【1本1本を大切に植え…その数は3000本!】見頃を迎えた飯舘復興三千本の桜・福島

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東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所の事故の後、飯舘村の復興のシンボルとして多くの人を魅了する桜を直川貴博アナウンサーが生中継で伝えます。

特別に一部をライトアップさせていただいている、飯舘復興三千本の桜。

4月16日に満開を迎え、まさに今が見頃です。

名前の通り、3千本の桜が道路沿いと山肌に咲き誇る姿、18日撮影した日中の空からの映像です。

約7ヘクタールの敷地に、ソメイヨシノや河津ザクラなど20種類以上のサクラが様々な表情を浮かべています。

19日も日中は多くの人が訪れ、桜並木をゆったりと歩いて春の風を感じていました。

圧巻の3千本のサクラ、実は、ある夫婦が家族と共に1本1本大切に植えてきました。

サクラを植えた、飯舘村出身の会田征男さんと妻のツタ枝さん。

■飯舘村・会田征男さん(80歳)

「自宅を作ったときに裏にサクラを植えましょうと始まったのがきっかけ」

26年前、新居を彩るために植え始めた桜。

故郷に花の名所を作りたいと、家族みんなで桜の木を植え続け、いつしかその数は1千本を超えました。

■飯舘村・会田征男さん(80歳)

「夢中になってね。お金のことなんて頭になかったから…この(3千本)の桜を作ることが夢という思いがあって」

その夢を一緒に追いかけた、長男の正善さん。

2004年、交通事故で、帰らぬ人となりました。

正善さんにも空の上から見てほしいと、植樹を続け、東日本大震災後、桜は3000本を超えました。

それを記念して建てられた石碑には正善さんの名が刻まれています。

■飯舘村・会田征男さん(80歳)

「花見に来てくれよという気持ちで名前を書いた」

■飯舘村・会田ツタ枝さん(78歳)

「マー君いるでしょ?お母さんとお父さんだよ!見てる?ちゃんと返事してよね!」

26年間、桜を植え続けた会田さん夫婦にお話を伺いました。

Q.家族みんなで植え続けた3千本の桜今年も立派に咲いています。改めていかがですか?

■飯舘村・会田ツタ枝さん(78歳)

「いままでに無く、本当にきれいに咲いてくれて…息子も「こんなにいっぱい咲いたのか!」と言っていると思います。本当にありがたいです。」

Q.飯舘村は、震災後、いまだに一部が帰還困難区域となっています。この3千本の桜には、どんな飯舘村になってほしいと願いを込めていますか?

■飯舘村・会田征男さん(80歳)

「震災と原発事故があり、一度、全村避難したが、14年近くなるが、いまだ、村に戻っていない人もいるが、復興ということで、この桜を通して、村がにぎわってほしい、もとの姿に戻ってもらえればと願っています」

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