「アレンは人情家で、約束を守る男であり、最高のチームメイトだった」元同僚のオリーが語るアイバーソンの“真の才能”<DUNKSHOOT>

4月12日(日本時間13日)、フィラデルフィア・セブンティシクサーズの練習施設前に、フランチャイズを代表する英雄アレン・アイバーソンの銅像がお披露目された。NBAの歴史に名を刻む超絶スコアラーであるのは周知の事実だが、かつての同僚であるケビン・オリー(現ブルックリン・ネッツ暫定ヘッドコーチ)は、アイバーソンの“真の才能”について見解を述べている。

1996年のドラフト1位でシクサーズに入団したアイバーソンは、瞬く間にチームのエースへ。鋭いドリブルを武器に得点を量産し、00-01シーズンには平均31.1点でスコアリングタイトルを獲得するとともに自身初のシーズンMVPに輝き、NBAファイナルにも進出した。

キャリア中盤以降はデンバー・ナゲッツ、デトロイト・ピストンズ、メンフィス・グリズリーズ、シクサーズ、トルコのベシクタシュと渡り歩いたが、通算2万4368得点はNBA歴代28位にランク。2016年にはバスケットボール殿堂入り、21年にはNBA75周年記念チームにも選出されている。

「大事なのは身体のサイズじゃない。“ハートのサイズ”だ」

この名言とともに自分より身長の大きい選手を相手に、互角以上に渡り合ったアイバーソン。クロスオーバーなど卓越したボールハンドリングや得点嗅覚、勝負強さで鳴らしたが、現役時代にシクサーズで共闘したオリーは『USAトゥデイ』に対し、それらはアイバーソンを象る物の一部に過ぎないと語っている。
「アレンはこの街(フィラデルフィア)に多くのものをもたらした。人々は時に、アレンがこの街にもたらしたものを誤解する時がある。バスケットボールのゲーム、そしてコート外において様々なことを変えたからね。

アレンはありのままの自分でいる一方で、コート外での彼の才能をみんな知らない。例えば、面白いキャラで、歌を歌うことができ、飛行機の中で仲間を魅了できる。でも、アレンの一番の才能は忠誠心だと思う。偉大なチームメイトさ」

どんなにビッグになろうとも、アイバーソンの仲間を大切にするマインドに、オリーは大きな感銘を受けたという。

「アレンは午前3時に電話するチームメイトの1人だ。(ペンシルバニア州)スクールキルで立ち往生しても、ほかの人が迎えに来てくれなくても、彼は来てくれた。そんなところも好きだった。アレンは人情家であり、約束を守る男であり、私の最高のチームメイトだった。

みんなそういうところは見ていないし、おそらく『アレンが最高のチームメイト?』と言うだろう。でも、彼のそばにいると、これまで一緒にプレーした選手の中で最高のチームメイトの1人だと思わせてくれる。素晴らしい人間なんだ」
アイバーソンと言えば、キャリア通算914試合に出場して1試合の平均プレータイムは41.1分。2000-01シーズンから3年連続で平均出場時間はリーグトップを記録し、一度もベンチに下がらず48分間コートに立ち続けることもあった。一方でたびたび練習をサボり、当時の指揮官だったラリー・ブラウンと衝突もしたが、それはあくまで練習で、試合で手を抜くことは決してなかった。オリーも「彼には試合を欠場する概念はない」と振り返る。

「毎試合コートに立ち、自分の能力を最大限に発揮して戦った。ラリー・ブラウンから『アイツにプレーさせるな』と言われたものさ(笑)。アレンはよく私を見て、『ラリー・ブラウンに交代させられた』と嘆いていた。彼は1分1秒でも長くプレーしたかったんだ。『俺は2分プレーするから、君はすぐに試合に戻る。だから、あまり怒らないでくれ』なんて会話をしていた。彼と一緒にプレーするのが大好きだった」
今年3月、“キング”ことレブロン・ジェームズは元NBA選手のJJ・レディックとの共同ポッドキャスト番組『Mind the Game』でアイバーソンとステフィン・カリーを「ゲームを観始めてから最も影響を与えた人物」に挙げたが、オリーも同意見のようだ。

「アレンはゲームを変えた。プレーも、ファッションも、ありのままを貫いた。タトゥー、コーンロウ、それらはAI(アイバーソン)の代名詞だ。ヘッドバンドも、アームスリーブも、すべて彼がコートに立った時の戦う男としての証だった。

165ポンド(約75kg)のアレンが、(身長216cm・体重147kgの)シャキール・オニール相手にレイアップを決めたのを覚えている。アレンがバスケットボールのコート上で成し遂げたことは素晴らしかった。最も偉大なドリブラーの1人としてずっと語り継がれるだろうが、私が会った中で最も偉大な人物の1人でもある」

かつて一緒にプレーしたオリーから見ても、アイバーソンは選手としても、人間としても偉大な存在だったようだ。

構成●ダンクシュート編集部

© 日本スポーツ企画出版社