黎智英氏、勇武派を支配したかった

外国勢力との共謀罪に問われた壱伝媒集団の創業者である黎智英(ジミー・ライ)氏の裁判が4月16日に61日目を迎えた。17日付香港各紙によると、 5人目の「共犯証人」で法務補佐の陳梓華氏は、黎氏が「勇武派は組織化されておらず、計り知れない」とみており、「勇武派を率いる、あるいは支配したいと考えていた」と証言した。逃亡犯条例の改正反対運動が警察官やデモ参加者の死を伴うものであってはならず、また際限のない暴力を伴うものであってはならないというのが米国政府内部の要求であることを黎氏は知っていたという。黎氏は陳氏に勇武派の指導者たちと連絡をとり、指導チームを結成するための「仲間」を見つけるよう要請した。また『りんご日報』は「勇武小隊」の3隊と、香港理工大学事件を主導した指導者「マックス」にもインタビューした。

陳氏は2019年11月13日に黎氏から自宅での夕食会に招待されたことを回想。林卓廷・元民主党副主席、李永達・元民主党主席、李卓人・香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)元主席も同席した。黎氏は当時の逃亡犯条例の改正反対運動について意見を表明し、その中で馬鞍山の火だるま事件を強く批判した。黎氏は陳氏に犯人を知っているか尋ねたが、陳氏は知らないと答えた。他の3人も黎氏の意見に同調した。黎氏は陳氏に対し、勇武派の指導者らと連絡を取り、彼らを説得し、逃亡犯条例の改正反対運動の主な手段は平和的で非暴力的な手段であるべきだと繰り返した。彼は、陳氏が勇武派の指導者や他の若者たちにこのことを知らせることを望んでいた。陳氏は、かつて黎氏が「若者ができないなら、メディアの力を使ってやればいい。『りんご日報』が勇武派のことを報道しなければ、勇武派の影響力は小さい」と言っていたと証言した。

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