『マインドシーカー』発売35周年!ファミコン史に残る「伝説の迷作」に立ち向かった男たち

ファミコンソフト『マインドシーカー』(ナムコット/編集部撮影)

1989年4月18日、ファミコン用ゲームソフトの『マインドシーカー』がナムコ(ナムコット)から発売されました。この作品は「超能力」をテーマにしたアドベンチャーゲームで、今日で発売からちょうど35年を迎えることになります。

ファミコン成熟期ともいえる1989年には、実に160本を超えるソフトがリリースされています。中でもこのタイトルは、その独特なゲーム内容から、今なお多くのゲームファンの記憶に残る一本となりました。今回は、そんな『マインドシーカー』の発売35周年を記念して、2020年に公開した記事を再編集してお届けします。

■『マインドシーカー』に挑んだ男たち

ファミコン好きの間で名前は知られているのに、実際に遊んだことのある人は意外と少ない、なんとも不思議なファミコンソフト『マインドシーカー』――。後年「稀代の迷作」という評価とともに知名度は高まりましたが、このタイトルが発売された1989年当時は、あまり注目を集めることはなかったように思います。

その点では、発売時から話題になった『たけしの挑戦状』や『バンゲリングベイ』、『ミシシッピー殺人事件』といった“伝説のクソゲー”と比較すると、『マインドシーカー』はちょっと異質かもしれません。

筆者がこのゲームに出会ったのは、まだそんなレッテルが貼られる以前のこと。発売からは少々時間がたった1991年頃でした。

当時は、友だちの部屋で“朝までファミコン”が恒例行事。男ばかり4~5人が集まっては、毎日のようにワイワイと遊んでおりました。ただ、みんなお金がないので、ゲームの調達先といえば、もっぱらワゴンセールで売られている激安の中古ソフト。なので仲間と一緒に、周辺のゲームショップによく足を運んでいました。

そんな中、どんな店舗でもとびきりの安価で売られていたソフトがありました。中には「280円」なんて値づけをしていた店まであった、まさに“キング・オブ・ワゴン”。それが『マインドシーカー』だったのです。

どの店でも激安――。その圧倒的存在感に、仲間内でも「簡単に手を出しちゃいけない」という暗黙の了解があったのを覚えています。

しかし『マインドシーカー』の発売元は、あのナムコット。みんな大好き、ナムコブランドです。それに背中を押され、ある日ついに我々は、このタイトルに手を出すことになるのです。

■ファミコンで超能力開発!

このゲームのキャッチフレーズは「超能力開発ソフト」。当時著名だった日本人の超能力者が監修を務め、ゲームでトレーニングを積むことでプレイヤーが超能力に目覚める……かもしれない、というコンセプトの作品です。

超能力開発といえば、さまざまなマークの描かれたカードを伏せて、そのマークを当てるテストのイメージを思い浮かべるかもしれません。このゲームの内容は、まさにそれでした。

たとえば「透視」というトレーニングでは、伏せられた1枚のカードを見て、その裏に描かれた絵柄と同じものを5枚のカードの中から選びます。

ほかにも「念力」や「予知」というトレーニングが登場します。「念力」は“念じながら”ボタンを押し、成功すると画面内のランプが赤く点灯。「予知」は、次にどのランプが光るか、前もって場所を選択して的中させるというもの。こういったトレーニングをこなしながら、自身の(ゲーム中での)超能力レベルを上げ、クリアを目指すゲームです。

この3種類のトレーニングはカタチを変えて何度も登場しますが、結局のところはゲーム内でやるのは基本的にこれだけ。「透視」も「念力」も「予知」も、実はさほど変わりはなく、プレイヤーにできることは「(選んで)ボタンを押す」のみ。そして、数分の1の確率で用意された“当たり”をひたすら当て続けていく。

もちろん、プレイヤーである我々に超能力があるはずもなく、当たるかどうかはすべて勘と運次第。おおざっぱに表現するなら、ごほうびのない“ガチ抽選”を繰り返すだけのゲームなのです。

■超能力開発に熱中した日々

そんなわけで、遊び始めてすぐに『マインドシーカー』がどの店でも特価だった理由を、身をもって知ることになりました。

ところが……です。「空腹は最大の調味料」と言いますが、遊びに飢えた10代男子が数人集まってこのゲームを遊ぶと、これがとんでもなく盛り上がる。

「当たったー!」「間違ったー!」「念力ムズイ!」「今のなんで当てられたの!?」「あと1回正解すれば~!」

ミッションクリアに必要な正解数を達成するため、ありもしない超能力で一喜一憂。何かとツッコミどころの多いゲーム内容も含め、めちゃくちゃ楽しく遊べてしまったのです。

さらに、いつの間にか仲間内で「コイツは透視が得意」「彼は念力が達者」といった奇妙な役割分担まで出来上がる始末。とくに連続正解をしてみせたヤツは、もはや神のような扱いでした。仲間内には誰一人として超能力者はいなかったはずなので、こういう“思いこみ”を生み出すあたりが、このタイトルの奥深さなのかもしれません。

それでも、ずっと遊んでいると、やがてストイックすぎるゲーム性に行き詰まるようになりました。通常ならどんなに難しいゲームでも、やりこむうちにうまくなって先に進めるようになったりしますが、このゲームの場合、それが絶対にありません。

なにしろ、このゲームにおける上達は、超能力が開花するということですから……。そうこうしているうちに、次第に我々の『マインドシーカー』熱は冷めていきました。

■『マインドシーカー』をクリアした男に超能力はあったのか?

しかし仲間内で1人だけ、このゲームに執念を燃やし続けた人物がいました。彼は、仲間たちが興味を失ったあともクリアを目指し、ひたすら『マインドシーカー』をプレイ。そしてあるとき、衝撃的な報告を受けることになります。

「クリアしたよ」
「マジで!」

彼は、地道にガチ抽選の「当たり」を探し続け、ゲームを少しずつ進行し、どうにかラストイベントまで到達。それだけでもとんでもない労力ですが、そこには「最大の壁」が待ち受けていたそうです。

ラストイベントのクリア条件は、まず「第一の扉の前で、念力を40回中24回以上成功させる」。次に「5つの扉の中から正解である第二の扉を選ぶ」。そして、再び「念力を40回中24回以上成功させる」というもの。

プレイしたことがない人には、この難度が伝わりにくいかもしれませんが、そもそもファミコンのボタンで「念力」を伝える難しさから推察していただければ……と思います。

彼は何度も何度も何度も何度も挑戦して、このラストイベントは到底まともにクリアできるシロモノじゃないと悟ったそうです。では、最終的に彼はこの難問をどう解決したのか?

「連射パッドのボタンに重しを置いて、放置した」

つまり、試行回数の多さで運を打倒したわけです。彼がどのくらいの時間、放置していたのかは忘れてしまいましたが、「すげえ……」と驚嘆したことはよく覚えています。

そんな『マインドシーカー』が発売されたのは1989年4月18日。日本のゲーム史において、超能力開発をうたったゲームは、今日までこの作品のみです。その意味でも、このタイトルは“伝説のゲーム”と言えるかもしれません。

もっとも、ドット絵で描かれたカードの裏側に、実際に何かのマークが描かれていたわけではありませんから、仮に透視能力を持っていたとしても、テレビ画面の向こう側に見えるのは「ブラウン管」だったんですよね……。

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