曙太郎さん 人なつっこい笑顔が最も輝いていた日 諏訪魔から3冠王座奪取

ベルトを肩に満面笑みで土俵入りを披露する曙太郎さん

【昭和~平成スター列伝】大相撲の第64代横綱でプロレス、格闘技などで活躍した曙太郎さんが心不全のため54歳の若さで死去したことが分かり、マット界は深い悲しみに包まれている。

2001年1月に大相撲を引退すると03年大みそかに格闘家としてデビュー。格闘技では思うような結果が残せなかったが、05年7月2日の米WWEハウスショー(さいたまスーパーアリーナ)でプロレスデビュー。その後は新日本プロレス、全日本プロレス、ノア、ゼロワン、ハッスルなどのリングで活躍し、多くのベルトを獲得した。

武藤敬司に弟子入りして全日本を主戦場にすると、曙はプロレスラーとして輝きを放った。マット界の水が合っていたのかもしれない。取材時はいつも「何だよ、東スポ!」と言いながら失礼な質問にも丁寧に答えてくれた。たまに「何だよ、それ!」と怒られることもあったが、その後には何ごともなかったかのように人なつっこい笑顔を見せた。本当に器の大きい、優しさを持った人だった。取材で嫌な思いをしたことは一度もない。愛すべきキャラクターだった。

プロレスのキャリアの中で光るのは、全日本に入団した13年の10月27日両国国技館大会で諏訪魔から初めて3冠ヘビー級王座を奪取した試合だろう。本紙は終面カラーで快挙を報じている。

「大相撲の聖地・両国で曙がプロレス界の綱取りを果たした。片足タックルに入った諏訪魔に全体重(210キロ)をかけて押し潰す。諏訪魔は左肋骨を負傷。序盤から動きを鈍らせた。だが諏訪魔の意地も底知れない。ドロップキックで場外に落とされた曙は決死のトペスイシーダを敢行。しかし新兵器の万力スリーパーで意識を失いかけた。それでも負ければ次のチャンスがいつ訪れるか分からない。ラリアートの相打ちに競り勝つと、肉弾プレスを連発。最後はヨコヅナインパクト(脳天杭打ち)で歓喜の瞬間を迎えた」(抜粋)

元横綱がメジャー団体の看板王座を手にしたのは初の快挙だった。肺炎のため翌年5月に返上するも、15年5月21日には潮崎から王座を奪還して、2度の3冠王者に輝いた。最も曙が輝いていた時期ではないか。17年からは必死の闘病生活を続けていたが、努力も空しく帰らぬ人となった。それでもあの人なつっこい笑顔は、永遠にファンの胸に刻まれるだろう。合掌。 (敬称略)

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