

それにもう一つ懸念点がある。

「ちなみに、先生に依頼するとなると、ご料金はどのくらいかかるんでしょうか?」

楓は恐る恐る聞いてみた。

真壁は自身のノートPCをクルっと楓の方に向け、説明を始めた。

「調停の場合、着手金に40万。調停の日当は3万3,000円です。

離婚前提で調停をなさる場合、財産分与調停、養育費調停、さらには年金分割調停をそれぞれ申し立てることになりますので、それぞれに着手金がかかります」

楓はPC画面を凝視しながら、驚きを隠せずにいた。

「そ、そんなにかかるんですね…」

「だから経済的に余裕のないご家庭は、当事者だけの話し合いによる協議離婚になることがほとんどです」

真壁は楓のこうした様子もすべて織り込み済みなようで、笑みを浮かべながら言った。

「ですが、楓さんの場合は、ご主人は経営者でらっしゃって、支払能力も十分おありな方のようですので。

離婚前提でしたら、共有財産は財産分与の対象となりますし、養育費ももらえます」

どちらにせよ、離婚するのか、しないのか楓の気持ちひとつでやり方は変わると、真壁は付け足した。

「少し…考えさせてください」

大きな人生の選択肢が、楓の肩にのしかかったような気がした。

翌週、幼稚園に送った帰りに、楓は晴子と落ち合った。

「離婚って、お金がかかるんだね…」

先日の相談内容を報告し、晴子に愚痴る。

「でも、最終的に取り返せるなら、頼んだほうがいいと思うな。

あ、そっか。離婚するかどうかを決めかねてるんだったね」

晴子の言うとおり、弁護士がいた方が心強いのはわかっているが、まだ答えは出ていない。

しかし、真壁に相談してわかったことがひとつあった。

それは、いきなり届いた離婚届に納得できないなら、夫婦関係をもとに戻す努力を形に残すことが大事だということ。

電話に出ないなら、メールやLINEを送ってみるなど。仮に調停になったとしても、片方がゴネてるうちは、絶対に離婚はできない。

元さやに戻れればラッキーだし、戻れそうもないなら、ゴネることは続けておきながら、離婚しても生活できるよう準備を進めればいい。

先日の相談の終わりに、「私の個人的な考えですが」と真壁がアドバイスしてくれたことだった。

「そうよ。一番ダメなのは、何も反論せず印を押してしまうこと。そうだ!私の友達で、調停真っ最中の人が1人いるから、どんな感じか話を聞いてみる?」

願ってもない提案に楓は「ええ!ぜひ」と即答した。

― もし近い将来、行くことになったとしたら、予備知識を入れてておいたほうがいいよね。

楓にとって調停は、見たことも経験したこともない、未知の場所なのだ。

翌週末、楓は晴子から指定された中目黒のカフェに出向いた。

ラテをオーダーしあたりを見回すと、暖かな春の休日を楽しむカップルやファミリーが目につく。せっかくの日曜日なのに、娘の花奈の相手を妹にお願いしてここに来たことに、胸がチクリと痛んだ。

しばらく待っていると晴子と、彼女の友人が連れ立って店に入ってきた。

「楓さん!ごめんね、待たせちゃって。こちら、純香さん」

晴子が紹介すると、純香は人懐っこい笑顔を浮かべた。

「晴子さんとはヨガ仲間の純香です。私でよければなんでも聞いてください」

晴子は椅子にかけると、離婚の経緯と現状について話し始めた。彼女は、結婚8年目の36歳。子どもはいないという。

「私の場合、私が彼氏といるところを見られて、夫から離婚をつきつけられちゃったのよ」

18歳離れた夫とは、結婚後すぐに世代差を感じるようになったという純香は、離婚を突きつけられたのは願ったり叶ったりだという。浮気も覚悟のうえでのことだったと言った。

「浮気したのは私だけど、財産はちゃんと分与してほしいから調停中なの。だって、これまで家政婦のように尽くしてきた時期もあったのだから」

悪びれた様子は一切ない純香に、楓は驚く。

「でね、財産分与の額で争ってるんだけど。うちの夫、車はベントレーだし、家は麻布台ヒルズ。

なのに『資産は、ゆうちょ銀行の通帳1冊で、残高はたったの50万円。で、お金がないから財産分与できない』って主張するのありえないでしょ?

裁判所に言われたとおり、結婚してからこれまでの期間の通帳なんだけどね」

「預金残高50万円なんて、どこかに隠し持ってるってことですよね。ご主人、よっぽど払いたくないんですね」

楓はうっかり口を滑らせた。だが、純香はまったく気にしてないようだ。

「浮気したのは純香さんの方でも、財産分与はされるんですか?」

浮気したのは純香のほうで、旦那はされた側。純香が慰謝料を請求されてもおかしくない。

「それね、不貞しても財産分与は認められてるんだって。慰謝料とは話が別みたいよ」

「へえ、そうなんですね」

楓は、感心するが、ふとある疑問が浮かび上がった。

「ところでご主人に財産が50万円以上あるのがわかっているのなら、純香さんが裁判所にそれを言えばいいんじゃないですか」

「それね、意外と難しいのよ。夫が管理している口座番号とか全部わかんないとダメで。でも、意外と夫の財産を全部把握している妻っていないのよね」

純香の話を聞きながら、楓の中で新たな不安がむくむくと膨れ上がっていった。

「どうしよう…。私、実は夫の口座、何もわからない」

毎月決まった生活費を楓の口座に振り込んでくれており、それがどこから振り込まれたかなど、楓はこれまで考えたこともなかった。

夫の年収はもとより、経営している会社の利益がどれほどかも知らないのだ。

それ以前に、なぜ夫が離婚したいかという理由さえ…。

自分は夫について、何もわかっていなかった…。なのに、いなくなったことに自分はただ狼狽えているだけ。

これまでのほほんと過ごしてきた結婚生活を、この時初めて、楓は恨めしく感じたのだった。

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