戦争末期の”最強”戦闘機「紫電改」国内唯一の実機展示館が建替えへ、資材費高騰で規模縮小も...平和を受け継ぐためのコストとは?

(*今後の検討や協議によって内容が変更される可能性があります)

太平洋戦争末期、日本の技術の粋を集めた最新鋭の戦闘機が本土防空を目的に日本の空に登場した。

格闘戦に優れ、強力な武器を備えた「紫電改」だ。

ゼロ戦の2倍の2000馬力、最高速力は時速630キロ。ゼロ戦が戦争初期に海外で抜群の性能を発揮したのに対し、紫電改はB29による本土空襲が激しさを増す中、日本の空で防空を担った。

現在、紫電改の実物は世界に4機しかない。日本では唯一、四国愛媛の最南端、愛南町の『紫電改展示館』で見ることができる。

展示館は老朽化などのために全面建て替えが決まっている。しかしインフレによる建設資材の高騰などのために費用が見通しから増加、規模縮小などの見直しを迫られている。

【南海放送オピニオン室 江刺伯洋】

アーティスト、山下達郎さんは愛媛・松山空港が近づくたびに「紫電改の搭乗員、343航空隊の訓練基地だ」と平和への想いを馳せながら地上に降り立つ、とインタビューで語っていた。

太平洋戦争終盤1944年末になると本土への激しい空襲が予想され、海軍は開発を進めていた”最後で最強”の戦闘機、紫電改を実戦に投入、優秀なパイロットを集めて343航空隊『剣部隊』を構成した。その最初の基地があったのが松山空港だ。

「米軍と互角以上の戦いをしていたのは、大戦末期においてきら星のような存在でした」(紫電改展示館HPあいなんからの祈り)

しかし、紫電改の製造機数はわずか400機。最後で最強の戦闘機は終戦後、飛行場で焼却処分された。きら星のように輝いたのはわずか8か月間、幻の戦闘機となった。

現在、アメリカに3機、日本に1機残るのみだ。

松山空港から車で約3時間、愛南町には「海に戦闘機が墜落したのを見た」という複数の証言があった。足摺宇和海国立公園に指定された美しい海は、町の自慢だ。

終戦から33年後、偶然、ダイバーが海底41メートルで戦闘機を発見した。「プロペラが4枚あった」という事実が、紫電改の可能性を高めた。ゼロ戦は3枚だ。

調査で1945年7月24日、豊後水道上空で空中戦を行った21機の紫電改のうちの1機であることが判明。交戦相手は高知沖の機動部隊から呉軍港を空襲しようと飛び立った約200機の米軍機。紫電改は10倍の相手と闘い、6機が帰ってこなかった。海底で発見されたのは、そのうちの1機だった。

発見の翌年、ご遺族が見守る中、愛媛県によって引き揚げが行われた。しかし機体には遺留品も遺骨もなく、誰が操縦する紫電改だったかは分からなかった。

「もはや誰が乗っていたかは問題ではありません。みんなの記念であると解釈しています」(ご遺族の言葉・紫電改展示館HPあいなんからの祈り)

引き揚げられた紫電改を展示する『紫電改展示館』が1980年オープンした。そして開館から半世紀が近づき老朽化が進み、建て替えが決まった。

新しい展示館のコンセプト案は「引き揚げられた紫電改、伝える史実、考える未来」。2026年の完成へ向け検討委員会が構成され、私もメンバーに加わっている。

実は4回目の会合で気になる報告があった。これまでの議論から少し方向転換が必要だというのだ。インフレに伴う建設資材の高騰や移設費用、さらには機体の補強などのため、費用が当初の計画から増加傾向にあるという。そのために規模の縮小が必要というのだ。

※今後の検討や協議によって内容が変更される可能性がある

予算には限りがあり、やりたいこと(理想)、やれないこと(現実)の最大公約数的な落としどころを探らなければならない。

大事なのは"来館者がどう感じるか?”ではないか。一過性でなく、何度も来てもらえるような施設にするにはどうしたらいいか。特に、紫電改をよく知らない人に、どうすれば来てもらえるか?あまり押し付け過ぎると、若い世代には敬遠されかねない…とも思う。

※今後の検討や協議によって内容が変更される可能性がある

新しい展示館は、紫電改が引き揚げられた海を臨む場所に位置し、海側を全面のガラス張りにした正三角形のデザインとなっている。

来館者は、2階の入り口から入るとまず様々な展示物を目にし、例えば海軍航空隊最強部隊ともいわれた「剣部隊」の隊員と、松山市内にあった食堂の女将との心温まるストーリーなどを知ることができる。

下の階に降りると紫電改の実機が現れる。来館者の思いは様々だろう…。物資は困窮し、工場は焼かれ、食うや食わずの生活の中、なぜ紫電改の様な世界に通用する先端技術の”塊”を創りえたのか?この戦闘機を駆って、200機の米軍部隊に向かった若者はどんな若者で、どんな気持ちだったのか?

こう考えると、広さやお金の問題は制約条件かもしれないが、決して乗り越えられない問題ではないし、大切な問題は別のところにあるようにも感じる。

紫電改とその紫電改に関わる事実を残し、伝えるという原点を、さらに磨き上げるべきではないか。それ以上、あるいはそれ以外は来館者を信頼して、委ねる。そして愛南町の海で亡くなった若者が見た海や空は、出来ればその当時のままであって欲しい。

展示されている紫電改のプロペラは曲がっている。ご遺族から「なるべく引き揚げたままの状態で保存していただきたい」(紫電改展示館HPあいなんからの祈り)との要望に応えたものだそうだ。

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