「W杯取材に欠かせないタクシー運転手との会話」(2)地元デンマーク料理に負けない米国発ステーキハウス

シカゴでの開幕戦、ドイツ対ボリビア戦のチケット。提供/後藤健生

最近のテレビでは、地元をよく知るタクシー運転手に穴場的な食事処を教えてもらう番組が人気だ。蹴球放浪家・後藤健生は、そのさきがけかもしれない。ワールドカップの取材における“妙味”を、地元のタクシー運転手から伝授されていたのだ。

■ユルゲン・クリンスマンの「ゴール」でドイツ勝利

開幕戦ではアクレディテーション・センターのコンピュータがダウンするという事故(「蹴球放浪記」第101回「ペレのおかげでシステム障害発生」の巻参照)もありましたが、開幕戦はユルゲン・クリンスマン(韓国代表前監督)のゴールでドイツが1対0で勝利して無事に終わりました。

翌日、僕はニューヨークでのイタリア対アイルランド戦を観戦するために、シカゴのオヘア空港にタクシーで向かいました。

そうしたら、タクシー・ドライバーが教えてくれました。

「見ろ、ここの右側にO・J・シンプソンの自宅があるんだぜ」と。

それから、ドライバーは延々とシンプソンの話題について語ってくれました。こちらは、あまり興味ないんですが……。

普通、ワールドカップ開催国で外国人がタクシーに乗ったら「どこの国から来たのか」とか「どこが強そうだ」とか「昨日の試合はどうだったか」とか、ワールドカップの話題になるはずです。まして、こちらは大会のアクレディテーション・カード(大会身分証)を首からぶら下げているんですから……。

しかし、この国ではドライバーの話題はあくまでもO・J・シンプソンなのでした。

■ブエノスアイレス郊外に「隠れ住んだ」戦犯

「蹴球放浪家」としては、ふだんはタクシーではなく、公共交通機関を利用しています。しかし、アメリカは車社会。タクシーを利用する機会も多くなりました。

O・J・シンプソンの自宅はたまたま僕にとってはどうでもいい話題だったのですが、一般的にタクシー・ドライバーとの会話は貴重な情報源になることがあります。

アルゼンチンで「あそこがアドルフ・アイヒマンが隠れ住んでいた家だ」と教えてくれたのも、タクシー・ドライバーでした。

第2次世界大戦中にナチス・ドイツの秘密警察「ゲシュタポ」のメンバーとしてユダヤ人虐殺を行ったアイヒマンは、戦犯として拘束されますが、その後、逃亡してブエノスアイレス郊外に住んでいました。しかし、1960年にイスラエルの情報機関「モサド」によってイスラエルに連行されて死刑判決を受け、処刑されました。

この有名な事件のことには興味があったので、このときはタクシー・ドライバーの情報に感謝したというわけです。

■デンマークの首都コペンハーゲンの「美味」

タクシー・ドライバーは地元の美味しいレストランのこともよく知っています。

2002年の日韓ワールドカップの直前にデンマーク対カメルーンの準備試合を見るために、コペンハーゲンを訪れたときのことです。

コペンハーゲン中央駅で某公共放送の有名アナウンサー、Y本浩さんとばったり出会ったのです。昼時だったので「なんか食べに行こう」ということになって、タクシーに乗って、ドライバーに「美味しいレストランに連れて行って」と頼んだのです。

地元で有名なデンマーク料理を食べるつもりでした。

ところが、ドライバーが連れて行ってくれたのはテックス・メックス(メキシコ風のアメリカ料理)のステーキハウスだったのです。ドライバーはアフリカ系。おそらく、エチオピア人のようでした。

こうして、僕とY本さんは、コペンハーゲンで美味しいステーキに舌鼓を打ったというわけです。

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