BREIMEN×HALLEY、セッション出身バンド対談 国内に広がるシーンを形成したプレイヤー同士のつながり

【特集:バンドからバンドへと受け継がれるもの】

ロックがバンドの代表的なフォーマットであった国内ポップミュージックの中で2010年以降、ソウルやファンク、R&Bなどブラックミュージックのグルーヴを取り入れたバンドたちが一つのシーンを形成した。その流れの中で生まれたふたつのバンド、BREIMENとHALLEY。BREIMENは2015年に無礼メンとして結成し2018年より現体制、HALLEYは2021年に結成されたバンドだ。彼らには早稲田大学の公認サークル、ザ・ナレオで出会った仲間とバンドを始めたという共通点がある。ブラックミュージックの愛好家が集まる同サークルの活動ではセッションが行われ、サークルの外に広がるセッションのコミュニティとの交流も盛んだという。今回、HALLEYの張 太賢(Vo)と西山 心(Key)、BREIMENの高木祥太(Ba/Vo)といけだゆうた(Key)にザ・ナレオの部室に集まってもらい、“セッション出身バンド対談”を行った。「Suchmos以降」と形容されることもある新世代のバンドシーンがどのように築かれていったのか、「セッション」というキーワードからその一端を垣間見ることができた。(リアルサウンド編集部)

■セッションサークル出身者がつないだ大学生と上の世代のコミュニティ

――西山さんとテヒョンさんは、どんな経緯でナレオに入ったんでしょうか。

西山 心(以下、西山):僕は早稲田大学附属校出身なのですが、高校時代の軽音部で一つ上の先輩がHALLEYの登山 晴(Gt)だったんです。彼が大学へ入学した年にコロナ禍になり、サークル活動もほとんどできない状態が続いたのですが、僕が大学1年の時にまた連絡を取ったら「音楽やりたいね」という話になって。晴の同い年で、大学の音楽サークルについていろいろ詳しいやつに「ちゃんと音楽をやりたいならナレオへ行きなよ」と言われ、それで二人で新歓セッションへ行き、その時に出会ったメンバーとHALLEYを組んで、改めてナレオに入ったという経緯です。

張 太賢(以下、テヒョン):僕は大学3年生の時にナレオに入ったのですが、それまではずっと上智大学の弾き語り専門サークルにいました。そこにいた先輩が、卒業ライブで「How Deep Is Your Love」(Bee Gees)とかいい感じのソウルを歌っていたので、「どこでそういう音楽ができるんですか?」と聞いたら、彼がナレオでバンドを組んでいると教えてくれて。ナレオに行けばそういう音楽ができるんだなと思って入ることにしました。

それまではコロナ禍だったのもあり、一人でずっと音楽を作っていたのが、ナレオでようやく音楽仲間を見つけられたという感じでした。しかも、そこにはrpm(下北沢「music bar rpm」)やサムシン(池袋「SOMETHIN' Jazz Club」)でセッションをやっている人たちがたくさんいて。「そうか、ここにいる人たちはみんなセッションを通っているんだ」とそのときに知りました。

――高木さんといけださんは?

高木祥太(以下、高木):俺はそもそも早大じゃないし高卒なんですけど、旧体制(無礼メン)のドラムだった田中航が、俺が前にやっていたエドガー・サリヴァンというバンドのギターの坂本遥とナレオの新歓セッションで知り合っていて。俺は別ルートで航と、地元がそれなりに近かったのもあってよくセッションをしていたんです。ナレオには遥に誘われて入ったのですが、航も洗足音大(洗足学園音楽大学)なので二人とも完全に外様でした。バンドは遥と航と俺と、今井みの莉というボーカリストと4人でまず始めて、チャカ・カーンとかをカバーしていましたね。

いけだゆうた(以下、いけだ):俺はそれを見る側の時もあったし、参加していた時もあって。

高木:かっこいいバンドだったよね? そこに、時系列は忘れたけどだーいけ(いけだ)やジョージ林(Sax)も入り、King Gnuのドラムの勢喜遊もパーカッションで入ってLenny's Experimentという名前で活動していました。

いけだ:ちなみにLenny's Experimentというバンド名は、Robert Glasper Experimentとレニー・クラヴィッツ(Lenny Kravitz)の掛け合わせだったんだよね(笑)。俺は、早稲田に入って最初はナレオではなく放送研究会に入ったんですよ。音響を学べてバンドもできるし、一石二鳥だなと。ただ、飲み会が怖すぎて半年で辞めちゃって(笑)。大学2年からは軽音サークルと中南米研究会を掛け持ちしていました。

高木:とにかくだーいけは、いろんなところに呼ばれて弾いてたよね。

いけだ:フュージョンマニアとかMFC(Music Fan Club)とかね。12大サークルと呼ばれている、早大公認のサークルは大体網羅してた。ナレオもそんな感じで鍵盤を手伝いに行ったら坂本遥と繋がって。彼はナレオの当時の幹事長で、「今後『幹事長バンド』をやるから参加してよ」と。田中航や高木祥太に会ったのはその幹事長バンドで、それがひと段落したときに今度は高木に引き抜かれたという感じです。

高木:だからBREIMENはサトウカツシロ(Gt)とSo Kanno(Dr)以外のメンバー、俺、だーいけ、元ドラムの航、それから林はナレオ経験者。「ナレオ発祥のバンド」というか、そこで出会ったメンバーもいたという感じかな。六本木のElectrik神社とか新宿のゴールデンエッグ、渋谷Ruby Roomとか、いたるところで毎日誰かがセッションをしていたよね。俺はその頃、東高円寺で勢喜遊と住んでいたんだけど、ナレオでバンドをやったり、そのあとそのままセッションへ行く、みたいな生活をしていた。

テヒョン:僕らもそうですね。今は藝大(東京藝術大学)の子たちとか洗足、国立(国立音楽大学)も全部ごちゃ混ぜ。ナレオで仲良くなった人たちが、サムシンやrpmへ出入りして、どんどん仲間が増えてその界隈でつるんでいく感じでした。

高木:俺らの頃は、それをやってる大学生が俺らくらいしかいなかったのよ。

テヒョン:そうですよね。高木さんたちから始まっている気がします。

高木:俺たちというか、遥あたりが大学生のセッションコミュニティと、ちょっと上の世代のセッションコミュニティを融合させて、そこに俺たちが新参者として加わった感じ。そこにはKing Gnuのベースの新井和輝とかもいたし、シーンの中心で活躍しているミュージシャンと大学生がそこで繋がった気がする。

いけだ:今の土壌がそこで作られた感じだね。

■先輩から後輩へと受け継がれていくセッションの定番曲

高木:そのあとBREIMENの活動が本格的になり、ちょっとセッションから遠のいていくなかコロナが感染拡大して、俺の印象としてはそこでセッションシーンが一回止まった感じがしましたね。なくなってしまった店もいくつかある。最近ようやく復活してきたのかなと。

西山:そうですね。最初に言ったように、ちょうど僕らがナレオに入ってセッションに参加しようとなった時に、ちょっとずつ再開し始めて。

高木:今セッションの現場に行くと、それこそ心よりも下の世代のシーンができつつある気がする。ちなみに俺が二人(テヒョン、西山)と知り合ったのは、2年くらい前。DinoJr.がホストのセッションがrpmであって、そこで挨拶したんだよね?

西山:そうです。

高木:で、そのまま目の前にある中華で飯食って、「遊びたくね?」となってみんなでスポッチャに行った。

いけだ:え、即日お持ち帰りしたってこと(笑)?

西山:いけださんもいましたよ(笑)。

高木:それこそDinoJr.も、うちのマネージャーもいたな。Kroiのメンバーとかもいたし。

テヒョン:めっちゃ人いましたよね。新年会みたいな感じだった。

西山:僕らからしたらお二人はレジェンドみたいな存在で、「あの人たちがElectrik神社でやってた曲、俺たちもやってみようぜ」みたいな感じで挑戦することも多いんです。

高木:それは俺らもそう。師匠(後藤克臣)がやっていたセッションの定番曲みたいなものがたくさんあって。BREIMEN周りは師匠世代がやっていたセッション曲の中でもちょっとニッチな曲をやってたりして、それを見たさらに下の世代が「そんな曲やるんだ!」ってなっていったのかな。

西山:そうです。「これがかっこいいんだ!」って。

高木:俺らの頃は、たとえばハービー・ハンコックのちょっと難しいやつ。「Butterfly」とかをやってた。

西山:ああ、そうですね。「Tell Me a Bedtime Story」とかも。

いけだ:一回、「Come Running to Me」もやったね、ボコーダーを使って。

高木:「Tell Me a Bedtime Story」はセッションへ行くと必ず演奏した1曲だったな。弾きすぎて「テルミスト」と呼ばれてたくらい(笑)。

テヒョン:「Red Baron」(ビリー・コブハム)とかどうですか? 僕らの中では結構スタンダードですけど。

高木:俺らがセッションに行き始めた2014年頃は、自分たちよりちょい上の世代が「Red Baron」や「Led Boots」(ジェフ・ベック)のような、フュージョン寄りの楽曲でセッションをしていた。それはなぜだったのかを紐解いていくと、さらに上の世代の間でジャパニーズフュージョンが流行っていたから、それに対する「反動」「反発」として洋楽フュージョンをやっていたのか、もしくはそのままストレートに受け継がれたのかなと思っていて。その一方で、俺の師匠のようにアメリカからの帰国組がいて、彼らがフュージョンだけでなくクリス・デイヴとかLettuceとか向こうでよりホットなミュージシャンの楽曲を持ち帰ってきて。

西山:「Crazy Race」(The RH Factor)とかをやり始めた頃ですか?

高木:そうそう。それを観た俺たちが、「Red Baron」もかっこいいけど「Crazy Race」やべえ! みたいな。あと2014~2015年は、それこそドラマーはいたるところでゴスペル・チョップスをやってたり。そこからセッションシーンの流行り廃りがちょっと変わった気がするね。

テヒョン:今はもうロイハー(ロイ・ハーグローヴ/The RH Factor)はスタンダード寄りになって定着しているかもしれないです。

高木:そうだろうね。俺らより下の世代、特にサムシン界隈はファンクとかジャズファンクというよりは、もうちょいネオソウル寄りの選曲をやるようになっているイメージがある。

西山:確かに。「On & On」(エリカ・バドゥ)はやったことあります。

高木:だからセッションの定番曲はありながらも、やっぱり世代ごとの流行り廃り、「これかっこいいよね」みたいなものは曲単位でも音色単位でもあるということだよね。たとえばベースでいえば、俺の時は全員5弦ベースだったから。今でこそ4弦プレベ(フェンダー プレシジョンベース)が再熱しているけどね。Snarky PuppyやVulfpeck、ルイス・コール周りとか。

西山:増えてますよね。

高木:いや、これ無限に話せるな(笑)。

西山:あはは。それこそセッション界隈の流行にもElectrik神社から流れてきて、rpmでやり始めて、それがさらにサムシンに降りてきて……みたいな流れがあるような感じがしますね。世代もちょっとずつ分布されているというか、サムシンがいちばん若い人が多くて20代前半、中には10代もいる。さっき言った「Crazy Race」とかそういうThe RH Factor周辺の曲が若い世代で流行り始めたのも祥太さんたちの代になるのかなと。で、僕らの頃になるともう定番になってるという。

テヒョン:その後、ロイハーの数ある盤の、The RH Factor名義の中から僕らは「Family」とかをやっていましたし、ナレオのなかでも変遷がありますね。

いけだ:さっき、2013年のナレオのセッションリストを見ていたら「Just the Two of Us」(グローヴァー・ワシントンJr.、ビル・ウィザース)とかをやってたみたいだけど、今は違うのかな。サークルが指定する「覚えてきてねリスト」があるんだよね。

西山:僕も今年の3月まで幹事長だったんですけど、その時に作ったリストはたぶんそんなに変わってないです。

テヒョン:僕がサークルに入ったときのプレイリストも、たぶん先輩からもらったプレイリストをそのまま使っていたし、選曲自体はほぼ同じですね。

西山:ちなみに高木さんといけださんの代の中で「Brown Sugar」(ディアンジェロ)ってどういう扱いでした?

高木:俺らの時はやっている人は少なかった気がする。

西山:そこは変わっているかもしれない。僕ら世代だと「Brown Sugar」はめちゃくちゃやりますから。

高木:ディアンジェロでも、「Feel Like Makin' Love(原曲:ロバータ・フラック)」みたいなスタンダード寄りが好まれていたと思う。

いけだ:(エリック・ベネイがカバーした)「ジョジポジ」とかもね。

テヒョン:「Georgy Porgy」(TOTO)ですね。僕らはネオソウル、R&Bの先端、ディアンジェロとか、「So Beautiful」(ロバート・グラスパー)とかはセッションで何度かやっていたので。スタンダードではないけど、そういう変化はありますね。

西山:確かに、そういうのが受け入れられるというか、ナチュラルにやれる感じにはなってるかもしれない。

テヒョン:セッション曲として違和感のない位置にはいるかなと。

■Suchmosらが国内に築いた土壌 セッションから派生したバンドのシーン

――King GnuやBREIMENのように、セッションシーンからポップミュージックへ躍り出た人たちがここ数年でグッと増えた気がします。それってどんな背景があるんでしょうね。

いけだ:確かに。セッションをやっていたらスタジオミュージシャンになるのが一般的だったと思う。バンドはバンドで育っていくというか。

高木:おそらくもっと上の世代は、そもそもファンクのセッションがなかったと思うんですよ。俺、研究したいと思っているのが、「ファンクセッションを日本でいちばん最初にやったのは誰なのか?」ということで。

西山:めっちゃ気になりますねそれ。

高木:ジャズセッションは脈々と続けられているじゃないですか。ジャズのセッションをやっていたような人たちは、大抵ジャズミュージシャンになる。もとを辿れば渡辺貞夫さんも渡辺香津美さんもそう。で、いつどこで誰が始めたのか分からない、ジャズファンクやR&B……そういうセッションがちょっと盛り上がってきて。俺が認知できるのって、師匠の代からちょい上くらいまでなんだよな。だんだん思い出してきたけど、俺が認知している中では元SOIL&"PIMP"SESSIONSの元晴さんや、俺の師匠である後藤克臣さんや日野JINO賢二さん、さかいゆうさんとかもかな?

いけだ:バークリー(音楽大学)帰りの人たちが「日本でもやってみよう」みたいな流れもあったと思う。

高木:そういう、渡米してた辺りの人たちがファンクセッションの「走り」だったと俺は思うんだよな。ただ、その世代はそもそもまだそういうシーンが発展途上だったから、そんなに母数もいなくて。バンドを組めるメンツがそこまで揃っていなかっただろうし、「バンドで食っていこう」みたいなムードがおそらくなくて。で、俺らとかはその反動というか、「先輩と同じ道は歩みたくない」っていう気持ちが少なからずあるじゃないですか。しかも、同じようなことをやっている面々の母数も増えて、ちょっとバンドが流行った気がするんですよ。

テヒョン:セッション曲を辿っていくと、結構ソロアーティスト志向の強い曲が多い気がする。だから「バンドを組もう」という発想に直結しなかったんじゃないかなと。おそらく先輩方の時代は、ミュージシャンでセッションをやっているならスタジオミュージシャン、というのが進路としては考えやすいというか。それが、少しずつセッションされる音楽が変わっていくうちに、バンドという新しい単位が身近になってきたタイミングがどこかであったんでしょうね。

高木:海外でもそうじゃん。たとえばサンダーキャットみたいな人って今までいなかった。めちゃくちゃプレイヤーで、誰かのサポートもできるけど表舞台にも立てるという。あとディアンジェロ周辺が音楽をやっている人たちのリファレンスというか指標になっているのも大きいのかなと。ピノ・パラディーノとかクリス・デイヴとか。 いろんなサポートをやっていたクリス・デイヴがソロデビューして「Chris Dave And The Drumhedz」を始めた、みたいな(笑)。結局自分たちも、好きでセッションをやっているような人たちが現在どういうことをしているのかには、何かしら影響を受けている気がしますね。

西山:それと僕らの代からすると、まずSuchmosがいたじゃないですか。その後King Gnuが出てきて、BREIMENが続いて……。

高木:いやいや、まだ俺たちが今そこに並べられるのはちょっと怖いね(笑)。

西山:でも僕にはそう見えています。そうやって国内の土台ができていったと。

高木:確かにSuchmosは外せないね。俺らが無礼メン(旧体制)を始めたばかりの頃って、まだあそこまでの存在にはなっていなくて。でも「STAY TUNE」であれよあれよという間に……っていう。Suchmosと、あとSANABAGUN.は、日本の今のシーンの土壌を作ってくれたバンドだよね。

■BREIMENとHALLEY、セッションから学んだこと

――セッションシーンにいたことは、今の自分たちの音楽性にどう活かされていますか?

テヒョン:いちばん感じるのは、ライブを重ねるごとにどんどん変わっていく、同じライブをしないという姿勢ですかね。僕自身、それまではカバーしたり、教会育ちということもあってそこでゴスペルを歌ってきたりした素地はあるけど、HALLEYとして活動していく中で、決まったことをあまりしないようになったのは、セッションから学んだこと。時間とともに自分の像というか、アウトプットするものが違ってくるのもそうかなと。 曲作りもそうですね。セッションみたいに、どんどんアイデアを出しながら繋げていくという、その根本の部分も残っています。いくらDAWで作っていても、実際に演奏してみてどんどん変わっていくところもあるし、それがなかったらHALLEYの音楽にはなっていない。「偶発性」が担保される環境で音楽が生まれているという意味においては、セッションとビートミュージックのフォーマットの間を行き来しながら作っている感覚があります。

西山:セッションをやるためにはまずスタンダード曲を聴かなきゃいけないので、そもそもナレオに入った時点でソウル、ジャズ、ファンクを強制インプットされるんですよ(笑)。それで組んでいるバンドなので、HALLEYをやる土台にセッションがあるのは間違いないですね。

テヒョン:僕たちの「Set Free」という楽曲は、ライブで演奏するときにモノネオンの「Hot Cheetos」をそのまま組み込んでいて(笑)。そういうセッション小僧っぽさはメンバー全員にありますね。先日リリースしたアルバムのタイトル曲「From Dusk Till Dawn」には、本当は「Montara」(ボビー・ハッチャーソン)のフレーズを入れたかったんですよ。でも入れると権利問題が発生するので……(笑)。

高木:セッションもいわばサンプリング文化だからね。BREIMENはどうだろう? そもそもセッションが血肉になっているのは間違いないけど、さっき言ってた「偶発性」というのがいちばんわかりやすいかも。ライブとか俺の中ではめちゃくちゃセッションなんですよ。尺も変えるしアレンジも変えるので。既存の曲をぶっ込むこともある。この間は初めて、ざっくり同じセットリストで8公演やったんですけど、4公演目くらいで同じように演奏するのに飽きすぎちゃって(笑)、5公演目くらいから「赤裸々」をブルースで演奏したんですよ。

(一同笑)

高木:「ブルース進行でも『赤裸々』やれる!」ってなって(笑)。

いけだ:あれはお客さんも盛り上がってくれたよね。

テヒョン:僕らもその未来が見えますね……(笑)。

高木:ライブで飽きたくないじゃん。もちろん、セットリストをかっちり決めて、最初から最後まできっちり決めてやるライブもあると思う。オーケストラもそうだしね。でも俺らは偶発性中毒というか、常に求めているところがあるんじゃないかな。「ん? 何かがおかしい」とか「なんでコード進行が突然変わっちゃうの?」みたいなことに、ときめいてしまう(笑)。ただ、作品として残す場合は「ちゃんと構築しよう」とより思うというか。偶発性に頼りすぎない意識はあるかもしれないです。

テヒョン:確かに。僕らもセッションの時はライブの感覚でうまく出せるから、だったら作品として説得力を持たせなきゃ意味がないという思考が働く。

西山:それはDAWやDTM志向につながっているかも。

テヒョン:ここでドラムがどう入って、どう盛り上げるか? みたいな。キーボードを何台入れて、音色はどうするのか? をめちゃ緻密に考えますね。瞬間芸術と、作品志向が共存している感じはあると思います。

いけだ:俯瞰しながら、即興的にやるというかね。

テヒョン:まさにそうです。さっきも言ったように、ライブで同じことをやりたくないのは、演目を忠実に再現するのが「自分」とは思えないのと、どんどん変わっていくし、その日はその日の気分で歌っちゃうのが「自分」だと思うからなので。だから、今後BREIMENみたいにツアーを回るようになったら、きっと自分たちもそうなるだろうなって。

高木:ライブに関わる周りの人たちは大変だけどね(笑)。

(文=黒田隆憲)

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