【特集】"悲しみ繰り返さないで"亡き親子の思い チームに受け継がれる活動<オイシックス新潟アルビBC>

今シーズンからプロ野球、ファーム・リーグに参加したオイシックス新潟アルビレックスBCについてです。

チーム誕生の礎には亡き少年の夢がありました。そして、少年の家族の思いをきっかけに始まったあるプロジェクト。その思いは、今もチームに受け継がれています。

今シーズンからNPB、ファーム・リーグに参加したオイシックス新潟アルビBC。

リーグ開幕前、初めての対外試合で足を踏み入れたのは北海道、エスコンフィールドでした。

ある選手にとっては、夢見てきた舞台。

ある選手にとっては、返り咲きを目指す舞台。

それぞれの光景が広がりました。

対戦相手は北海道日本ハムファイターズ……1軍主体のメンバーが顔をそろえました。

指揮をとったのは東京オリンピックで日本を世界一に導いた稲葉篤紀・2軍監督。

マウンドには"侍ジャパン"の伊藤大海投手がいます。

◆同じ夢を持っていた仲間に思いをはせる

この試合、チャンスをつかもうと、懸命にアピールする選手がいました。

入団4年目の熊倉凌選手。

〈オイシックス 熊倉凌選手〉

「イースタン・リーグで活躍して、1軍の舞台を目指しているので、そこで活躍したい気持ちが高まった」

糸魚川市出身の熊倉選手。

「プロ野球選手になる」という同じ夢を持っていた仲間に思いをはせます。

〈熊倉凌選手〉

「樹人くんのチームがランニングしている時に倒れて。自分が6歳か7歳くらい、小学校1年…低学年でした」

◆助からなかった命

糸魚川市の水島樹人(みずしま・みきと)くん。

2006年7月、少年野球の試合前、ランニング中に突然倒れました。

急性の心不全。救急搬送されるも命は助かりませんでした。

9歳でした。

「子どもの夢、叶えてください」

その後、樹人くんの母親、正江さんが書いた1通の手紙が独立リーグ・BCリーグの設立をあと押し、チーム誕生の礎となりました。

◆AEDのプロジェクト立ち上がる

そして、リーグの開幕に合わせて立ち上がった、ある活動があります。

「ミキトAEDプロジェクト」です。

樹人くんのグッズを販売し、その収益でスポーツ施設などにAEDを寄付する取り組みです。

〈樹人くんの母・正江さん〉

「年月が経てば経つほど、悲しみは大きいんですね。小さな力だけど、これだけの人が集まると、きっとまた1台どこかで増えて、誰かの役に立てて、その人の人生がそこからまた、きっと続くだろうなと思って…それが願いです」

◆「1人でも多くの方が人の命を救えるよう」

心臓が止まった人に電気ショックを与え、蘇生を図るAED。

20年前から、一般の人にも使用が認められ、今では全国に60万台が設置されています。AEDにより救われた命は7000人を超えたといいます。

しかし、樹人くんが倒れた18年前、球場にAEDはまだありませんでした。

悲しい出来事を繰り返さない……。

試合前には、AEDの使い方を選手が実演するなど、活動はリーグ、チームをあげて行われました。

〈オイシックス新潟アルビBC 清野友二主将(当時)〉

「これを機会に1人でも多くの方にAEDの存在と、それによって人の命が救えるということを知っていただき、1人でも多くの方が人の命を救えるようになってほしいと思います」

◆母が訴えたのはAEDの普及

正江さんは何度も球場に足を運び、AEDの普及を訴えました。

〈樹人くんの母・正江さん〉

「樹人(みきと)はこの美山球場が大好きでした。4年生、9歳で、このグラウンドで試合前にランニング中、倒れました。このブレスを売ってもらっています。小さな小さな輪っかですが、絶対に悲しいことがもう起きてはいけないと思いながら、AEDのプロジェクトを進めています」

「暑い日になりそうですが、みなさん最後まで一生懸命応援して、選手たちに声援を送ってください。そして、空で樹人が手をのばしていると思います。ホームランを打ってください」

正江さんはかつて、リーグの選手名鑑にこんなメッセージを寄せていました。

「夢の続き」。

〈樹人くんの母・正江さん〉

「目の前で心臓マッサージをされていたのは私の息子でした。泣いても泣いても、いつもの笑顔は戻ってこないことが分かりました。2度と繰り返されてはいけない突然死。そのためにAEDの設置をと『MIKITO AEDプロジェクト』が立ち上がりました。きっときっと、どこかで命を救ってくれる。そう信じます。これからも夢の続きを、樹人はいつも空から見ています。みなさん、ありがとう」

◆AEDで救われた命

これまでに「ミキトAEDプロジェクト」からスポーツ施設などに寄贈されたAEDは35台にのぼります。

高橋強さん(75)です。

高橋さんは2018年7月、南魚沼市のスポーツ施設でテニスのプレー中に突然、倒れました。

〈高橋強さん〉

「サーブを打った時に、そこで倒れた。瞬間で倒れて、それから意識ない」

当時、施設にいた種村温さん。

すぐにAEDを持ち出し、対応にあたったといいます。

〈施設を管理 ベースボール・マガジン社 種村温さん〉

「数人で利用していて、その方々が心臓マッサージなど対応している中で、私がAEDをもって対応した。いろんなところにAEDがあると、もしもの時に良いと思う」

この時、高橋さんの命を救ったのは「ミキトAEDプロジェクト」から寄贈されたAEDでした。

まもなく6年が経つ今も、ゴルフをするなど元気に日常生活を送っているといいます。

〈高橋強さん〉

「感謝ですね。生かされているという思いが強い、生きているというよりは」

◆球場で選手たちがAEDの使い方を学ぶ

開幕の1か月前。

球場では選手たちがAEDの使い方を学んでいました。

正江さん、樹人くんの思いは今もチームにしっかりと受け継がれています。

〈オイシックス 藤原大智選手〉

「BCリーグの時からやってきたので、復習じゃないが、すぐに使えるように、そういう準備で受けた」

〈オイシックス 小林慶祐選手〉

「使わなければいいが、使うときは焦らず使えるように、こういう講習を受けられて良かった」

亡き少年の夢があと押ししたチームの誕生……そして、息子の夢をつないできた母の思い。

〈樹人くんの母・正江さん〉

「暑い日になりそうですが、みなさん最後まで一生懸命応援して、選手たちに声援を送ってください。そして…空で樹人が手をのばしていると思います。ホームランを打ってください」

樹人くんの、そして正江さんの"夢の続き"は新潟の選手たちに託されました。

少年が夢見た未来は、広がり続けています。

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