曙さんは「元子さんに一番愛されたプロレスラーだと思う」 評論家・門馬忠雄氏も絶賛する素質と人柄

馬場元子さん(右)から故ジャイアント馬場の車を譲り受けた曙さん(2015年)

元横綱を最も愛したプロレス関係者とは――。大相撲の元横綱で、心不全で死去した曙太郎さん(享年54)はプロレスラーとしても活躍した。2003年に角界を去った後、格闘技参戦を経て05年からプロレスに参入。元横綱のプロレスとの関係と評価を、プロレス評論家の門馬忠雄氏(85)に聞いた。

――曙さんとプロレス界について

門馬氏(以下、門馬)それは(故ジャイアント馬場さん夫人の)馬場元子さんだよ。「王道」旗揚げは、彼女がいなかったら成り立たなかった。(曙さんが)志半ばで倒れてしまったが、元子さんが全面的にバックアップしていたんだ。スポンサーという感じだった。

――3冠ヘビー級王座を獲得するなど活躍した全日本プロレスを2015年に退団。新団体「王道」を旗揚げ

門馬 元子さんは彼の人柄に引かれたんだ。彼は明るくて、相撲の勉強で日本人の良さを学んだ。生活の中で、その部分が元子さんに伝わって好かれたんじゃないか。元子さんはハワイ(曙さんの出身地)のアラモアナにマンションがあって、ハワイが好きだった。お互い気心知れたところで、私は元子さんに一番愛されたプロレスラーだと思う。だから、キャデラックをもらったこともあったよね。

――15年6月に、元子さんから馬場さんが愛用したキャデラックが曙さんに贈られた

門馬 (曙さんは)「はい、はい」と、よく言うことも聞いていた。「いいタニマチ(後援者)」として思ってたのかもしれないけど(笑い)。今ごろ、馬場さんに「よく来たなあ」と言われているのでは。馬場さんも鬼籍に入っていなかったら、きっとかわいがっていたと思うよ。

――プロレスラーとしての評価は

門馬 私は大好きだったね。エルボードロップは(アブドーラ・ザ)ブッチャーより好きだった。豪快で、230キロに下敷きにされた対戦相手はたまらない(笑い)。浜(亮太)ちゃんとのタッグは、スケールが大きくて雄大。後ろから2人のお尻を眺めていただけで最高だった。プロレスラーとして、成功したと思う。あの人はプロレスが大好きで、楽しくやっていた。彼の人柄もプロレスも大好きだったよ。つくづく(03年大みそかの)ボブ・サップ戦が間違い、いただけなかったと思う。何でまっすぐプロレスに来なかったのか。でも、格闘技の経験があったから、プロレスを楽しめた面もあったのかもしれない。大相撲の横綱でプロレスラーになった人は東富士、輪島、北尾(双羽黒)に続き4人目。キャラクターとしては最高だったね。

――プライベートでも親交があった

門馬 よく付き合ったよ。あの人は私を名前で呼ばず「先輩!」と呼ぶんだよ。「先輩(飲みに)行きましょうか、先輩は日本酒でしょ」と(門馬氏の好みを)よく知ってて、誘ってくれたのが一番思い出深いね。酒も強かった。カッコつけることもなく、普通の一般人と同じように会話してくれた。いいヤツだったね。

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