“プロ野球死亡遊戯”中溝康隆「ジャイアンツの優勝には菅野投手が必要」

デザイナーとして活動する傍ら、プロ野球について書いたブログ『プロ野球死亡遊戯』が7000万PVを記録。その後、2014年からライターとして活動を始めた“プロ野球死亡遊戯”こと中溝康隆氏。

栗山英樹・小林繁・西本聖・矢野燿大など、ピンチをチャンスに変えたプロ野球選手30人を記した『起死回生 逆転プロ野球人生』(新潮新書)を発売した中溝に、ニュースクランチ編集部が執筆の経緯から今年のプロ野球界、さらにライターとしての矜持まで聞いた。

▲中溝康隆【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

大谷翔平選手にはない魅力を持つ選手たち

「以前、同じ新潮社さんで『現役引退』という本を発表したんですが、それは長嶋茂雄さん、原辰徳さん、清原和博さんなど、皆さんがご存知の有名な選手の、皆さんが知らない引退前、最後の1年にフォーカスした作品でした。それ以外にも、令和では話題にならない選手にも面白いエピソードはある、それを紹介したかったのがまずひとつ。

もうひとつは、プロ野球選手にとっての移籍は、会社員でいうと転職や転属に近いものがあるんじゃないかなと思ったんです。僕自身、サラリーマンを十年間やっていたのですが、そのあいだに4回ほど転職してるんです。

新しい職場に行くという期待と不安の心持ちや、以前の職場でのプライドなどを捨てなければいけないという心境は、プロ野球選手にも通ずるものがあるんじゃないか、そう感じていました」

新刊『起死回生 逆転プロ野球人生』執筆の経緯について尋ねると、中溝はそう説明した。彼自身、デザイナーとしてサラリーマンを経験し、脱サラしてライターとなった経緯を持つ。

「プロ野球選手にとって、トレードは必ずしも良いものとは限らないんですよね。会社員でいうと、左遷に近いこともある。調べてみると、何年もプレーした球団から電話一本で呼び出されてトレードを告げられた例がよく出てくるんです。

サラリーマンを経験した方ならわかると思うんですが、基本、人事って理不尽じゃないですか(笑)。そんなやりきれない思いを抱えて新天地に行った選手が、そこから人生を逆転させるというのは、面白いテーマだなと思ったんです」

このテーマで執筆してみて、新たな意義に気づいたこともあるらしい。

「この本に登場する選手が主に活躍していた80~90年代の情報は、ネットで調べても出てこないことが多いんです。選手を多角的に検証しようとすると、当時の『週刊ベースボール』などの雑誌を掘ったりしないといけない。

そうして調べていくと、例えば……千葉ロッテマリーンズの監督をしている吉井理人さんが寮を出て、当時、所属していた近鉄バファローズの本拠地、藤井寺球場の近くにマンションを借りて、そこで休みの日はギターを弾いていた、みたいな情報が出てくる。“あ、プロ野球選手も自分とそんなに変わらないんだ”と気づくんです。それを読者に伝えたいという想いも芽生えました」

中溝には近年のプロ野球界に対する世間のイメージに対して、違和感を覚えることがあるそうだ。

「プロ野球選手、イコール超人であるとか、聖人君子であるべしとか、そういう風潮がちょっと強いですよね。20代~30代の元気な若いお兄ちゃんがお金もあるなら、そりゃあ遊ぶでしょと。ストイックと報じられる海外自主トレで、じつは現地でナンパした日本人観光客の女の子と結婚した選手だっている(笑)。

もちろん、令和では昔のような無茶な遊び方は世の中から許容されませんが、選手も僕らと変わらない部分もあるよ、というのは文章で伝えたいと思いました。そういう心づもりで見ていないと、何かスキャンダルが出たときにガッカリしちゃうじゃないですか」

大谷翔平選手は球史に残る素晴らしい選手です、と前置きをしつつ、中溝はこう説明した。

「極論ですが、僕は大谷翔平というプロ野球選手を語るときに、活字は必要ないと思ってるんです。どんな記事を読んでも、どんなインタビューを見ても、大谷選手のフリーバッティングの動画という圧倒的な説得力にはかなわない。それに比べて、この本に出てくる多くの選手は、映像以外のところを補完して読む、という魅力があるんじゃないかと改めて思いました」

▲大谷翔平選手が歴史に残る素晴らしい選手なのは間違いないです

取材しても当時のギラギラした言葉は出てこない

今回の『起死回生』のほかにも、落合博満選手の巨人軍での3年間を追った『巨人軍と落合博満の3年間』や、“勝っても、負けても、いつの時代もプロ野球球団はファンに猛スピードで消費されていく”という言葉とともに、黄金時代、暗黒期を含め、球団のある時期にスポットライトを当てた『すべての球団は消耗品である』など、中溝の書くものには、テーマが変わったものが多い。

「まず、自分が読みたいと思うもの、そして今の世の中にあまりないもの、というのを意識してテーマにしています。先ほども言った通り、1980年代や90年代の出来事について、ネットに落ちている情報はすごく表層的です。そこを書くために御本人や当事者に取材に行く、というのも手法としてありますが、僕は取材しても出てこないような当時の言葉に興味があるんです。

『Number Web』で連載している『巨人軍と落合博満の3年間』では、信子夫人のコメントをよく引用していますが、あのギラギラした発言は今だと出てこないんじゃないかと思ってます」

それでは、「起死回生」というテーマで書かれたこの本で、中溝が特に思い入れのある部分はどこになるのだろうか?

「先ほど名前が出た小林繁さんや西本聖さんが書かれている第三章“古巣へのリベンジ”は、この本で一番感情的な章で、書いていても気持ちが乗っていて、特に思い入れがあります。

西本さんも本当にジャイアンツを愛していたのに、ライバルであった江川さんが引退し、自身も世代交代の波に飲まれて、ドラゴンズへトレードされてしまいます。それまで一匹狼と言われていた男が、古巣を見返すために、ドラゴンズではジャイアンツ時代にやらなかった麻雀でチームメイトに溶け込もうとする。そのキャラ変更にもグッとくるんです」

中溝には、プロ野球選手について書くときに意識していることがあるという。

「そのキャリアを全て書こうとすると、どうしても事実の羅列になってしまって“だったらWikipediaを読めばいいじゃん”になっちゃう。そうじゃなくて、最初に起承転結を決めて、最後は静かに消えていくような読後感を目指しています。

特に、この本はモデルとなる選手がエモーショナルなので、書き方に気をつけないと濃厚な豚骨ラーメンになってしまう。1杯だと美味しいですが、それが続くと食傷気味になってしまうので、ある種の客観性は消さないようにしました」

糸井重里に“見つけられて”プロになる

脱サラをして始めたというライター稼業。そもそもの始まりはどういうものだったのだろうか。

「プロ野球死亡遊戯のブログは2010年なんで、もう14年前。当時は30歳を過ぎた頃で、デザイナーをしていたんですが、もう自分はデザイナーとして伸びしろがないなと。でも、FAをするような実績もない、“俺をトレードに出してくれ!”みたいな心境だったんですけど、そんなことがあるはずもなく(笑)。書くことくらいは自分でもできるかな? と思ってブログを始めました。

やはり、当時の制作系の仕事はブラックなのが当たり前。そういう所で働きすぎて、精神的にも肉体的にもツラかったので、4社目は職場環境や金銭的なことではなく、あまり残業もない、納期も厳しくない、そういう職場を選んで転職しました。

その会社に行ったことで、時間に余裕ができて、20代ではほぼできなかったプロ野球観戦を楽しめるようになり、それがプロ野球死亡遊戯につながるので。20代の自分だったら、ブログを書く時間もとれなかったと思います」

それまで記者経験のない中溝が、プロ野球で一番の人気球団「読売巨人軍」をテーマにしようと思った理由。そこには、幼少期からずっと野球と巨人が好きだった、以外にもあるようだ。

「野球について書こうと思ったのは、きちんとした理由があったんです。当時はいわゆるスポーツライターと呼ばれるような仕事でも、野球というジャンルはみんな50歳を越えている方々ばかりだったので、ここに30代の自分が世代交代というアングル(筋書き)もできるな、と。

じつは、大学浪人中に雑誌企画の『Eメール文学賞大賞』というのに選ばれて賞金5万円をいただいたことがあって。18歳の5万円って大金じゃないですか。結局はデザイナーとして就職したんですけど、“普通の人よりは書けるんじゃないか”という甘い考えがあって(笑)」

こうしてブログ執筆からライター活動を始めたが、最初からうまくいったわけではない。

「『スポナビブログ』で書いていたんですが、日に5万PVとかになって読者が増えるにつれて、今のヤフコメの比にならないくらいコメントでの誹謗中傷がすごくて……それにまず心が折れかけたんですが、“これは仕事だ”と思うことで続けられてました。

でも、いかんせん、全くの素人がブログを書き続ける以外で“仕事にする方法”が見つからず、途中、ある会社に“専属ライターとして契約をしませんか?”と逆オファーしたんですけど、“この文体じゃ厳しいね”とか言われたりしていました。

そんな僕の転機は、プロ野球死亡遊戯が糸井重里さんの目に止まったこと。『野球で遊ぼう。』という東京ドームのイベントで、パンフレットにコラムを書いてみないか? とオファーをいただきました。プロになる、という最初のきっかけをくれたのは、確実に糸井さんや『ほぼ日』さんのおかげなんで、本当に感謝しています」

▲糸井重里さんに“見つけられて”プロになりました。

原辰徳不在の野球界を書けるだろうか…?

今年もプロ野球が開幕したが、毎年現地でも多く観戦する中溝の“2024年、注目すべき選手”に興味が湧いて聞いてみた。「ジャイアンツとそれ以外で一人ずつお願いします」という言葉を添えて。

「ジャイアンツでいうと、菅野智之投手でしょうね。最近はエースは戸郷投手だとか、ルーキーの西館投手がいいねって言われて、菅野投手の存在が無視されている。でも、ジャイアンツの優勝には、菅野投手の復活が必要不可欠なんです。

逆に言うと、このまま菅野投手が落ちていってしまったら、現役生活も長くはないだろうと。なので、個人的には菅野・坂本・丸、この世代がもうひと頑張りしないと、ジャイアンツはしんどいんじゃないかなとファンの目線で見ています。

ジャイアンツ以外に目を向けると、ホークスからライオンズに、山川穂高選手の人的補償で移籍した甲斐野 央(かいの・ひろし)投手に注目しています。やはり今年のオフ、山川選手とともに一番注目された選手じゃないかと思いますし、プロ野球ファンの多くが甲斐野投手の2024年に注目しているんじゃないでしょうか。小林繁投手のようにすごいハネ方をするかもしれませんよね」

では、これまでも多くの選手をテーマに執筆してきた中溝の、一番思い入れのあるプロ野球選手は誰なのだろうか。

「原辰徳前監督ですね。以前、『原辰徳に憧れて -ビッグベイビーズのタツノリ30年愛-』という本を出したこともあるくらい。ですので、愛を込めてタツノリと呼ばせていただきますけど(笑)、タツノリの甥っ子である菅野投手は、まさに今年が自立の年。いわば、野球選手として親離れできるかどうかなんです。

僕自身、昨年の最終戦でのセレモニーを東京ドームで見て、長い同棲生活を解消したような、そんな感傷的な気持ちになって。現に、仕事場に戻って部屋を整理していたら、タツノリとの思い出の品(グッズ)がたくさん出てきました(笑)。

阿部新監督は同い年ということもあって、“同い年がジャイアンツの監督をするのか……”という感慨もあれば、僕自身、タツノリ不在のなかで書き続けられるんだろうか、という喪失感もあるんです。

前回、辞めたときは“どうせまた帰ってくるんでしょ”と思ってたんですけど、今回は本当に菅野投手も僕も、タツノリから親離れしないといけない。他球団から有望な選手を“巨人を強くするため”強奪するような、そんなタツノリ的な手法はもはや古いのかもしれないとすら思ってます」

プロ野球選手として、中溝に大きな影響を与えたのは原辰徳。それでは、ライターとしては誰の影響を受けているのだろうか。

「村上龍さんの文体には影響を受けていると思います。『走れ!タカハシ』という高橋慶彦選手を軸にした短編集もありますが、村上龍さんの言い回しや、句読点が少ないテキスト、『全ての球団は消耗品である』というタイトル……それこそ、ビートルズをコピーするロック少年のごとく、僕はブログ時代に村上龍さんの文体をコピーすることから始まってます。

自分の文章でいうと、当初の頃よりは表現が真面目になってると思うんです。それは表現の規制もあれば、時代の移り変わりもある。でも、そこを意識して書きすぎると、選手がどんどん神格化されていってしまう。だって、ベンチでスタンドを指さしながら“あの子、可愛いよね”とか言ってるはずですから(笑)。だから、野球選手も僕らと同じで、下世話な下ネタも話してると思うよ、というスタンスは崩したくないですね」


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