10-FEET TAKUMA チバユウスケへの思い「ずっと心を支える音楽」 遺作『EVE OF DESTRUCTION』に触れて

2023年11月26日、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)やThe Birthdayとして活躍したチバユウスケさんがこの世を去った。享年55歳。世界中で大ヒットを記録した映画『THE FIRST SLAM DUNK』のオープニング主題歌「LOVE ROCKETS」を担当したことでも話題を振りまいていただけに、往年のファンはもちろん、冒頭にベースラインから始まり、ギターリフやチバユウスケさんの歌声が象徴的に使われる映画を観た人からのショックも大きかった。

そんなチバユウスケさんの死去へのロスが続いていた昨年2023年の紅白歌合戦。同じく映画『THE FIRST SLAM DUNK』でエンディング主題歌『第ゼロ感』を担当し演奏したのが10-FEET(テンフィート)である。その紅白歌合戦において『第ゼロ感』パフォーマンス中に「チバユウスケ」とシャウトした姿で多くの人々に強烈なインパクトと感動を与えたことも記憶に新しい、ボーカル/ギターのTAKUMA氏にインタビューを敢行。チバユウスケ氏への出合いからエピソード、それにチバ氏のレコード・コレクションと“音楽愛”を凝縮した話題の書籍『EVE OF DESTRUCTION』(ソウ・スウィート・パブリッシング )の魅力など、しっかりと質問に対して一つひとつの言葉を考え、時に当時を思い出し熟考し、自分の“言葉”として紡ぎ出しながらチバユウスケさんへの思いを真摯に語っていただいた。

■僕の中にあるネガティブな部分と共鳴した

――まず、チバさんの音楽との出会いを教えてください。

TAKUMA:僕はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTは結構後追いやったんですけど、最初にじっくり聴いたのは「GT400」だったと思います。確かテレビでミッシェルが演奏してたのを観たのが最初の出会いで。それから「エレクトリック・サーカス」とか「ブギー」とか、メジャーどころの曲をよく聴いていました。

――同じボーカリストであり作詞家でもあるTAKUMAさんから見て、どんなところに惹かれたんでしょう?

TAKUMA:今思えば、チバさんの音楽が僕の中のネガティブな部分にすごく共鳴したんですよね。ロックとかパンクって、応援ソングじゃないですけど、「元気出そうぜ、頑張ろうぜ!」みたいな、わかりやすいものが多いなと思っていたんですけど、チバさんの音楽は、なんかこう……辛いことあるけど頑張ろうぜ、じゃなくて、「辛いことあるんだよな~」って言ってるだけの感じがして。だから素直に聴けるというか。

人の性格はいろいろあって、辛い状態にもいろいろある中で、真正面からの前向きな言葉はときに痛かったり、幼稚臭く聞こえたり、お前に何がわかんねん!って思ってしまうところがたまにあるんですけど、チバさんは「いやあ、よくわかんないけど、どうせ最悪なんでしょ」「まあ、俺もなんだけど、しょうがないよね。飲む?」みたいに言ってくれてる感じがして。近しいけど、ベタベタしてないような距離感を曲からすごく感じたんですよね。

――「GT400」にも「ブギー」にも、まさにそんな感覚があると思います。今言っていただいたような共鳴は最初からあったんでしょうか。

TAKUMA:…………いや、最初に触れた頃は、あまりわからなかったんですよね。それが「GT400」とかを聴きながら、「こういうことをこういう風に歌う!?」ってだんだんわかっていったのと同時に、「あ、チバさんって、こういう人やったんや」っていうのが、なんとなく感じ取れてきて。僕も歌詞や曲を書いたりしてますけど、チバさんの音楽に対しては「違うバンドの人やし」とか「流派が違う人やし」とか、そういうことを全然感じずに聴いてましたね。

――なるほど。

TAKUMA:それも、表現がかっこよかったっていうのが一番大きかったんですけど。自分にとってかっこいいものって、よくわからんものが多かったんです。(ミッシェルの曲には)めちゃくちゃ熱量を感じるし、強い想いもそこにありそうやけど、ある意味、深い意味はないっていうのが、自分にめっちゃ深く刺さってました。別にスカスカしてるわけではなくて、むしろ鉛の塊のようなロックな意志が存在してそうやけど、そういうものをぶつけるというよりは、ただその場で激しく渦巻いて燃え上がってる炎みたいな感じ……だからクールかって言われるとそうじゃないんやけど、熱いっすよねっていう感じでもない。それが自分に刺さったと思います。

――当時のTAKUMAさんは、何に苦悩を感じ、チバさんの音楽によってどう感情が動いたのでしょう?

TAKUMA:…………なんやろね。当時は今より、もっともっと若くて無知で未熟だったなと思うんですけど、精神的なストレスとか憤りを抱えながら、頑張って歌詞を考えて書いたりしてたから、「自分はそれなりに入り組んだことや深いことを考えられている人間や」と思い込んでいて。「ある程度のことは経験できたし、音楽のこともだいぶわかってきたんちゃうかな」っていう、やり尽くした感があったんですよ。自分が求める表現力のさらに先を行っている人は果たしているんやろうか……って。そんなとき、チバさんがバンッと現れた。「まだまだすごい人がいるねんな……自分なんかまだまだ小学校2年生くらいの感じやったわ」と思うくらいの衝撃でしたね。相談できるのかって言ったらできるわけもなく、きっと相談してもあんまり答えてくれなさそうやけど(笑)、チバさんの音楽から「自分次第でこの先まだまだ行ける」みたいな、考え続ける意義を得ることはできたかなと思ってます。

■チバさんの音楽は「心の支え」のように聴いていた

――それは10-FEETで言うと、どのくらいの時期に一番強く感じていましたか?

TAKUMA:『VANDALIZE』を作ったあたり、2007~2008年くらいですね。その前からミッシェルは聴いてたんですけど、当時は心の支えのように聴いていました。

――2007~2008年というと、10-FEETの主宰フェス『京都大作戦』が始まり、『VANDALIZE』でミクスチャーバンドとしてのオリジナリティをもう一段階追求している時期だったと思います。直接的ではないにせよ、何か参考になるものがあったのでしょうか。

TAKUMA:一通り(音楽を)掘り終えたと思ってたら、まだまだ掘り終えてないことに気づいたので、それが一番大きかったかな。単純にかっこいい音楽を聴いて影響されて、音楽が作りたくなりました。ドキドキ、ワクワクするような向上心が一度燃料切れになりそうなときやったから、すごくいいときにミッシェルを聴けてたなと思いますね。あと参考ってことで言うと、ずっと聴いていたミッシェルが、今さらながら「すごいな」と思うことがあって。

――例えば?

TAKUMA:…………言葉の使い方ですね。チバさんの書くすべての曲の「語呂」がいいんですよ。けど、とにかく語呂に合う言葉だけを選んでるのかって言ったらそうではなくて、確固たるチバさんフィルターみたいなものを通したこだわりと好みが、曲のポイントになっているなと感じました。例えば 「ゲット・アップ・ルーシー」やったら、「タッ・タッ・タラ」という音に合っててある程度かっこいい言葉なら何でもいいわけじゃなくて、もうそこは絶対「ゲット・アップ・ルーシー」っていう言葉じゃないといけないんですよ。本人に聞いてないからわからないですけど、いろんなタイプの聴き手を想定しているかのごとく、ミッシェルの曲は誰にとってもかっこよく聴こえる部分があったりする。そういう言葉を書く感覚を、持ってはる人やったと思いますね。

――『Chicken Zombies』リリース当時のインタビューで、インタビュアーから「チバさんの歌詞は、大体8割がリフみたいに尖っていて、残り2割はそうではないもので書かれている」といった旨を指摘されて、チバさんが「なるほどねえ!」と納得している場面があって。「ゲット・アップ・ルーシー」とか、「スモーキン・ビリー」の〈“愛という憎悪”〉とかもリズミカルでかっこいいし、その上でチバさんにしか書けない言葉になっている。

TAKUMA:「なるほどねえ!」って言ってる姿、想像つくなあ(笑)。ほんまにそういう言葉を書いてますよね。

■遺作となった書籍『EVE OF DESTRUCTION』から見えるチバユウスケのルーツ

――『EVE OF DESTRUCTION』を読んでいると、チバさんのルーツにはパンクやガレージだけではなく、レゲエやスカといった音楽からの影響が大きいこともわかります。10-FEETもレゲエやスカを取り入れた音作りをされていますが、音楽的なルーツに共通点を感じたりしますか?

TAKUMA:「チバさんレゲエ好きなんや」「スカに興味あんのかな」って思ったのは、ミッシェルを聴き始めてからだいぶ後なんですよね。ミッシェルはミクスチャーのアプローチじゃなかったから、あまり共通点には感じなかったです。ただ、チバさんの場合は、ルーツになってるオリジナルの音楽に対して愛やリスペクトがめちゃくちゃあるだろうなと感じているんですけど、だからと言ってそのリスペクトや愛の純度と、音楽表現の純度って比例していないような気がしていて。

――というと?

TAKUMA:本当のルーツのレゲエやスカのコード進行はこうで、ストロークはこうで、ベースはこういうノリだろう……ということはやってないんですよ。もっと「俺たちがスカやるならこうだろう」とか、「このレゲエって実はジャマイカだけじゃなくて、歴史の中で白人とも繋がりがあって、だから俺はこういう表現してるんだよ」みたいな。なんて言うのかな……ミートソーススパゲティに対するリスペクトじゃなくて、その前段階の、トマトやひき肉に対する愛とリスペクトを持ちながら、人種とか関係なく“チバユウスケ”としての純度でやっているように聴こえるんですよね。〈嵐で見えやしねえ〉(「ジェニー」)とかもアイリッシュっぽいんだけど、もっとチバユウスケにしかない“血”で演奏している感じ。ルーツになってる民族の音楽も、そうやって“血”で鳴らされてたんだよっていうところまで持っていってる気がしますね。

――なるほど。めちゃくちゃ面白いです。10-FEETにもそういうルーツとの向き合い方はあるんじゃないでしょうか。

TAKUMA:…………うーん少しはあってほしいなっていう感じですかね(笑)。僕から見たら、チバさんの音楽に対する深い愛やリスペクトの仕方って、あるべき正しい形やなと思っていて。パスタのたとえで言ったら、10-FEETは鎌倉パスタと(洋麺屋)五右衛門のパスタを平気で混ぜたりもしてるんですけど(笑)、そうやって自分の生まれ育った世代感や、音楽に出会ってきた順番まで素直に転がしてる感覚というか。

――ミッシェルが素材の味をリスペクトしつつ独自に調理されたパスタだとしたら、10-FEETはもっと思いがけない混ぜ方によってオリジナリティを生んでいる感じ?

TAKUMA:ただ、何も知らずに混ぜたものをドーンと出してるだけじゃなくて。例えば「Rage Against the Machineが何を聴いて育ったのかを知ってからそういうリフ弾きなよ」って詳しい人から言われるかもしれへんけど、そういうことも辿ってみて自分なりにわかった上で混ぜることをやってきているから。僕らの場合はそういう意味での“音楽愛”という感じですけどね。

■音楽に対して真面目、聴いてきた音楽が血肉になって、あの人になっている。

――The Birthday以降のチバさんは、愛や希望をより衒いなく歌詞で表現するようになりましたが、TAKUMAさんはThe Birthdayになってからのチバさんの変化をどのように感じていましたか?

TAKUMA:うーん…………(熟考)…………ミッシェルの頃のチバさんの歌詞って、よく知らん人が聴いたら暗いなって思うかもしれないですけど、聴いてたらそうじゃないんだなって思えるんですよね。「こんなにボロボロだけどなんとかなるだろう」とか「希望が全くないわけじゃない」って頭ではわかってるけど、とてもそんなふうには言えないっていうくらい、心が傷ついているとき。あるいは、希望があるって思うのが怖かったり、そう口にすることでむしろ希望が消えてしまうかもしれない……ってほど不安なとき、僕もそうなんですけど、「なんとかなるよ」「希望はあるよ」っていう言葉だけじゃ頑張れないんですよね。だからこそ、「どうせお前はダメなんだろ。わかってるよ」って歌ってるようなチバさんの歌詞が、スッと自分に重なってくれた。その大元には大切に燃える青い炎みたいなものがあって。ミッシェルだと「大丈夫だって言ってもお前は頑張れねえだろ? けど大丈夫だよ」という表現だったと思うんですが、その“大丈夫だよ”の部分が、順番が変わって前に出てきたのがThe Birthdayなのかなって思ってます。

ーーあぁ……確かに。

TAKUMA:ちゃんと本音でそう思ってるんやろうなって。生きてたときのチバさん、「俺もそろそろどうせ死ぬしな」みたいなことを言ってて。「死なねえうちに、口に出したいって思ってる気持ちがあるなら、ちゃんと言っとこう」「今の自分ならそれを伝えられるんじゃないか」っていう感じなんかなと思って、僕はThe Birthdayを聴いてたから。若い頃のチバさんが歌ったら伝わらなかったようなThe Birthdayならではの表現――下手したら「こんなのミッシェルのチバじゃねえよ!」って言われそうなテーマの歌詞もあると思うんですけど、それがすごく似合ってて、しかもミッシェルの頃と比べても遜色ないくらい歌に対する力強さが感じられる。ミッシェルもROSSOも経てここまで生きてきたチバさんの“血”で歌っている言葉やからこそ、The Birthdayの曲はよりかっこよく響くものになったんかなと思います。

――チバさんとは実際どんな話をしていたんでしょう? 特に思い出深かったことを教えてください。

TAKUMA:会うたびに僕らの曲を褒めてくれたことですね。めちゃくちゃ酔っぱらってても、きちんと曲名まで言ってくれたし、「ちゃんと聴いてくれてるんやな」って。ウエノコウジさんが、チバさんが亡くなったときに「音楽の先生でした」(※1)って言ってたのが印象的やったんですけど、いろんなインタビューを読んでても「最近は曲がいいバンドが多いから音楽をやっていておもしろい」「昔は対バンとかイベントで他のバンド全部ぶっ潰してやるって思ってたけど、それだけじゃない」みたいなことをすごく話してたんですよ。自分たちの曲もそういう心で聴いてくれてたのが、すごく嬉しかったですね。それでいて自分が音楽を作ることに対しては、真面目なだけじゃかっこいいものは生まれてこないってことを、理屈じゃなくわかってる感じで。生き方や、聴いてきた楽曲が血肉になってチバさんの音楽になっている。そんな印象ですね。

――チバさんから音楽を教えてもらう、みたいなことはあったんでしょうか?

TAKUMA:いや、なかったですね。ほんまに、柿ピーみたいな雑談ばっかりで(笑)。

――え?

TAKUMA:特に内容はないけど美味しいよ、みたいな話ばっかり(笑)。

――(笑)。

TAKUMA:だから、曲を褒めてくれたことは、余計に印象に残ってますけどね。あとはロックンローラーっぽいジョークとか。そういう会話しかなかったんですけど、チバさんと話すときはどんな音楽の話をするよりも、そういう方が好きになれたから、僕はよかったなと思いますね。

――以前ブログでも少し書かれてましたけど、10-FEETの「その向こうへ」はミッシェルの影響が強かったんでしょうか?

TAKUMA:そう思います。ミッシェルみたいな曲を作ろうとは思ってないですけど……チバさんと初めて会った頃に思わず言いました、「あれは『ジプシー・サンディー』がなかったらできんかった曲だと思うんですよ」って。テンポは違うけどコード進行とか、マイナーのレゲエやスカみたいなアプローチの部分とか。そう伝えたら「金よこせ」って、ニヤッとしながら言ってましたけど(笑)。音楽的な話になると、すぐ茶化して終わらせられるというか、柿ピーくらいの話に戻っちゃうんですよね。

――柿ピーの向こうへはなかなか行けないんですね(笑)。『EVE OF DESTRUCTION』を読むと、ミッシェルの「バードメン」はThe Creation「How Does It Feel to Feel」を聴いていたときに、全然違う雰囲気なんだけどなぜか頭の中で思いつき、そのままセッションしてすぐ完成したというエピソードが書かれていました。TAKUMAさんにとってはある意味「ジプシー・サンディー」がそういう曲だったのかなと思うと、熱い気持ちになりますね。

TAKUMA:チバさんの言ってること、めっちゃよくわかりますよ。何かを聴いて衝動に駆られて作ったけど、聴いた曲とは全然違う。僕もそういうことがあるので。

■いなくなったら一番寂しい人

――では、チバさんの意外だった一面はありますか?

TAKUMA:おもしろくて、楽しくて、優しい人。そういうのが見え隠れしながらも、歌い出した瞬間にすごく怖い人みたいになって……でも、それは嫌な怖さじゃなくて、いかついわけでもない。めっちゃよく切れるけど、カッターみたいに横から押したらすぐ折れてしまう……みたいな(笑)。そういう人に1回豹変するじゃないですか。喧嘩弱いのがかっこいいって思わせるくらいの魅力がある。ロックンローラーって喧嘩強い人が多いけど、僕の中では、チバさんって別に喧嘩強くなくていいんですよ。

――すごくわかります(笑)。

TAKUMA:喧嘩まで強かったら、逆にかっこいいってならへんな、とか(笑)。そもそも僕もですけど、弱いから、強くなれへんから、弱い人が熱く言うてることに惹かれたりする。「俺のようになれよ」ってほんまに強い人に言われても、無理ですって思ってしまうんで。チバさんは別に強さにこだわってないし、強いことが一番大事じゃない。とにかく“かっこいいもの”へのこだわりがある人で。それが儚くてすぐ消えてしまうものであっても、とにかくかっこよくっていう、その一途なものに惹かれていく感じですね。

――最後に、改めてTAKUMAさんにとって、チバユウスケとは?

TAKUMA:いなくなったら一番寂しい人ですね。いなくなったら寂しい人って、他にもいるけど、大体うるさい人なんですよ。「ギャーギャーよう喋るし、お前に会うの週に5分でええわ。でもお前のことめっちゃ好き!」みたいなヤツ(笑)。でも、チバさんはそんな人では全然ないけど、いなくなったら猛烈に寂しい。その寂しさが大きければ大きいほど、その人は愛されている魅力のある人なんやと思います。

――そういう人だからこそ、いてくれるだけで嬉しい気持ちになりますよね。もうこの世にいないんだなと思うと、本当に寂しさが募ります。

TAKUMA:ああいうかっこいい人って、いそうでいなかったよなと思うくらい、完璧に近いかっこよさの人でした。かっこよさを目指してないのに、かっこいい。ほんまに素敵でしたね。
※1:https://www.instagram.com/p/C0ge792RnoC

(取材・文=信太卓実)

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