【佐橋佳幸の40曲】福山雅治「HELLO」免許皆伝!珠玉のジェフ・リン・サウンドの秘密  福山雅治の大ヒット曲「HELLO」アレンジおよびギターは佐橋佳幸

連載【佐橋佳幸の40曲】vol.23HELLO / 福山雅治作詞:福山雅治作曲:福山雅治編曲:佐橋佳幸

福山雅治との初めての仕事、「恋人」のアレンジを手がけた佐橋佳幸

佐橋佳幸が初めて福山雅治と仕事をしたのは1993年。福山の8作目にあたる両A面シングル「All My Loving / 恋人」でのことだった。発売当時ヒットチャート2位にランクし、福山にとっての自己最高順位を記録したこのシングルで、佐橋は「恋人」のアレンジを手がけた。声をかけたのは、のちに山下久美子の楽曲などでもタッグを組むことになるプロデューサー、グーフィー森。この曲をきっかけに、以降、グーフィーは佐橋をしばしば福山雅治プロジェクトで起用するようになった。1995年の大ヒット「HELLO」もそのひとつ。福山にとって代表曲のひとつともなったこの10作目のシングルでも、佐橋はアレンジおよびギター演奏を担っている。

「最初の「恋人」の時はすでに曲のデモみたいなのができあがっていて、僕はそれをただ編曲しただけだったんだけど。「HELLO」の時は、グーフィーさんと福山くんが曲作りをしている最初の段階で。すでにドラマ(フジテレビ系ドラマ『最高の片想い』)の主題歌になるというのも決まっていたんだけど、まだ曲は完成していなくて。そこに僕はアレンジャーとして呼ばれたわけです。で、アコギ持ってスタジオへ。グーフィーと福山くんが曲作りをしている場に加わった」

「なんか、本当にプライベートな小さな場所で、他にはマネージャーがいたくらいかな。そこでああでもないこうでもないってやってるうちに、僕が思いついちゃったんですよ。あの「♪じゃん・じゃん・じゃかじゃ・じゃ〜ん…」っていうイントロを。で、福山くんも “かっこいいね、その感じ” ってことになって。そのあとも、福山くんが鼻歌を歌って、それを僕がギターで弾いて。

“あ、その音がいいんじゃない?”“それはさっきの音のほうがいい”

みたいな。そんな感じのやりとりの中で出来上がっていった曲なんです」

佐橋が思いついたアレンジの秘策とは?

佐橋がギターでかき鳴らしたリフが曲の入り口となった。アレンジだけを手がけるはずが、佐橋も進行中のソングライティング・セッションに伴走する形で付き合うことになったわけだ。

「この時期の福山くんのプロジェクトは、僕に限らず、そういう曲作りの方法もふつうだったみたい。まぁ、たしかに、今だったら “コ・ライト” ですよね(笑)。この曲に関しては、曲ができていない段階で、いちばん最初にあのイントロを思いついて。そこから盛り上がって曲が完成したわけだから。で、そんなふうに曲作りが進んでいる段階で、アレンジに関しても “秘策” を思いついちゃったのね。“あ、この曲こそ、アレを試すべき曲だ” って」

“アレ” とは何か? それは、この「HELLO」という、アコースティックギターの強烈なコードカッティングをフィーチャーしたトム・ペティ風のロックンロール・ナンバーに、かつて共同作業した英国人プロデューサー / エンジニア、リチャード・ドッドから教わったサウンド作りの方法論を活用してみてはどうか、というアイディアだ。

佐橋は1993年夏にリリースされた渡辺美里のアルバム『BIG WAVE』のレコーディングの際、3曲でリチャード・ドッドとタッグを組んだ。濃密な共同作業をする中、ふたりは親しくなっていった。以前、山下久美子「TOKYO FANTASIA」を取り上げた回でも軽く触れたが、ドッドはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズやジョージ・ハリスンらとの仕事でおなじみの名プロデューサー / ミュージシャン、ジェフ・リンの片腕的存在。佐橋はそんなドッドから珠玉のジェフ・リン・サウンドの秘密をたくさん教えてもらっていたのだった。

「リチャードさんと僕は『BIG WAVE』のレコーディングの時に知り合ったんだけど、実はその前にも、彼は美里と92年のセルフカバー・アルバム『HELLO LOVERS』で仕事してるんだよね。世界中のいろんな有名プロデューサーやエンジニアに美里の曲のアレンジをお願いして、その音を日本に送ってもらって美里が歌う… という、あの時代ならではの壮大な企画アルバムだったんだけど。その時のリチャードさんのオケを聴いて、スタッフ全員で “これ、佐橋じゃん!?” ってなったらしい(笑)」

「いや、正確には僕じゃなく、僕が真似してきたジェフ・リンみたいだ… ってことなんだけどね。当時はまだ日本で真っ向からジェフ・リン・サウンドを取り入れてる人は珍しかったから。で、“佐橋くん、ジェフ・リンに詳しいの?” って聞かれたんだけど。詳しいも何も、もう、僕はことのほか詳しいじゃないすか(笑)。ジェフ・リンだったら、彼がELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)やってたときのものはもちろん、その前に在籍していたアイドル・レースやらムーブやら、そういうグループの音も全部聴いてるしね。“めちゃ研究してますよー” って言ったら、じゃ、今度リチャードさんを日本に呼んでみようよってことになったの」

絶大な信頼を寄せる相棒、石川鉄男と組めば、ほぼジェフ・リンに

もちろんリチャード・ドッドも佐橋とのコラボを快諾。ただし、もうひとりプログラマー的な人材が欲しいと要望してきた。となると、ここは佐橋が絶大な信頼を寄せる相棒、石川鉄男しかいない。

「ということで石やんを巻き込んで。で、東京のスタジオでずーっと3人で作業して。すっかり仲良くなったの。もう時効だから言っちゃうけど、その時、石やんはリチャードさんが作ったサウンドのデータをもらってさ。全部持ってるの。一緒に作った音をそのままサンプルして。つまり、リチャードさんがジェフ・リンから直伝された手法も全部わかってる。だから僕と石川鉄男が組めば、それ、ほぼジェフ・リンっていうかね(笑)」

免許皆伝。プロフェッショナルとしての腕の確かさに加えて、リチャード・ドッドも驚くほどジェフ・リンのことが大好きだった佐橋と石川。君たちにならば… と、その音作りの秘密を伝授されたのだった。ラーメン屋でいえば、 “二郎インスパイア” みたいな?

「それそれ(笑)。最後に “お前たちに教えることはもうない。全部レシピは教えたぞ” って感じで暖簾分けしていただいて。で、リチャードさんは帰っていったの。そんなふうにテクニカルな手法は教わったから、今度は石やんとふたりでそのノウハウをどんなふうに使っていくか研究を始めたんです。で、いかにもジェフ・リン・サウンドがハマりそうな曲のみならず、全然ELOっぽくない曲でもこのやり方を使ってできるよねってことがわかってきたんです」

佐橋と石川のジェフ・リン研究所。その成果をふたりはコンビで手がけた楽曲、あるいは個々の仕事現場で活かしていくことになる。山下久美子「TOKYO FANTASIA」しかり、ロッテンハッツ「WORDS OF LOVE」しかり…。

その正体はフィル・スペクターであり、ジョー・ミークであり

が、それにしても、ジェフ・リン・サウンド。誰もが憧れる音世界でありながら、その正体をなかなか掴めない不思議な存在だ。ELOのようなエレクトロポップでもあり、あるいはビートルズの未発表曲「フリー・アズ・ア・バード」のようなブリティッシュロックの究極でもあり、はたまたトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのようなアメリカンロックにも有機的にマッチする音でもあり…。が、佐橋がドッドから教わったその正体は、実はとても簡易かつ明快なものだった。

「ようするに根本はフィル・スペクターであり、ジョー・ミークであり。サウンドの “汚しかた” みたいなところはすごくジョー・ミーク的で、“奥行き” を大事にするところは完全にフィル・スペクター的。で、ジェフ・リンのいちばん面白いところは、その “奥行き” の作り方だったんだよね」

「まぁ、大滝詠一さんじゃないけど、でっかいスタジオに大勢のミュージシャンを集めて一斉にばーんっと同録するという、昔ながらの録音方法でやれば当然、部屋の鳴りも含めて奥行きが出るじゃないですか。で、さらにそこにこれでもかってぐらいエコーをぶちこんだのがフィル・スペクター・サウンドだったわけですけど。ジェフ・リンは、スペクター的な奥行きやエコーを擬似的に、現代の手法でやることを発明した人。つまり、20人も30人もミュージシャンを呼ばなくてもあのサウンドができる方法を考えた人なんです。すごいよね。リチャードさんとの仕事でそれがわかってから、僕と石やんはそういう実験をずっとやってて。もう、楽しくて楽しくてしょうがなかった。そんな時期に来た仕事のひとつが、この福山くんの曲だったんです」

ⓒ Richard Dodd

リチャードさん直伝のジェフ・リン・サウンドの秘密

佐橋と石川は当初、ふたりで作り上げる打ち込み中心のバックトラックを想定していた。が、最終的には福山サイドからのオファーで打ち込んだデータをひとつずつ生楽器に差し替えてゆくことになった。

ドラムは打ち込みのままだが、ベースは美久月千晴、ティンパ二などのパーカッションは大石真理恵、サックスは山本拓夫、そしてギターは佐橋、コーラスは佐橋と斎藤誠。もともとの打ち込みヴァージョンもドッドの教えに則ったジェフ・リン・サウンドに仕上がってはいたのだが、生楽器に差し替えることによって1980年代末にジェフ・リンとトム・ペティががっちりタッグを組んで生み出した痛快なアメリカンロック・サウンドにより近づいた。

「ひとりずつ “はい、次の患者さんどうぞー” みたいな感じでスタジオに来てもらってバラバラに録音したの。だから合奏はしていない。なのに、あたかもみんなで一緒に演奏してグルーヴしているみたいな感じをやってみたかった。かなりトリッキーではあるけれど面白い試みだったと思う。いちばん気に入ってるのは、拓夫くんのサックスソロかな。この曲ではアドリブっぽくはやりたくない、歌の流れから歌えるような決め打ちのフレーズにしたいということを最初に伝えて。拓夫くんと何回も相談しながらフレーズを細かく作っていったの」

「それには理由があってね。まず最初にふたりで決めたソロを吹いてもらって録音するでしょ。そしたら次に、まるっきり同じフレーズをユニゾンで吹いてもらうの。で、ユニゾンを録る時はマイクをおっそろしく遠くに立てる。そうすると、サックスの音自体はマイクまで届かなくて、響きだけしか録れないの。わかる? で、その “響き” を最初に録ったテイクと重ねると、それがエコーになるんだよ。ジェフ・リンはそうやって “奥行き” を出していたの。これがリチャードさん直伝のジェフ・リン・サウンドの秘密なんだ」

ジェフ・リンの奥義が生かされている「HEAVEN」

「HELLO」はヒットチャート初登場1位を記録。その後、累計で187万枚超を売り上げ、福山の代表曲のひとつとなった。その後も引き続き佐橋は福山作品に参加。ちょっと意外にも思えるが、ラテンフレーバー溢れる1999年のシングル14作目「HEAVEN」でのアレンジにもリチャード・ドッドから伝授されたジェフ・リンの奥義が生かされている。

「ラテンっぽい曲だからサンタナ調で… みたいな安易なアレンジはいやだなと思って。で、これも石やんと考えて、こういう曲の場合、グルーヴの中心になるのはいわゆるラテンのツー・スリーの… ふつうはクラベスが刻むリズムなんだけど。それを、いわゆる60’sのゾンビーズとかビーチ・ボーイズがやりそうなコンボ・オルガンで弾いているのがミソ(笑)。当時、柴田(俊文)が持っていた古いVOX社のオルガンを持ってこさせて、古いアンプにつないで録った記憶があるな。こういう発想も、実はジェフ・リンを研究しているうちにどんどん磨かれてきたんだよね」

「ジェフ・リンのサウンドを追求していくとどんどん昔の音楽を掘っていくことになるでしょ。だからオレ、この時期ものすごくたくさん昔の音楽を聴いてた気がする。アメリカのライノ・レコードが出しているような、いわゆるナゲッツ系のオールディーズコンピもいっぱい買ってさ。“あ、この曲、今だったら何か違う手法に置き換えて面白くできるんじゃないかな” みたいな。だから「HEAVEN」でのアイディアも、カウシルズか何かの曲を聴きながら思いついた」

「僕なんかは70年代半ば以降の音楽がリアルタイムの世代で。それ以前の音楽も、まぁ、それなりに有名なものは聴いてはいたけど。リチャードさんとの出会いが、古いものをあらためてちゃんと掘ってみようと思うきっかけになりました。“ブライアン・セッツァーみたいに弾いてよ” って言われたら、ストレイ・キャッツふうの演奏をそのまんまやるんじゃなくて、カール・パーキンスまで遡ってみる… みたいにね。そういうことをちゃんとやった時期でした」

次回【佐橋佳幸の40曲】につづく(4/27掲載予定)

カタリベ: 能地祐子

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