ポケビのライバル「ブラックビスケッツ」90年代のミリオンヒットはテレビのおかげなのか?  最大セールス148万枚!ブラックビスケッツの「Timing」

__連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.26 Timing / ブラックビスケッツ__ ▶ 作詞:森浩美&ブラックビスケッツ ▶ 作曲:中西圭三&小西貴雄 ▶ 編曲:小西貴雄 ▶ 発売:1998年4月22日

テレビから生まれた数多くのヒット曲

90年代は、テレビがヒット曲を生む時代だった。

え? その前からテレビはたくさんのヒット曲を生んできただろうって? ―― もちろん、あるにはあった。古くは、日本テレビの学園青春ドラマシリーズがその宝庫で、『これが青春だ』の布施明の同名主題歌に始まり、『俺は男だ!』の森田健作「さらば涙と言おう」、『飛び出せ!青春』の青い三角定規「太陽がくれた季節」、『われら青春!』の中村雅俊「ふれあい」等々、主題歌や挿入歌から数多くのヒット曲が生まれた。

一方、“ドラマのTBS” は、久世光彦演出のドラマにその傾向があった。『時間ですよ』の劇中、天地真理や浅田美代子を登場人物に起用し、さりげなく「水色の恋」や「赤い風船」を歌わせ、彼女たちの歌手デビューをアシストしたり、同じく久世演出の『ムー』シリーズでは、郷ひろみと樹木希林のデュエットで「おばけのロック」と「林檎殺人事件」の2曲をスマッシュヒットさせた。

また、フジテレビは、まだ “母と子のフジテレビ” と呼ばれていた1975年―― かの有名な「およげ!たいやきくん」が、子供番組の『ひらけ!ポンキッキ』から誕生し、シングル歴代1位の450万枚と大ヒットした。そして、フジと言えば、80年代半ばに『夕やけニャンニャン』から生まれたグループ “おニャン子クラブ” もまた、毎週のようにオリコン1位を席巻した。

局を横断するパターンもあった。80年代前半、かの欽ちゃん(萩本欽一)の冠番組から次々とヒット曲が生まれた。『欽ちゃんのどこまでやるの!(欽どこ)』(テレビ朝日系)から “わらべ” の「めだかの兄妹」と「もしも明日が…」が共にミリオンに迫る大ヒット。『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)ではイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」がオリコン7週連続1位のミリオンセラーとなり、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS系)からも風見慎吾(現:風見しんご)と欽ちゃんバンドの「僕 笑っちゃいます」がスマッシュヒットした。

昭和のテレビマンはヒット曲を生み出すことに関心がなかった?

とはいえ―― それらは枠の特殊性や、一部の作り手たちの嗜好から生まれた現象で、テレビ界全体にそのムーブメントが広がったようには見えない。実際、昭和のテレビマンたちは、信じられないことに、自分たちの番組からヒット曲を生み出すことに、さほど関心がなかった。

何せ、民放ドラマ史上最高視聴率56.3%を誇る『ありがとう』シリーズ(TBS系)の主題歌「ありがとうの歌」は、主人公の水前寺清子サンが自ら歌ったが、同曲は彼女の歴代シングルの売上10傑にも入らない。国民の半数が見て、2年半にも渡って都合3シリーズが作られたドラマなのに、その主題歌はヒットにかすりもしなかった。要はそのプロモーションをしなかったのだ。

80年代に入ってもその傾向は続く。倉本聰さん脚本の『北の国から』(フジテレビ系)の主題歌は、全盛期のさだまさしサンが歌ったが、全編インストゥルメンタルで、放送当時はレコード化すらされなかった。山田太一さん脚本の『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)も、主題歌にサザンオールスターズの「いとしのエリー」を起用するが、それは既に4年前に大ヒットしたナンバー。ドラマの劇伴をサザンで統一するのが目的だった。

バラエティも同様で、バラエティ史上最高視聴率50.5%を誇る『8時だョ!全員集合』(TBS系)のオープニングを飾るのは、16年にも渡り一貫して「♪エンヤー コーラヤット」でお馴染みの「北海盆唄」の替え歌だった。80年代に入って、その裏でしのぎを削ったライバル『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)のオープニングもまた、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」の序曲と、あくまで番組の世界観が優先された。

90年代はテレビがヒット曲を生む時代

そんな感じで、自分たちの番組からオリジナルのヒット曲を生むことにさほど関心がなかった昭和のテレビマンたち。ところが、時代が平成に移った90年代初頭、その空気感が一変する。風穴を開けたのは、バラエティ『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)の挿入歌から大ヒットしたKANの「愛は勝つ」と、ドラマ『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)の主題歌から大ヒットした小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」だった。前者は8週、後者は7週連続オリコン1位を続け、共にWミリオンを突破した。

かくして90年代は、冒頭でも申し上げた通り、“テレビがヒット曲を生む” 時代になる。ここに至り、テレビマンたちは自分たちが圧倒的な “マス” を握る権力者であり、さじ加減1つでミリオンセラーを量産できることに気づく。そのブームは、90年代全般に渡って猛威を振るい、98年暮れ―― 世紀のディーバ・宇多田ヒカルが登場して、音楽の価値観を一変させるまで続く。

「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」から生まれたブラックビスケッツ

少々前置きが長くなったが(長すぎる!)、今回取り上げるのは、その中でもブームの最終局面に登場した、ブラックビスケッツの「Timing」である。奇しくも今日、4月22日は、同曲がリリースされた1998年から26年目にあたる。それは、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)内で結成された南原清隆、天野ひろゆき、ビビアン・スーの3人からなるユニットで、同番組から生まれた楽曲の中でも、実に最大セールス148万枚を誇る。

 急に冷たくなって ソッポ向かれたり  なんでなんでなんで?  どんなにいいことだって  間がワルいとね カチンときたりで

近年、カバー版がTikTokでトレンドになり、ユーザーがアップする「歌ってみた」や「踊ってみた」で週間1位を記録したり、2022年には日テレ系音楽特番『ベストヒット歌謡祭』でブラックビスケッツが約20年ぶりに復活したり、昨年の『NHK紅白歌合戦』では企画コーナー「テレビが届けた名曲たち」に出演、大トリのMISIAに次ぐ歌手別視聴率第2位を記録したのは、まだ記憶に新しい。

 それがなぜか 君が喋り出すと  イヤな空気(ムード) すっかり変えてしまうから…

さて、その「Timing」――座組は、作詞:森浩美&ブラックビスケッツ、作曲:中西圭三&小西貴雄。森浩美サンはSMAPの楽曲をデビュー曲から最も多く作詞した御仁で、中西圭三サンはZOOに名曲「Choo Choo TRAIN」を提供したり、自身の歌う「Woman」がスマッシュヒット。小西貴雄サンは作曲家で、中西サンのサポートメンバーである。

なぜ、同曲がヒットしたのかはシンプルな話で、楽曲がいいからである。でなければ、当時の番組を知らない若い人たちから、四半世紀前に生まれた楽曲が支持されるわけがない。耳馴染みのいい、J-POPの王道とも言えるメロディラインに、クセになるダンス。意外にも天野サンの歌唱力が高く、ビビアンの声質も愛らしい。ナンチャンの顔も面白い。そして何より、サビの歌詞がいい。

 ズレた間のワルさも  それも君の “タイミング”  僕のココロ和ます  なんてフシギなチカラ

テレビ史上、最も若者がテレビを見た時代、それが90年代

誤解されがちだけど、90年代にテレビから生まれたミリオンセラーの楽曲たちは、テレビのおかげで売れたワケじゃない。楽曲がよかったからである。ドラマ『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)の主題歌であるチャゲアスの「SAY YES」も、ドラマ『愛していると言ってくれ』(TBS系)の主題歌であるドリカムの「LOVE LOVE LOVE」も、バラエティ番組の『進め!電波少年』(日本テレビ系)から生まれた猿岩石の「白い雲のように」も、どれも楽曲のクオリティが極めて高いから売れたのだ。テレビはそれらを、視聴者が見つけやすくしただけである。

視聴率1%をざっくり100万人とすると、視聴率20%の番組は2,000万人が見たことになる。その影響力は小さくない。90年代のテレビ界をひと言で言うと “NHKと民放を含めた総フジテレビ化” であった。バブル崩壊を経て、まず作り手側が若返り、それに合わせて番組全体の傾向も若者向けにシフトし、よりバラエティ化した。要するに、10年遅れてテレビ界全体がフジテレビになった。加えて、同時期、お茶の間のテレビの主導権も、お父さんから若者や子どもたちに移った。

その影響か、80年代に一時叫ばれた “テレビ離れ” も、90年代になると一転、逆に “テレビの総視聴時間の増加” をもたらした。そう、日本のテレビ史上、最も若者がテレビを見た時代――それが90年代だった。テレビ業界と音楽業界を分ける垣根も下がり、両業界の作り手たちが自由に動いた結果、そんなクロスオーバーから未曽有の音楽バブルが生まれたのである。

ブラックビスケッツ「Timing」が生まれた背景

ここで、ブラックビスケッツ―― “ブラビ” の「Timing」が生まれた背景を簡単に解説すると、ベースとなった番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』は、あの『電波少年』の土屋敏男サンがプロデューサーである。前身番組『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』がスタジオコント中心だったのに対し、96年に始まった同番組は、土屋Pお得意のロケ企画がメインのドキュメントバラエティ路線に。ちょうど、『電波少年』で「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」が始まった時期と重なる。

同番組、当初は様々な企画が混在したが、96年7月に内村光良、千秋、ウド鈴木の3人組からなるポケットビスケッツのセカンドシングル「YELLOW YELLOW HAPPY」がリリースされ、これがミリオンセラーの大ヒットとなったのを機に、同ユニットに人気が集中。次第に番組内の比重を増していく。97年1月には、そのライバルとなる前述のブラックビスケッツが結成され、両ユニットがリリースする楽曲にまつわる対決企画が人気を博す。この時期、視聴率も安定して20%台をキープする。

当初、ヒールに徹したブラックビスケッツも、人気が高まるにつれ、次第に愛されキャラへとシフト。イメージカラーも、黒 → 赤 → オレンジと変貌していった。ポケビが作曲者のパッパラー河合の音楽性を売りにしたのに対し、ブラビはビビアンにちなんで “アジア進出” を目標に掲げ、よりダンサブルなユニットをアピールした。そして98年3月―― 両ユニットによる新曲リリースを賭けた「ガソリンすごろく対決」が企画され、これを制したブラビが4月に「Timing」をリリースする。

ビビアンの一言が歌詞のヒントに

同番組はバラエティだが、対決に挑む両ユニットの思いは意外なほど真剣である。そこにファンは共感する。その構図は、あの少年ジャンプの掲げる “友情・努力・勝利” とよく似ている。企画に勝利したユニットがリリースする新曲がヒットする背景に、確実にその法則も作用していると見ていいだろう。

のちに、「Timing」の歌詞のコンセプトについて、メンバーの天野サンは、作詞した森浩美サンとの会話の中で、ナンチャンが「ビビアンは全然流れも関係無く急にボソッと何か一言言ってタイミング悪いんだけど、みんなを和ませて笑いになったりするんだよね」と発言したことが歌詞のヒントになったと明かしている。

「だから、“♪ズレた間のワルさも それも君のタイミング” なんですよ。アレ、ビビアンの歌なんですよ。彼女の『Timing』なんです」

なるほど。発売から四半世紀を経て、前触れもなく突然再ブレイクした “タイミング” も、そう考えると納得がいく。愛すべき、間のワルさである。

カタリベ: 指南役

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