スニーカーからおにぎりへ。本明秀文「商売は毎日がギャンブル」

本明秀文という人物を皆さんは知っているだろうか。スニーカーブームの黎明期にあたる96年、裏原宿にわずか2.7坪の並行輸入店「チャプター(CHAPTER)」を開店し、翌年にはテクストトレーディングカンパニーを設立。スニーカーショップの雄「アトモス」を世界的に有名にした経営者であり、現在は、スニーカー業界から勇退し、おにぎり屋を営むという異色の経歴を持つ。

先日、スニーカーブームから経済を読み解く新刊『スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰』(KADOKAWA)を上梓した彼に、人生の土壇場についてインタビューした。本明秀文のビジネスに対する熱い思いが聞くことができた。きっとビジネスを成功させるヒントが隠されているはずだ。都内某所、取材するために我々が席に着くと、彼はすぐに口を開いた。

▲俺のクランチ 第49回-本明秀文-

“お、やばいな”みたいな状況が面白いタイミング

「人生の土壇場って、いろいろあると思いますけど、やっぱり自分は商売をやっているから、資金繰りとかそういった話をするのが面白いんじゃないかなって思うんですよ」

正直、人生の遍歴を順に追って聞こうと思っていた手前、その提案に少し驚いたが、これまでビジネスマンとして幾多の局面に立った彼の内から出てくる経験談は、確かに興味深い。ここは彼に身を任せてみようと、そのまま話を聞いていくことにした。彼が言うに、ビジネスをやるうえでは、毎日が土壇場ということだ。

「商売なんて簡単にできる、みたいなことを言う人がいますけど、そんなことはなくて。結局、僕たちの商売は、売って買って売って買っての繰り返し。毎日が資金繰りとの戦いなわけです」

本明といえば、スニーカーブームの黎明期にあたる96年、裏原宿にわずか2.7坪の並行輸入店「チャプター(CHAPTER)」を開店。その後、大学留学先のアメリカで培ったツテとサラリーマン時代に磨いた輸入テクニックを生かして、日本未発売のスニーカーを次々と輸入し、翌年、テクストトレーディングカンパニーを設立。

その後、2000年には正規店として「アトモス」をオープンすると、ブランドとの大型コラボや独自イベントを仕掛け、一躍世界的なスニーカーショップへと成長させた実力者だが、やはりそこには苦労があったようだ。

「自分は靴屋を25年くらいやってきて、“派手に売った人”と思われているでしょ? でも実際は、派手に売っているように見えて、基本的には資金繰りを毎日のように考えて、綱渡りしてやっていたんですよ。いつもお金が潤沢にあるわけじゃないし、どちらかと言うと、僕がやっていた商売は、昔の商売というか。物を仕入れて、それを売る。

そうすると、在庫はあるけどお金がないということもザラ。逆に良いものがあるのに、それが買えないことだってある。それで儲けを逃すことだってあるわけです。月末になれば、店舗の家賃や人件費も払うわけですから、資金のことは常に考えている」

毎日が資金繰り、毎日が土壇場。そのなかで彼を突き動かしていたのは、商売の楽しさ。彼は、競馬や競艇などのギャンブルには全く興味はないが、商売をしているときにギャンブルのようなドキドキを感じることがあるという。

「“お、やばいな”みたいな状況が、自分にとっては麻薬になっていると思う。うまくいったときに感じる、あの一瞬だけ気持ちがスーってする感覚。それが商売をやっていて一番面白いタイミング」

人生とは解決方法を探すこと

毎日がギャンブルという状況で成功を収めてきた本明。気になるのは彼が幼少期どんな夢を抱いていたということ。ここまでのキャリアを掴んだ彼は、何になりたいと考えていたのだろうか。

「僕には弟がいたんです。その弟が僕が5歳半ぐらいで亡くなってしまった。今でも覚えてるのは、うちの弟は世の中に出られたのが3回しかないんです。生まれてちょっとしたらすぐ入院して、その後、回復して1か月後に退院。それでまた悪くなって入院して亡くなってしまった。

小さい頃の夢は、幼いながらに自分が医者になって治してやりたいなって。でも、人間って不思議なもので、だんだんそういう夢も忘れちゃうんだよね」

弟の病気があり、医者になりたかったと話す本明。そんな彼はビジネスマンの道に進むことになるわけだが、彼自身も病に冒されるタイミングがあった。病名はC型肝炎。この病を機に規則正しい生活をするようになったという。インターフェロンを投与しながらの仕事、会社の規模が大きくなるなかで、治療と仕事を並行して行う日々。

「危機に直面しても逃げることはできないよね。それって人間関係と似ていて、例えば、人と喧嘩してその場で逃げてしまったらイヤなやつになってしまう。危機に対して、どういうふうに自分が対処できるかっていうのが大切。若いときはわからないけど、年を取ってくると経験を積んでいれば対処する方法はわかってくる。危機にも鈍感になるけどね」

土壇場に直面しても逃げないことが重要。当たり前のようで、なかなか実践できないこの教訓にも似た言葉。本明は“逃げない”ことをずっと続けてきたからこそ、成功を収めたのかもしれない。続けて「人生とは解決方法を探すこと」だと話を進める。

「解決方法がない問題はないと思う。いかに正解を出せるか、そういった部分を理解しながら年を取ることが重要なんです。何度も言うけど、商売をやっていると毎日が危機で、資金繰りもしなきゃいけないし、トラブルだってある。特に今の世の中は、ちょっとしたことで炎上してしまうでしょ。世の中がギスギスしちゃっているんだよね」

確かにそうだ。炎上しているニュースでSNSやネットはさらに盛り上がり、何が正義で何が悪なのかわからない状況に直面することは多い。そんな状況が「危険」だとも話す。

「僕は田舎で育っているので、例えば、家に母ちゃんがいなかったら、ちょっと近所のおばちゃん家に行って、飯食わせてもらうなんてことがザラにあったけど、今は隣に住んでいる人の顔も知らないことが多い。

そんな状況で地震が起きたりすると“絆だ!”とか言い出すじゃないですか。そこで初めて近所の付き合いが大切だよね、ということになる。それでは遅いですよね。やっぱり商売も同じで、何か危機が訪れたとき、どういうふうに対処していくのか、どういう人と一緒にやっていくのか、そういったことを初めから理解しておくことが重要だと思います」

▲人生とは解決方法を探すことですね

仕事モードから切り替えるための読書

ビジネスでの対処法を心得る本明だが、普段はどんな生活を送っているのだろうか? 彼のスケジュールを聞くと、どれだけ仕事と真摯に向き合っているかがわかる。

「5時間くらいしか寝ないんですけど、そうすると19時間くらい1日があるじゃないですか。例えば、今日でいうと、4時15分ぐらいに起きて5キロの散歩。それでシャワーを浴びて、洗濯して、新聞読んで、朝8時から打ち合わせをして、今に至ります。

インタビューが終われば、何本か打ち合わせをして、だいたい19時くらいまで打ち合わせして、 それで家に帰って、すぐにゴールドジムに行って帰って20時半。そこからご飯を食べて1時間か1時間半ぐらい本を読んで、それでもう寝る感じ。

生活するなかで仕事モードを1回消さないと、数字のことが頭から抜けない。だから小説とか本を読むんです。僕の中では生活と仕事って明確に分かれていないから。商売は時間との戦いなので、知識がないと今の世の中は食っていけない。だからこそ、情報をいかに入れていくかが重要です」

限られた時間のなかで仕事もプライベートも大切にする。これまで多くの本を読んで、日々、新聞も読み、常に情報収集を欠かさない。

「社会学も読むし、民族学も読むし、哲学も読む。禅など宗教についても読みます。新聞は最近少なくなったけど、日経新聞、朝日新聞、日経産業新聞、繊研新聞。あとは、東洋経済とNewsweekはチェックしていますし、きっとみんなが興味がないものに興味がある。デカルトやカント、ヘーゲルなんかも読みます」

活字中毒とも思える本明だが、全ては仕事モードを切り替えるためにしていること。話を聞いていると、人間の本質をさまざまな学問から学んでいるようにも思えた。活字から得た知識を自分の知層に蓄積し、ビジネスシーンで活用しているのだ。

スニーカー業界からおにぎり業界への参入

現在はアトモスを退社し、東京・大塚の老舗おにぎり屋「ぼんご」の右近由美子代表と共同で「こぼんご」という名の会社を設立し、新たなビジネスの舞台へと舵を切った。

「正直、やることがないからおにぎり屋をやったんだと思う。もっと頭が良ければ違うことをしていたと思うし、アメリカの株式市場へ打って出たかもしれない。でも僕は、おじさんとかおばさんとか、普通の人が好きなんですよ。人と喋ってるのが好き。物を売るということは、人に売るということだし。ロボットに売っているわけではない。普通の人が買ってくれないと、商売は干上がってしまうからね」

なぜ、おにぎりを選んだのか、そこにはどのようなビジョンがあるのか。このタイミングで業界を変えた理由を聞いた。

「美味しかったからですよ。ぼんごに行って、ここのおにぎりが美味しいと思った。これは真面目に言いますけど、由美子代表は天才ですよ。本当に、ぼんごのおにぎりが一番美味しい。

だって、仕込みにすごい時間がかかっていますから。今はおにぎりブームだと思うんですけど、仮にぼんごがレシピ本を出したら、みんな嫌がると思う。例えば、1個の具材が出てくるまでに3日とか、それだけの手間が掛かっているんですよ」

「おにぎり まんま」はオープン当初から人気店として名を馳せている。本明は新しいビジネスにチャレンジする際、どのようにアイデアを出していくのか? それは現場を見ることが重要だと話す。

「僕は今までスニーカーを仕入れて売っていたけれど、おにぎりは仕込んで作るじゃないですか。それが最初の1年間はわからなかった。だから、現場に行って、目で見て、理解していったんです。

今、2期目、1年と5か月経ったんですが、ようやくわかるようになってきました。靴屋とおにぎり屋って、商売としての生き方は同じなんじゃないのかな。まずは、みんなが食べたいと思うのを出す。だからクオリティーは落としちゃだめ。 そこから話題になるようなこと、例えばコラボをやるとかね。そして、そのあとは信者を増やすことをやる。だから、本当にスニーカーと売り方は変わらないんです。

でも、何をやるにしても、愚直にやらないと、真面目にやらないとダメですよ。これは潜水艦に似ていると思うんだけど、潜水艦ってずっと潜って我慢して仕事をしているでしょ? それで、水面から上がったときに花火がドーンって上がっているか、まだ暗いままなのか。

すぐに息が上がっちゃう人は、すぐ上がってきてしまってうまくいかない。そして、上がってきたときにまだ暗いと挫折してしまう人もいるでしょう。トライアンドエラーを繰り返しながら、積み重ねていくことがビジネスや人生で大切なことだと思います」

▲ぼんごのおにぎりが一番美味しいと絶賛する

スニーカーとおにぎりの売り方は似ている。ビジネスの世界で成功を収めた本明でも、その結論に達するまで1年以上の月日がかった。最後に今後の展望についても聞いた。

「おにぎりが儲かるっていうのがわかったので、フランチャイズなどお店の規模を大きくしていこうと考えています。年に20店舗ぐらい増やせたらいいですね。例えば、うちのお店に2か月なのか3か月なのか修業に来ていただいて、その後、フランチャイズ店としてオープンする。やっぱり人間だと思います。人間性が重要。

仕事って、もちろん食うためにやっている側面もあると思うけど、逆に仕事を通して自分を成長させるために働いてる人もいるわけで。頑張っている人を採用していかないと、うまくいかないと思うし、そういった人をフォーカスしてあげてほしい」

スニーカーからおにぎりへと舞台を移した本明秀文。これからも持ち前のビジネスに対する審美眼で、面白い新たなことを次々と発信していくことだろう。

(取材:笹谷 淳介)


プロフィール

本明 秀文(ほんみょう・ひでふみ) 「atmos」創設者。元「Foot Locker atmos Japan」最高経営責任者。1968年生まれ。90年代初頭より、米国フィラデルフィアの大学に通いながらスニーカー収集に情熱を注ぐ。商社勤務を経て、1996年に原宿で「CHAPTER」、2000年に「atmos」をオープン。独自のディレクションが国内外で名を轟かせ、ニューヨーク店をはじめ海外13店舗を含む45店舗に拡大。2021年、米国「Foot Locker」が約400億円で買収を発表。スニーカービジネスの表と裏を知り尽くす業界のキーパーソン。

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