代表引退のバド桃田賢斗、野球でもプロ入り嘱望された才能 阪神ファンの父が「江夏2世」と期待の左腕も…自ら選んだバドミントンで世界一に

 巨人対ヤクルトの開幕戦で始球式を務めたバトミントン日本代表の桃田賢斗=2016年3月

 バドミントン男子シングルス元世界ランク1位で、世界選手権を2度制した桃田賢斗(29)=NTT東日本=が18日、東京都内で記者会見を開き、トマス杯(27日開幕・成都)を最後に日本代表から引退することを表明した。結果的に、唯一の出場となった東京五輪に向けて桃田の足跡を取材する中、幼少期は野球でも才能を発揮し、周囲が本気でプロ入りを嘱望していたという話が印象に残っている。

 桃田は姉の影響で小学1年からバドミントンを始めた。大の阪神ファンだった父・信宏さんは野球をやらせたかったため、あくまで肩や肘をつくるためのトレーニングの一環と考えていた。小学4年からは並行してソフトボールも始めたが、すぐに才能を発揮した桃田はエースで4番も務めた。当時にして左腕から球速100キロ近い球を投げ込んでいた息子に、父は「江夏豊2世になってほしい」と夢想していたが、桃田が選んだのは「自分一人の力だけで勝てる」と、いち早く全国制覇を果たしたバドミントンだった。

 福島・富岡第一中に進学後も、隠しきれない野球の才能は関係者の目に留まった。当時、バドミントン強化に力を入れ始めた福島県で体協に務めていた芦野孝彦さん(58)は、香川から越境してきたばかりの桃田を見て「スイッチが入ったときの集中力や身体能力が1人だけ違った」と目を奪われた。星稜高野球部のOBでもある芦野さんは、元ヤンキース・巨人の松井秀喜はもちろん、近鉄などで活躍した左腕の山本省吾や、後に奥川恭伸(現ヤクルト)らプロに進む逸材を多く見てきたが、バドミントン部でありながら桃田には野球でもプロ入りできるほどのポテンシャルを感じたという。

 キャッチボールをすれば、手首のスナップや下半身のバランス、球の回転などは天性のものがあり「プロに入る選手はパッと見て全然モノが違うが、それと同じものを桃田には感じた」とうならされた。遊びでマウンドに立てば、クロスファイヤー気味の角度からキレのいい球をコースに投げ込んだ。何より目を見張ったのが、バドミントン同様、打者と駆け引きできる勝負勘だ。「イメージとしては菊池雄星(現ブルージェイズ)のようなサウスポーになれるんじゃないかと。それくらい、中学1年から能力が整っていた」。野球に転向すれば、甲子園で活躍する青写真も浮かんだ。「どこの学校に行ってもエースになれるんじゃないかと。うまくいけばプロ野球に行けるかも」。芦野さんは星稜高野球部の名将、山下智茂名誉監督に桃田を推薦することも考えたという。

 打席に立っても器用にバットを操り、ボールを捉えるセンスや感覚は群を抜いていた。中学、高校時代の寮長を務めていた荒木信彦さん(59)は野球指導経験もあり、桃田にトスやティー打撃の練習をさせることもあったというが、「動体視力がすごいんだよね。瞬時の判断力が半端じゃない。とんでもない逸材だった」と述懐。野球部員もかなわないポテンシャルがあったといい、「バドミントンでも成功したけど、野球をやっても1億円稼げたんじゃないかな」と笑う。

 父や周囲の期待をよそに、桃田の意志が揺らぐことはなかった。高校1年時の2011年3月の東日本大震災、16年4月に発覚した違法賭博問題による処分、20年1月のマレーシアでの交通事故による大けが。何度も襲ってきた逆境の中から不死鳥のように立ち上がる原動力は、バドミントンという競技への愛に他ならなかった。

 2016年3月に東京ドーム、22年5月には札幌ドームの始球式でプロ野球のマウンドに立ち、ストライク投球で大観衆の喝采を浴びた。形は違えど、父の夢をかなえた。五輪の舞台に1度しか立てなかったのは数奇としか言いようがないが、2度の世界選手権制覇など数々の金字塔を打ち立てた。「バドミントンを野球のようにメジャーな競技にしたい」。かつて口にしていた夢に、自らの活躍によって近づいた。国際舞台の第一線から去っても、人生そのもので人々を魅了してきたエースの功績は色あせない。(デイリースポーツ・藤川資野)

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