自衛官、再就職で年収700万→100万円台の地獄…早期離職も多い過酷な現実「気が付けば金なくなってた」「思ってたのと違う」

その多くが50代で定年を迎える自衛官。公務員であるがゆえに、現職時の給与は魅力の一つだ。しかし、防衛大卒のライター松田小牧氏によると、再就職後の年収はガクンと下がることも珍しくないという。50代という若さで元自衛官が直面する、厳しい現実とは――。

※本記事は松田小牧著『定年自衛官再就職物語―セカンドキャリアの生きがいと憂鬱―(ワニブックスPLUS新書)』から抜粋、再構成したものです。

第1回:

第3回:55歳定年の元自衛官、フリーエンジニアに転身!65歳から年収を上げられた理由…厳しい自衛隊再就職の現実

幹部で年収1000万円、准曹でも750万円

さて、自衛官はどの程度の給料をもらっているのか、そして定年退官後はどうなるのかについて、簡単に説明しておきたい。

鳥取地方協力本部が公開しているデータによると、自衛官の平均年収は幹部自衛官で25歳約510万円、30歳約610万円、35歳約730万円、40歳約870万円、45歳約900万円、50歳約980万円となっている。一方、准曹では、25歳約400万円、30歳約480万円、35歳約570万円、40歳約640万円、45歳約700万円、50歳約750万円という数字だ。

これらの目に見える給与に加えて、官舎には破格の家賃で住むことができるし、駐屯地・基地内では栄養とボリュームと美味しさが確保されたご飯を喫食することもできる。2021年度の民間給与実態統計調査によると、日本人の平均給与は443万円。どの年代別でみても、平均年収は自衛官のほうが高い。

再就職後は年収100万円台も

そしてその多くが50代で定年を迎え、再就職するわけだが、自衛隊からの援護を受けて再就職した後の賃金は、職業によってももちろん差異はあるものの、大きくは階級によって異なる。公務員的な発想から、「同じ1佐だったのに、あいつは1000万円で俺は500万円しかもらえない」といった事態はまず発生しない。

将官であれば少なくとも800万円以上の水準にあり、1000万円を超えるケースも珍しくない。そして1佐で500~700万円台、2佐で400~500万円台、3佐で400万円台、尉官で400万円前後、准曹で300万円台が基本となっている。

自衛隊援護協会によると、退職自衛官の平均月収は2015年時点で22万2400円。割合でみると一番多いのは15万円以上~21万円未満の44.3%であり、次に21万円以上~30万円未満で32.4%、30万円以上が13.5%となっている。ただ15万円未満も9.8%と、決して少なくはない。15万円だとすると、賞与がなければ180万円。50代で700万円超をもらっていた身からすると、耐え難い落差だ。

実際、地方で再就職を支援する立場に就いたことがある元自衛官は、「幹部でなければ『年収は200万円あればよしとしなさい』と指導していた」と振り返る。現職の年収とのギャップの大きさや、現場仕事が多い求人に不満を漏らす者もいると言うが、「自衛官の持つスキルを考えれば、その年収が現実。それに我慢できなければ、自分で探すしかない」と話す。

自衛隊では、定年年齢が早く、再就職先で給与が下がる分、退職金についても自衛隊特有の加算がある。幹部の退職金は約2700万円、准曹は約2100万円だが、それに加えて「若年定年退職者給付金」という名目で、1佐以下で退官した自衛官に対しては、退職金に加えて約1000万円が支給される。

「気が付けばお金がなくなっていった」

「合計で3000~4000万円支払われるうえ、再就職先まで用意してもらえるだって?十分すぎるじゃないか!」と思った方もおられるかもしれない。ただし、50代で民間企業に就職し、慣れない仕事を頑張っても給与は激減する。これはなかなかしんどい話ではないだろうか。

2018年に陸上自衛隊を55歳・3佐で退官した遠山道弘氏(仮名)は、再就職後の給与の少なさが原因で職を辞した一人だ。

遠山氏は、一旦は警備会社に再就職したものの、当初聞いていた業務と実際の業務にあまりに乖離があったことから退職。ただ幸運なことに、たまたまその時期にもともと希望していた損保関連の仕事の求人を発見し、無事内定に至った。

身分は契約社員だが、職場環境は極めてよく、「ここなら定年まで働きたい」との思いで勤務していた。ところがある日、ふと家計を見直したところ、退職金や若年退職者給付金がどんどん減っていることに気がついた。「このまま減り続けたらどうなるのだろう」。危機感を抱いた遠山氏はファイナンシャルプランナーのもとを訪れ、収支に関するシミュレーションを実施。その結果、数年で貯金が枯渇することが判明した。

当時の給料は手取りで20万円。これまで特に贅沢をしてきたつもりはなかったため、「お金がなくなるかもしれない」とはつゆほども考えたことがなかった。しかし専業主婦の妻、大学生となり一人暮らしを始める娘、障害を抱えた息子……。この給料で家族を支えることは難しかった。車の維持費すら頭が痛くなるが、地方の生活に車は欠かせない。

ファイナンシャルプランナーから、「収入を上げることが望ましい」と指摘を受けた遠山氏。やむなく恵まれた職場を離れ、完全歩合制のタクシー運転手に転職を果たす。研修期間は苦しい日々だったが、いまは妻も派遣社員としてほぼフルタイムで仕事を始め、「ようやくなんとかなってきた」と話す。

「同期の7割が2年以内に早期離職」

遠山氏もそうだが、せっかく決まった再就職先を、早期に後にする元自衛官は少なくない。援護関係者によると、自衛隊がデータを取っている再就職後半年以内の離職率は約10%。つまり、10人に1人は再就職から半年も経たないうちに再就職先を離れている。

その後については自衛隊として調査を行っているわけではないものの、「退職自衛官の再就職を応援する会」によると「3~4年のうちに4分の1程度は離職してしまう」という。取材した中では、「自分の知っている限りでいうと、半年のうちに同期の3分の1ほどが退職し、2年以内に70%ぐらいは退職した」と話す人もいた。

大卒新入社員の入社3年以内の離職率は3割程度だと言われているが、自衛隊を定年退官した自衛官も、それと似たような数字となっている。

「やるべきことをやらない」選択肢も重要

たとえば海上自衛隊を54歳・1尉で退官した金沢純一氏(仮名)は、上司とのトラブルがもとで再就職先を早期退職した。

自衛隊の援護を受けて金沢氏が就職したのは、小さな物流会社。入社時は「さすが元自衛官」と持ち上げられ悪い気はしなかったものの、徐々に業務量が増え、残業をしなければとてもこなせなくなっていった。金沢氏だけが仕事が遅いわけでもなく、会社全体に残業が常態化している状態だった。同社では固定残業制度が導入されていたものの、その残業時間を超える前にタイムカードを押すことが暗黙の了解となっていた。

一人ひとりのキャパシティを越えた業務を割り振ること、残業時間分の給与が払われていないことに対して、金沢氏は「おかしい」と声を上げた。上司は、「君の言いたいことはわかる。しかしいまは辛抱してくれ」と告げたが、金沢氏は「『いま』というのは具体的にいつまでを指しますか」と追及の手を緩めなかった。上司は苦い顔をして、話を濁した。

その後も金沢氏は声を上げ続けた。それは自分のためだけでなく、ほかの社員のためにもなると思ったからだ。しかし、ほかの社員は、意に反して金沢氏に賛同してはくれなかった。

「私は間違ったことはしたくありませんでした。長い目で見て会社のためになると思い、正しくあらねばならぬと言い続けた結果、すっかり煙たがられてしまいました。誰しも一人では戦えません。すっかり心が折れてしまいました」

小さい企業であればあるほど、その経営は経営者のトップダウンで行われるケースが目立つ。その企業運営は、決して合理的とはいえないものもあり、「正義」に敏感であればあるほど、その不合理さを飲み込むことができなくなってしまう。

ある援護関係者は言う。

「退官するとき、多くの自衛官は自衛官としての自信や自負を持って退職していきます。しかし、実際に再就職してみて、多かれ少なかれ『思っていたのと違う』と感じることがあるかと思います。『正しいことをやらなければならない』との思いを強く持っている人ほど、消耗してしまう傾向にあります。やるべきことをやるだけではなく、やるべきことを『やらない』というバランス感覚も必要になってくるのです」

松田小牧著『定年自衛官再就職物語―セカンドキャリアの生きがいと憂鬱―(ワニブックスPLUS新書)』

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