【コラム・天風録】冷泉家の家訓

 新しい1万円札の顔となる渋沢栄一は、家訓を残している。その一つが〈投機ノ業又(また)ハ道徳上賤(いや)シムヘキ務(つとめ)ニ従事スヘカラス〉。投機はともかくとして、続くくだりが判然としない▲道徳上いかがわしい仕事に就いてはならぬ―。基準があるようで、ないようで。子孫にすれば、目の上のたんこぶだろう。のみ込めなくても決しておろそかにせず、思案を重ねる。色あせない家訓の本領かもしれない▲新古今和歌集の編集にも当たった約800年前の歌人、藤原定家の直筆が京都で見つかった。子孫にあたる冷泉(れいぜい)家で、家訓によって代々の当主が一生に一度しか開けることのできない「開かずの箱」に眠っていた▲定家の日記で国宝「明月記」にある一節も家訓にしてきたと聞く。〈紅旗征戎(こうきせいじゅう)はわがことにあらず〉。権力争いや政治から距離を置く―。伝えるべき和歌の世界を伝える、宗主としての宣言に読めてくる。今回の発見は政治力でも経済力でもない。文化の力のたまものといえよう▲女子教育の先駆者だった津田梅子と細菌学者の北里柴三郎。新紙幣トリオの残る2人は、くしくも津田塾大、北里大の学祖として仰がれる。したたかに、文化の力が息づいている。

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