実は凡庸なんかじゃなかった!紫式部の兄弟・藤原惟規の活躍 【光る君へ】

平安時代を代表する女流作家の一人・紫式部。日本人だけでなく、世界中の歴史ファンから「MURASAKI」と愛されているそうです。

そんな紫式部は、幼少期から天性の才能をあらわしていました。

しかし彼女の引き立て役にされてしまうのが、兄弟(兄と弟の両説あり)である藤原惟規(のぶのり)。

『紫式部日記』には漢文を読めずまごついていた惟規を横目に、その漢文を暗唱してみせたエピソードが残っています。

父・藤原為時(ためとき)は「この娘が男の子だったら出世したであろうに……」と嘆いたとか。

これだけ聞くと、いかにも惟規が凡庸であったようなイメージを持ってしまいますね。

ドラマや創作では、そんなキャラクターの惟規がたくさん登場します。

しかし実際の惟規は、決して凡庸ではなく、むしろ父や姉妹にも恥じない学識を発揮したのでした。

という訳で今回は、藤原惟規の活躍ぶりを紹介したいと思います。

目次

藤原惟規の生涯をたどる

息子の学識に、為時も満足?(イメージ)

藤原惟規は官僚養成機関である大学寮で学び、紀伝道(きでんどう。漢学と歴史)を専攻する擬文章生(ぎもんじょうしょう。擬生)に合格しました。

その後文章生を経て、少内記(しょうないき)として詔勅の起草や内裏での出来事を書き留める務めを果たします。

内記には能筆・能文の者が求められていたため、惟規の学識や才知がうかがい知れましょう。

それからも代理の警固を担当する兵部丞(ひょうぶのじょう)や天皇陛下の側近である六位蔵人(ろくいのくろうど)、かつて父も務めた式部丞(しきぶのじょう)などを歴任しました。

確かに同僚たちに比べて出世のスピードは速くありません。

しかし彼らのほとんどは上級貴族の子弟であり、惟規のように中級以下の貴族が実務の現場を担ったのです。

家柄だけはいかんともしがたいものの、家柄などによる下駄履きもなく、確かに自分の努力と才能によって地位を勝ち取ったのでした。

また惟規は孝行息子でもあり、父が越後守として越後国(新潟県)へ赴く時も、現地へ同行しています。

残念ながらそのまま現地で亡くなってしまうのですが、若すぎる死が惜しまれてなりません。

『藤原惟規集』より、おすすめの和歌5選

多くの和歌を残した藤原惟規(イメージ)

さて、父や姉妹にも劣らぬ才能を持ちながら、紫式部の陰に隠れてしまった藤原惟規。

彼が詠んだ和歌は『藤原惟規集』として編纂され、現代にその歌風を伝えています。

洒脱な風流人だったらしく、恋の歌が多く伝わっているので、そこから5首をピックアップしてみました!

人しれず 思ひを身こそ 岩代の
野やくけぶりの むすぼほれつゝ

※『藤原惟規集』(三)

【意訳】人知れず彼女への想いを抱えている。口に出しては言えない想いを、岩代国の野焼きの煙に乗せて届けたい。

岩代(いわしろ)国とは現代の福島県西部。実際に行ったことはありませんが、「いわしろ」を「言わじ路(決して言わない、道ならぬ恋)」にかけているようです。
いったい相手は、誰だったのでしょうね。

山がくれ 咲かぬ桜は 思ふらむ
我だにをそき 春のひかりと

※『藤原惟規集』(十八)

【意訳】山奥に隠れ、まだ咲かぬ桜。彼はきっとこう思っていることだろう。「私は遅咲きだが、春に光輝く存在なのだ」と。

いつも紫式部と比べられ、鬱屈していたであろう惟規。でも彼だって自分の努力と才能で活躍してきた、そんな自負が感じられます。頑張れ惟規!

荒れ海も 風間もまたず 船出して
君さえ浪に ぬれもこそすれ

※『藤原惟規集』(二二)

【意訳】海が荒れている中、風がやむのも待たずに出航したものだから、あなたまで波に濡れてしまったね。

若気の至りで考えもなく駆け落ちしてしまったから、貴女まで名を汚してしまった(濡れてしまった)……そんなイメージでしょうか。

実体験なのか、あるいは創作かも知れませんね。

逢坂の 関うちこゆる ほどもなく
今朝は都の 人ぞこひしき

※『藤原惟規集』補遺(一)
※『後拾遺和歌集』別、四六六

【意訳】まだ京都からそんなに離れていないのに、京都の人々が恋しくて仕方ありません。

これは実に激しいホームシックですね。父のお供で旅立ったものの、やっぱり華やかな交友関係は捨てきれないのでしょう。

都にも 恋ひしき人の 多かれば
なほこのたびは いかむとぞ思(ふ)

※『藤原惟規集』補遺(三)
※『後拾遺和歌集』恋三、七六四

【意訳】京都には、会いたい人がいっぱいいるのだ。だから今度も生きて帰ろ……ガクッ。

図らずも辞世となってしまったこの和歌は、最後の一文字が欠けています。力尽きてしまったのです。

息子を不憫に思った為時は最後の一文字を書き足してあげたのだとか。

魂となって、懐かしい京都へ飛んで帰ったのでしょうか。

【番外編】あれ、この和歌は!?

「宣房本三十六歌仙絵 清原元輔」

ちぎりきな かた身にそでを しぼりつつ
すゑの松山 波こさじとは

※『藤原惟規集』(七)

この一首を見て、目を疑ったのは筆者だけではないはずです。

それもそのはず、これは「小倉百人一首」で有名な清原元輔(きよはらの もとすけ。清少納言父)の和歌ではありませんか。

これは惟規がパクッた訳ではなく、後世の編者が間違って入れてしまったのだとか。

危うくパクり疑惑が浮上してしまうところでした。

終わりに

以上、紫式部の兄弟として割を食ってしまっている藤原惟規について紹介してきました。

NHK大河ドラマ「光る君へ」では、高杉真宙の好演が人気を読んでいる藤原惟規。

これからもっと活躍して欲しいですね!

※参考文献:

  • 南波浩 校註『紫式部集 附 大弐三位集 藤原惟規集』岩波文庫、2024年2月

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