天皇皇后両陛下が二回目の被災地入り 秋篠宮さまも穴水町へ 被災地に思いを寄せられる

能登半島地震の被災地へ心を寄せられている天皇皇后両陛下。3月に引き続き4月にも被災地を訪れた。今回も前回と同様に日帰りの日程。出発機のエンジントラブルで出発が遅れたにもかかわらず、自らの休憩時間を削られてまで被災地に思いを寄せられた天皇皇后両陛下の思いを紐解く。

2カ月連続での被災地入り

12日の羽田空港。特別機にエンジントラブルが発生したため、天皇皇后両陛下は予備機に乗り換え、被災地に向かわれた予定より約1時間遅れで能登空港に到着された両陛下。被災地を訪問されるのは3月に続き、2回目だ。

前回は珠洲・輪島 今回は穴水・能登

今回も、前回と同様、被災地の負担を考慮され日帰りの日程。そのため両陛下は休憩時間を短縮し、自衛隊のヘリコプターで穴水町に向かった。

吉村光輝穴水町長:
ここが穴水町の唯一の商店街、そして昔から栄えた所でございます。

穴水町では、吉村町長の案内で中心部の商店街を視察された。

リポート:
天皇皇后両陛下を一目見ようとたくさんの町民が集まっています。

集まった町民:
雅子さま~!陛下~!きれいや!

両陛下は移動中のバスの窓を開けて沿道に手を振られていた。

沿道に来た人は…:
感激したわね、本当に。うちも破れとるんで来てもらって元気になります。

沿道に来た人は…:
このために夕べ寝られなかった。若い時に一度見たことがあるのでなんか感激して、嬉しかったです。

両陛下は今も46人が避難する穴水町のさわやか交流館プルートを訪れ、膝を落として被災者に声をかけられた。

天皇陛下:
ご自宅はいかがですか?
住民:
まぁ、半壊ですね。

両陛下と言葉を交わした米田吉朗さん:
優しい人。思わずこちらが(涙ぐんで)泣けてきたというか。本当に心から心配していただきました。

その後、災害対応に尽力した消防士や医師、看護師を労われた。

両陛下:
長いことね。大変でしたね。

公立穴水総合病院 松井真智子看護師長:
「水も出ないなか大変でしたね」ということで、4月に入って最近ようやく院内のトイレが使えるようになりましたということをお伝えいたしました。「大変でしたね」というお言葉を優しくいただきました。

穴水港にある「あすなろ広場」を訪れた両陛下。地震による土砂崩れで16人が犠牲となった由比ヶ丘地区に向かって黙とうを捧げられた。

吉村穴水町長:
町内で一番犠牲者の数が多い現場だということを、ご説明をさせていただきました。非常に心を痛められている。そんな様子が伺って取れました。

能登町では50年ぶりの再開も…

そして午後3時過ぎ、ヘリで能登町へ移動された両陛下。避難所となっている松波中学校で被災者を見舞われた。

両陛下と言葉を交わした避難者:
よくテレビでも見させてもらっていますけど、物腰がやわらかいというか優しい感じで本当に寄り添っていただいているのかなと感じを受けました。

両陛下と言葉を交わした避難者:
役所に勤めていたおかげで、陛下に50年前にお会いして本当に懐かしいですとおしゃっていただいた。

その後、両陛下は津波の被害が大きかった白丸地区へ。この場所でも家屋の倒壊で亡くなった犠牲者に黙とうを捧げられ、その後、能登空港から帰路につかれた。

秋篠宮さまも被災地に日帰りで訪問

そして秋篠宮さまも18日、日帰りで穴水町入りされた。

農業の振興に貢献した農家の表彰などを行う「大日本農会」の総裁を務める秋篠宮さま。野菜や果物を育てる前田忠男さんの直売所を訪れ、地震で被害を受けた倉庫などを視察された。

秋篠宮さま:
瓦は落ちたりとかは?
前田さん:
落ちたところも少しあります。積んであったやつも下へ落ちてしまって。白く見えるのは肥料が落ちて、本当は片付ければいいんだけど、作付けの準備をしている関係で、手の空いた時に少しずつやろうかなと思っています。

また輪島市で米や果物を育てている川原義正さんからは、農道の被災状況などについて説明を受けられた。

県によると地震の被害が大きかった奥能登2市2町では、今年春に作付できる米の面積が去年の6割となる約1600ヘクタール。野菜は去年の半分の約35ヘクタールとなる見込みだ。

川原さん:
できるところだけ作付したい。なんとか、大きな地震ですけど、もう少し頑張って復帰させたいなと思っております。

秋篠宮さまは「大変でしょうけど頑張ってください」と声をかけられていた。

川原さん:
わざわざ遠方より足を運んでくれて心配をしてくれて、本当にありがたかったなと思っています。

前田さん:
今日殿下が来られたことを、心の支えと仕事の励みにして、明日からみんなでがんばります。と言うことをお伝えしました。

(石川テレビ)

© FNNプライムオンライン