光と影の代表生活 バドミントン桃田会見 「体力、精神的に限界」 五輪メダルの夢次世代へ

記者会見で日本代表からの引退を表明する桃田

 「再び世界一を目指すには体力的、精神的に限界だった」。バドミントン男子シングルスの桃田賢斗(29)=NTT東日本、富岡高出身=は18日の会見で、日本代表引退を決めた胸の内を明かした。一時は世界トップに君臨。五輪でメダルを獲得する夢がかなわなかった足跡には、光と影が交差する。それでも「後悔はない」として今後も続く競技人生に向けて気持ちを切り替えた。かけがえのない青春時代を過ごした本県などで教室を開き、競技の裾野拡大を目指す新たな目標を掲げた。

 「試行錯誤してきたが気持ちと体にギャップがでてきた」。かつての王者は、引退に至った経過を説明する際、悔しそうに声を絞り出した。

 今夏のパリ五輪を「集大成」と位置付け、代表選考レースに臨んだ。しかし、腰のけがに悩まされ、1位だった世界ランキングは後退して52位(16日現在)に。かつてのように頭で思い描いたプレーがコートでできなくなっていた。パリ五輪出場が絶望的となり、引き際を悟った。

 一時代を築いたが、決して順風満帆な競技人生ではなかった。活躍が期待されたリオデジャネイロ五輪は、違法賭博問題で出場を逃した。再起を図り、2018(平成30)、2019年に世界選手権を連覇。東京五輪でメダル獲得が有力視された。だが、2020(令和2)年1月、再び窮地に陥った。遠征先マレーシアで交通事故に遭い、全身打撲を負った。右目眼窩(がんか)底骨折で手術を受けた。

 シャトルが二重に見える症状に悩まされた。不屈の精神で復帰し、念願だった東京五輪の切符を手にした。しかし、満を持して臨んだ本番では1次リーグ敗退。今でもこの時の悔しさは忘れられないという。

 挫折を味わいながらも、中高時代を過ごした本県のために役に立ちたいとの思いは持ち続けた。「自分が国際大会で活躍することで少しでも福島の力になれれば」。代表時代はツアーなどがあり、多忙でできなかった地域貢献活動にも力を入れていく。本県などでバドミントンの教室を開き、世界の舞台で培った技や経験を若い選手につないでいく考えだ。

 「自分に憧れて競技を始めた子どもたちもいる。少しずつ福島に恩返ししたい」。県内から世界の舞台へ羽ばたく若者の姿を思い描く。

■「後進育成に携わって」県内期待の声

 県内の関係者からは、今後の活動に期待する声が上がった。

 高校時代の指導者大堀均さん(55)=日本バドミントン協会ジュニアナショナルチームヘッドコーチ・トナミ運輸ヘッドコーチ=は「やり切った充実感があるのではないか。これからも競技の普及発展、福島の復興に力を存分に発揮してほしい」と願った。富岡一中時代の恩師の斎藤亘さん(52)=ふたば未来学園中バドミントン部顧問=は「逆境から立ち上がる姿は記憶にも記録にも残る」と話した。

 富岡高時代の桃田が寮生活を送った猪苗代町の宿泊施設「あるぱいんロッジ」の元オーナー平山真さん(75)は「今後は大好きなバドミントンの魅力を子どもたちに伝えてほしい」と語った。

 双葉のオリンピック選手を支援する会の会長で元富岡高校長の青木淑子さん(76)は「震災後の困難な時期をひたすら夢に向かって進んでいる姿に、町民全てが支えられた」とコメントした。県バドミントン協会長の渡辺正光さん(67)は、果敢に勝負し、ネット際で勝ち切る桃田のプレーに魅力を感じてきた。「経験を生かし後進の育成にも携わってほしい」と願った。

【桃田賢斗の主な歩み】

2012(平成24)年11月

 世界ジュニア選手権で日本人初優勝

2013年3月~4月

 富岡高卒、NTT東日本入社

2015年8月

 世界選手権で日本人初の銅メダル獲得

2015年12月

 全日本総合選手権で初優勝

2016年4月

 違法賭博問題発覚で無期限出場停止処分に。リオ五輪の推薦、派遣が見送られる

2017年5月

 無期限出場停止処分が解除

2018年8月

 世界選手権で日本男子初優勝

2018年9月

 日本男子初の世界ランキング1位を獲得。3年以上、首位を維持

2019年3月

 全英オープン優勝

2019年8月

 世界選手権2連覇

2019年12月

 ワールドツアーファイナル優勝。主要国際大会年間11勝でギネス世界記録に認定

2020(令和2)年1月

 マレーシアで交通事故に遭い、全身打撲などの重傷

2020年2月

 右目眼窩底骨折が判明し、手術

2020年3月

 競技活動復帰

2021年7月

 東京五輪に出場。1次リーグ敗退

2023年12月

 全日本総合選手権で2年連続6度目の優勝

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