99年ドラフト5位で近鉄入りした岩隈久志 同級生・安達祐実に声を掛けられ…【平成球界裏面史】

堀越学園で同級生だった岩隈久志(左)と安達祐実

【平成球界裏面史 近鉄編49】平成以降の近鉄を語る上で欠かせない存在。いてまえ打線というキーワードがとにかく目立つ近鉄バファローズだが、平成11年(1999年)ドラフト5位の岩隈久志投手は、記録にも記憶にも残る活躍をみせた。

出身地が西武球場に近い東京都東大和市であったことから少年時代は西武ファン。高校進学の際には野球推薦で都内屈指の強豪校・堀越学園の一員となった。高校時代は甲子園とは縁はなかったが、西武とはライバル関係にあった近鉄から指名を受けプロ入りした。

当時の岩隈は「自分はそんなに注目されるようなピッチャーではなかったです。近鉄から指名していただいて嬉しかったです。堀越の同級生に安達祐実さんがいて、卒業式の時に『岩隈くんプロ野球選手になるんだね。凄いね』と言ってもらって嬉しかったですね」と初々しい笑顔を見せていた。

近鉄で二軍投手コーチを務めていた久保康生氏は「入団した当時は本当に細くてね。しばらく時間はかかるだろうとは思いました。ただ身長は高い(191センチ)し、いい素材だった。僕は98年から指導者として活動を始めましたが、多くの才能に出会えたと思える代表格の一人ですね」と振り返る。

岩隈は入団1年目の平成12年(2000年)は一軍登板なしで体づくりに専念。2年目となった平成13年(01年)の5月29日、日本ハム戦(東京ドーム)でリリーフとしてデビューを果たした。

1点リードの8回一死から8番手として登板。8回は無失点に抑えたものの、9回に小笠原道大から同点ソロを浴びてしまった。ただ、ここは当時の近鉄打線。延長10回に中村紀洋のこの日3本目となる満塁本塁打が飛び出すなど17−12と猛烈援護で近鉄が勝利。岩隈に幸運なプロ初登板初勝利が転がり込んだ。

01年、2年連続最下位から奇跡の逆転リーグ優勝を遂げることになる近鉄で、岩隈は後半戦に貴重な戦力となった。先発初勝利を収めたのは8月19日のダイエー戦(福岡ドーム)。さらに9月18日の西武戦(大阪ドーム)ではプロ初完投初完封を決めた。

いずれもリーグ優勝のためには倒さないといけないライバル。最後までダイエー、西武、近鉄のデッドヒートとなった01年において、岩隈の存在は計り知れないほど大きかった。2年目に挙げた4勝は手薄だった近鉄投手陣にあって数字以上のインパクトを残した。ヤクルトとの日本シリーズでは第2戦に先発。勝敗は付かなかったが2年目にして貴重な経験を積んだ。

平成14年(02年)は初めて先発ローテに定着。23試合で8勝7敗、防御率3・69と安定した成績を残した。ここから岩隈がブレークすることになる。

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