夫婦で「年金月12万円」、贅沢せず慎ましく暮らしていたが…先に夫が逝った76歳妻が受け取る「衝撃の遺族年金額」。〈まだまだ生きる老後〉に待ち受けた“悲惨すぎる末路”【FPの助言】

(※写真はイメージです/PIXTA)

日本人の平均寿命は男性が81歳、女性は87歳です。妻の年齢が夫と近い場合、もしくは夫よりも年下の場合、悲しいことに夫のほうが先に亡くなる可能性が高いでしょう。そのようななか、夫の死後、残された妻が受け取れる遺族年金額を事前に把握し、備えておくことが重要になってきます。本記事では影山さん(仮名)の事例とともに、高齢夫婦の遺族年金について、FP事務所MoneySmith代表の吉野裕一氏が解説します。

子どもは望まず、夫婦共通の夢を実現

大学を卒業後、一般企業に勤めていた影山誠さん(仮名)は、28歳のときに5歳年下の幸子さん(仮名)と結婚をしたそうです。夫婦とも子どもを望まなく、結婚当初に自分たちの夢を優先する人生をともに歩むと誓ったそうです。2人で力を合わせた結果、影山さんが36歳のとき、夫婦共通の念願だった喫茶店を始めることができました。

妻の幸子さんは、高校を出てからは実家の家業の手伝いをしていました。影山さんと結婚してからは専業主婦でしたが、合間合間に折を見て、実家の手伝いも続けていたそうです。

子どもは望んでいませんでしたが、夫婦の夢であるお店を持つために、できるだけ貯蓄をして、贅沢はしていませんでした。

喫茶店経営の様子

喫茶店はオープンから時間が掛かりましたが、じわりじわりと客足が増え始め、経営も軌道に乗ります。常連さんが足しげく通ってくれて、その常連さんたちが新しい客を連れてきてくれるのです。相変わらず贅沢はできないものの、影山さん夫婦は楽しく充実した暮らしを送ることができました。

仕事自体が夫婦の共通点でありプライベートとの境目がなくなっていたこともあって、決まった休みはとらずに店を開けていることのほうが多かったそうです。そうはいっても、年に数回は、2人で旅行することも楽しみのひとつでした。しかし、国内旅行であれば、帰ってきたその日も店を開けているような働きぶりでした。

若いうちは、老後のことを考える余裕もなく、がむしゃらに働いていたので、貯蓄に回すお金は少なかったということでした。

影山さんが55歳になったころには、常連さんも少なくなり、収入も減ってきたことで、老後の不安も抱き始めます。しかし、収入が減ってきたタイミングだったため、思うように貯蓄もできなくなっていました。

妻の年金に「任意加入期間」が…

日本の現在の年金制度が確立されたのは、そう昔のことではありません。

現在のように20歳から60歳の国民すべてが国民年金に加入するようになったのは、1986年(昭和61年)4月からです。約40年前と聞くと比較的新しいという印象を筆者は感じます。それは、まだ年金を受け取っていない65歳未満の方も、加入していなかった時期があるかもしれないという点にあります。

国民皆保険が施行されたのは、1961年(昭和36年)4月ですが、実は国民皆保険といっても会社員の妻などは、このときから1986年(昭和61年)3月までは、任意加入期間となり、年金制度に加入していない人がいるケースもある期間になります。また、それまでは厚生年金制度だけでしたので、自営業や専業主婦などは年金制度に加入していなかったことになります。

影山さんの妻の幸子さんも高校を卒業して家業の手伝いをしていましたが、年金には加入制度がなく、結婚後、任意加入もできましたが、年金制度についての情報も少なかったことで、未加入のままだったということでした。

幸子さんが年金制度に加入したのは、1986年4月から。40歳から60歳までの20年間です。任意加入の期間は加入通算期間となり、幸子さんが20歳から40歳までの国民年金の加入期間に含まれ、40年間加入したことにはなっています。

しかし、老齢基礎年金額を計算する際には、保険料納付した期間が反映されるため、20年間分のみとなり、2024年度(令和6年度)の老齢基礎年金における満額の480分の240が受給されることになります。つまり、68歳以上であれば年満額81万3,696円の480分の240である40万6,848円(月額3万3,904円)となります。

影山さんは老齢厚生年金も受給していましたが、厚生年金に加入していた期間が、1969年から1982年までの13年間で、この期間の標準報酬月額は30万円でした。

2003年(平成15年)3月までの平均標準報酬月額の計算式は、

標準報酬月額×7.5/1,000×平成15年3月以前の加入月数

で算出します。今回のケースでは、

30万円×7.5/1,000×156ヵ月=35万1,000円

となり、月額では2万9,250円を受け取っていました。老齢基礎年金は、影山さんは会社員になった23歳から60歳までの37年加入していたので、前述した81万3,696円の480分の444である75万2,669円(月額6万2,722円)でした。

夫婦合わせると、

3万3,904円+2万9,250円+6万2,722円=12万5,876円

と決して十分な額とはいえませんが、光熱費と食費と少しの娯楽はできる程度に慎ましく暮らしていました。しかし、夫の影山さんが81歳で誤嚥性肺炎が原因の合併症で亡くなってから、収入は激減します。

65歳以上で老齢厚生年金を受け取っていた人が亡くなった場合で、遺族厚生年金を受け取る権利がある場合は、老齢厚生年金の額の4分の3を遺族厚生年金として受け取ることができます。今回の場合は、影山さんは老齢厚生年金の月額2万9,250円を受け取っていたので、この4分の3にあたる2万1,938円を遺族厚生年金として妻の幸子さんが受け取ることになります。

老齢基礎年金は本人しか受け取れないので、年金額は2万1,938円と幸子さんの老齢基礎年金の3万3,904円の5万5,842円となってしまいました。

年金5万円の絶望生活

影山さん亡きあとの幸子さんの生活は悲惨すぎるものでした。物価高で水道光熱費や食費だけでもすぐに5万円を超えてしまうのです。貯蓄がすっかり尽きると、夏も冬もエアコンを我慢し、テレビは電源から切り、食費も削られるだけ削りました。1日が過ぎるのを待ち、ただ生きているだけという状態が続きます。

ぎりぎりの状態のところで、店をやっていたころの昔の常連客が様子を見かね、筆者のもとへ相談にやってきたのです。幸子さんへは、自宅から近い福祉事務所へ生活保護の申請を行うことを提案しました。住居はあるものの、生活していくのに必要なものですので、住宅扶助は受け取れませんが、約6万5,000円の生活保護費となり、年金受給分の約5万5,000円を引いた1万円程度の支給となったようです。

今後も公的年金だけでは厳しい時代

今回のケースでは、加入期間に現在の年金制度が確立されていない時代が含まれていることで、本人の老齢基礎年金を満額受け取ることができないというケースでした。

現在でも自営業の方のなかには、年金制度自体へ不信感を持たれている方も見受けられることがあります。会社員のように給与から天引きされる厚生年金と違い、国民年金は、自分自身で支払いをしなければいけません。国民年金の納付率は改善されつつあるとはいえ、令和4年度で80.7%と初めて80%を超えましたが、約20%は未納となっています。

現在では、60歳以降でも任意加入することが可能となっており、20歳から60歳までの40年間で未納期間がある場合は、65歳までに国民年金の納付をすることもできます。

幸子のケースでは、すでに65歳を過ぎていることや年金を受け取っているので、任意加入はできませんでしたし、任意加入も現実的ではありません。

内閣府が発表している令和5年版の高齢社会白書をみると令和3年の生活保護人員(総数)は201万人に対して、65歳以上の生活保護人員は105万人と生活保護を受けている半数以上となっています。

現在は、公的年金だけで老後生活を送ることが困難になっていることや任意加入期間に加入していなかった方もいることで、厳しい生活を送っていることが考えられます。今後の公的年金も、年金だけで老後の生活を送ることは難しくなると思われますので、自助努力で不足分を早いうちから準備することが重要でしょう。

<参考>

吉野 裕一

FP事務所MoneySmith

代表

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