勧善懲悪を否定?長谷川博己『アンチヒーロー』は【「日曜劇場」の王道】にケンカを売った超問題作の予感

極論で言えば、【「日曜劇場」の王道】にケンカを売っているようなドラマだと感じた。

長谷川博己が正義か悪か判然としないアンチな弁護士・明墨正樹を演じる、「日曜劇場」最新作『アンチヒーロー』(TBS系)が4月14日(日)にスタート。

公式サイトなどには《殺人犯へ、あなたを無罪にして差し上げます。》、《正しいことが正義か―間違ったことが悪か―》といった意味深長なキャッチコピーが躍る。そして第1話を観たかぎり、そのインパクトあるフレーズに恥じぬ問題作だった。

■殺人犯を無実にしようとする斬新設定?

第1話・2話で描かれるのは、町工場の社長が殺害された事件。明墨は容疑者を弁護する立場で、無罪を勝ち取ろうとしている。

弁護士を主人公にしたリーガルものは数多くあるが、こういった殺人事件を扱う場合、たいていは無実の罪を着せられそうになっている人物を救う展開がセオリーだろう。

だが、第1話の終了時点では、弁護している容疑者が本当に無実なのか、それとも実は殺人を犯していたのか、判明していない。むしろ、劇中では殺害した張本人という可能性が高そうな演出となっている。

もしそうだとしたら、キャッチコピーにあるとおり、主人公は本物の殺人犯を無罪にしようとしていることになる。これは、かなり斬新だ。

仮に、容疑者はやっぱり無実で、主人公がそんな人物を救うために尽力しているのだとしたら、これまでごまんとあった弁護士ドラマとさして変わらなくなってしまうので、その線は薄いだろう。

今作の主人公の目的が【隠ぺいされそうになっている真実を明らかにすること】ではなく、【真実を隠ぺいしてでも勝つこと】なのであれば、かなり攻めた問題作と言える。

■ただ単に目的が異なる「悪vs.悪」の戦い

また、今のところ主人公・明墨は “悪” の性質のほうが強そうだが、かといって対立する検事が “正義” というわけでもなく、ズルい手口で殺害の証拠をでっちあげようとするなど、検察側も清廉潔白ではなさそう。

好意的に解釈すれば、主人公の弁護側も敵対する検察側も、それぞれに信念を持ち己が信じる正しいことを貫きとおすため、汚い手を使ってでも勝ちにいくという「正義vs.正義」の構図と言える。だが、ただ単に目的が異なる「悪vs.悪」の戦いのようにも見える。

ドラマの公式サイトには、《このドラマは「弁護士ドラマ」という枠組みを超え、長谷川演じるアンチヒーローを通して、視聴者に“正義とは果たして何なのか?” “世の中の悪とされていることは、本当に悪いことなのか?” を問いかける。》と記されていた。

つまり、これは正義なのか? 悪なのか? と視聴者に問題提起すること自体がこのドラマのテーマであり、いずれにしても「正義vs.悪」というわかりやすい対立構図ではない。

■骨太な問題作といった雰囲気

『アンチヒーロー』が不穏な空気感をまとった作品だということはご理解いただけたと思うが、別視点から考えると、従来の「日曜劇場」作品と比べて、いかに異端かもおわかりいただけたのではないか。

【「日曜劇場」の王道】と言えば勧善懲悪のストーリー。主人公と仲間たちには筋の通った “正義” があり、性格がねじ曲がったキャラや私利私欲に走るキャラがいる、わかりやすい “悪” が敵対勢力。

正義側はとことんいい奴の集まり、悪側はとことんクズの集まりで、仲間の裏切りといった意外な展開はあれど、ベースはシンプルな「正義vs.悪」の作品が多かった。

だが、『アンチヒーロー』は、ある種そういった勧善懲悪のストーリーを否定しており、アンチテーゼのような作風になっている。

余談だが、個人的には主人公に悲劇的な過去があるという設定はいらないと思っている。この手の主人公はたいてい、かつて悲惨な経験をしており、ダークサイドに堕ちた理由で視聴者の同情を引き、共感を得ようとする。

しかし、そんなお涙ちょうだいのバックボーンが語られる流れは、筆者としてはもう飽き飽きなので、主人公・明墨はなんの過去もなく、最初からねじ曲がった性格だったという設定でいいのではないか。

久しぶりの骨太な問題作といった雰囲気が漂いまくる『アンチヒーロー』。今夜放送の第2話で、町工場社長殺害事件の真実が明らかになれば、本当の意味でこのドラマの方向性が見えてくる。期待して視聴したい。

堺屋大地

恋愛をロジカルに分析する恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラー。『日刊SPA!』にて恋愛コラムを連載中。ほかに『現代ビジネス』『文春オンライン』『集英社オンライン』『女子SPA!』などにコラムを寄稿

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