年金の繰下げ受給をすると、65歳から繰り下げた月の数が多いほど、毎月受け取れる年金額が増えていきます。しかし繰下げを決めたものの、年金を受け取る前に亡くなるケースもあるでしょう。この場合、本来受け取るはずだった年金はどうなるのでしょうか。残された家族がいる場合、遺族年金などに影響はあるのでしょうか。本記事では、Aさん夫婦の事例とともに年金の繰下げ受給の注意点について、CFPの伊藤貴徳氏が解説します。
年金だけでは暮らせない…
Aさん夫婦は、都内の都営住宅で生活しています。Aさんの夫が定年退職を迎えるころ、これからの生活費について考えてみることにしました。
<現在の生活費>
家賃 13万円
食費 5万円
水道光熱費 2万円
娯楽費 3万円
貯蓄1.5万円
→合計24万5,000円
<65歳時点での年金収入見込み>
夫:厚生年金 8万円/国民年金 7万円
Aさん :厚生年金 2万5,000円/国民年金 7万円
→合計24万5,000円
夫婦は、将来の年金額と生活費のバランスに不安を持っていました。 年金だけの収入では、生活はギリギリとなってしまうのです。
幸い、夫の職場は定年後も再雇用で働くことができます。少しでも年金を増やすため、働きながら年金を「繰下げ受給」した場合、どのようなメリットがあるのでしょうか。
「年金の繰下げ受給」とは?
65歳から受け取ることのできる公的年金は、65歳以後75歳までのあいだで繰り下げることにより増額した年金を受け取ることができます。 その加算率は1ヵ月あたり0.7%。つまり、75歳まで繰り下げると最大84%増額された年金を受け取ることができます。
Aさんは働けるうちは働いて、その後の生活のために年金を繰り下げることを選びました。
繰下げ期間中の収入
夫:給与 17万円
Aさん:厚生年金 2万5,000円/国民年金 7万円
→合計26万5,000円
夫が75歳まで繰下げをした場合の収入
夫:厚生年金と国民年金の総額15万円×84% 27万6,000円
Aさん:厚生年金 2万5,000円/国民年金 7万円
→合計37万1,000円
75歳まで年金を繰下げた場合、年金の受け取り見込みはおよそ37万円と大幅に増える見込みとなりました。それまでAさんもパートで働きながら家計をやりくりすることで収入を増やせそうです。2人は、なんとか老後の生活は守られそうだと安堵していました。
夫、まさかの急逝
年金を繰下げてから4年後のことです。夫が69歳のころ、体調不良を訴え病院で検査をすることになりました。体内にがんが見つかり、気づいたときには手の施しようもなく還らぬ人となりました。
悲しみに暮れるAさんでしたが、自身の生活のことも考えなければなりません。Aさんは夫の年金繰下げのことを思い出し年金事務所へ向かいました。
繰下げ期間中の夫の死…年金はどうなる?
Aさんの夫は、69歳で亡くなっているため4年間の繰下げ期間があります。この場合は増額となるのか年金事務所窓口で尋ねましたが、「年金(未支給年金)には、4年間の繰下げに対する増額がありません。Aさんの年金額は15万5,000円です」と返され、Aさんは夫の死の追い打ちのように感じて号泣しました。
繰り下げることによって増額するのは存命の場合で、繰下げ中に死亡した場合4年分の未支給年金をまとめて受け取り、併せて遺族厚生年金を受け取ります。つまり、繰下げ期間中に亡くなってしまった場合、増額のメリットを受けることができないということになります。
Aさんが受け取る未支給年金と遺族年金
一時金 4年分の未支給年金720万円
年金 夫の遺族厚生年金6万円
妻の年金 9万5,000円
→年金の合計15万5,000円(月換算)
Aさんが受け取る年金の合計は、夫の退職前の給与よりも低い水準となってしまいました。 未支給年金というまとまった支給はありましたが、葬儀代やら治療費の補填などでほとんど消えてしまいました。 結果、年金だけでは暮らしていけず、低い賃料への引越しとパートでの収入の確保を続けることとしました。
メリットだけじゃない「年金の繰下げ受給」
年金繰下げは、働けて収入が確保できているときには有利な手段です。
ただし、繰下げ途中で受給権者に万が一のことがあったとき、突発的な出費や収入の減少など、遺族の方には収支へ影響がおよぶこともあります。
最愛のパートナーに先立たれ、悲しみが癒えぬまま収入減を防ぐべく働き続けなくてはならない……といったことはあってはなりません。 万が一の際の生活防衛資金を確保するために生命保険の活用や、常日頃からの健康への意識なども重要でしょう。
繰下げの際には、そんな側面も認識して検討いただきたいと思います。
伊藤 貴徳
伊藤FPオフィス
代表