【4月19日付編集日記】死に神と英知

 H・G・ウェルズが放射線を使った手投げ弾を小説に登場させたのは1914年のこと。フランスの物理学者ベクレルが放射線を発見してから、20年近くたったころだ

 ▼この兵器の被害があまりに甚大だったため、指導者たちが世界政府を樹立して、平和が訪れるというのが筋書き。しかし現実では、この小説に着想を得た科学者たちが原爆を開発し、広島と長崎に投下された(全卓樹「銀河の片隅で科学夜話」朝日出版社)

 ▼原爆の開発を指揮したオッペンハイマーが自身のしたことに、栄誉より後悔の念を感じていたことは、晩年の言葉からうかがい知ることができる。「我は死に神、世界の破壊者なり」。古代インドの聖典の一節で、王子に戦争をするよう促す言葉から引いたものだ

 ▼原爆の開発に当たった科学者のなかには、この兵器が戦争の抑止力になると考える人もいたという。オッペンハイマーは戦後、広島と長崎の被害を知り、水爆の開発に反対した。平和につながらない兵器であることを痛感したのだろう

 ▼核兵器はウェルズが期待したような楽観的な経過をたどることができず、その脅威が世界に居座ったままだ。死に神を追い払うための英知が人類に求められている。

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