観月ありさは日本を代表するコメディエンヌ「ナースのお仕事」印象的なサントラは鴨宮諒  観月ありさが演じたのはダメ看護師 朝倉いずみ、90年代の名作ドラマ「ナースのお仕事」

パート4まで制作された人気ドラマ、「ナースのお仕事」

1990年代のテレビドラマ、それも主に高視聴率を記録した作品について書き連ねてきた。当時は現在(2024年)では考えられないほど、多くの人々がテレビの連続ドラマに関心を寄せており、話題作の最終回ともなれば視聴率は30%越えも珍しくなかった。

その数値は人気を測る大きな指標ではあるが、そんな瞬間最大風速的な一過性のものではなく、継続的に視聴者から反応が寄せられたために幾度となくシリーズ化された作品もこの時代には生まれている。近年、アメリカのテレビシリーズの影響で “Season 〇〇” という続編の概念が定着しているが、そんな呼称などなかった1996年7月クールに放送されたドラマ『ナースのお仕事』は最高視聴率こそ22.1%に終わったが、連続ドラマとしてはパート4(2002年)まで制作され、映画や単発の特番まで含めると実に2014年に至るまで制作された人気シリーズである。

ダメ看護師 朝倉いずみを演じる観月ありさ

主人公は東京での暮らしに憧れて大学を受験するも失敗。ようやく滑り込んだ看護学校を何とか卒業して就職するも、やることなすことうまくいかずに失敗続き。奨学金の返済を免除してもらうことだけで仕事を続けている新人のダメ看護師 “朝倉いずみ" を観月ありさが演じている。

物語は夜遊びがたたって貧血で倒れた彼女が、就職予定先である病院に担ぎ込まれるところから始まる。その時偶然にも治療にあたった先輩看護師の “尾崎翔子” が、着任後も指導係として彼女に関わることになるのだが、備品を壊すなどは当たり前、採血やバイタルチェックなどの基本的な業務も満足にこなせない朝倉のダメさ加減に連日悩まされ続けることになる。

この先輩看護師を演じるのは松下由樹。後輩が失敗を重ねるたびに交わされる「あぁさぁくぅらぁーっ!」「せんぱぁい…」という2人のやり取りは幾度となく繰り返され、もはや様式美のようにシリーズを通じてお約束になっていく。

2人を取り囲むキャラクターも、ハイミスのお局主任やいい男探しに余念のない同僚など曲者ぞろい。ドタバタの喜劇性は主にこの同僚ナースたちによって引き起こされる展開となっているが、全体としては笑いあり涙ありの成長物語として描かれており、好感度の高い作品となっていた。

ⓒ Fuji Television Network

過酷な労働環境で生まれるドラマ性と風刺的要素

ナースたちを菩薩の如く寛大さで見守るのが、吉行和子演じる根本看護師長である。度重なる失敗の連続で先輩から叱責を受けすっかり自信を失った朝倉が、自分にはこの仕事が向いていないと退職を願い出るシーンでは、「両手に荷物を抱えた人にドアを開けてあげられる気持ちさえあれば、決して看護師が務まらないことはない」と説いて、思いとどまるよう促すのであった。

また、朝倉は夜勤の多さや休日の取得もままならないことに業を煮やして、(理由はどうあれ)新人ながら経営側に抗議の意思を見せてストライキを試みたりもする。近年、医師を含め、医療現場の待遇改善を求める声は年々大きくなっている。人手不足も待遇問題も当時から既に存在していたものであり、現代にも通じている問題として中々風刺も効いている。

丁寧な現場描写で視聴者の共感を集める新たな医療ドラマのあり方とは?

医療ドラマというものは、現実の医療現場が過酷であるがゆえに題材には事欠かないところがある。もちろんテーマが現実に即したものであれば、各場面で描かれるディティールにもリアリティがなければならない。実際の病院におけるロケ、設備・装備、セリフで交わされる様々な医療用語など、コメディだからといってデフォルメすることもなく、キャストにはトレーニングを課して徹底的に追求した。こういったドラマへの取り組みは説得力を持ち、『救命病棟24時』シリーズや『医龍-Team Medical Dragon-』『コード・ブルー』など、後にフジテレビが手掛ける数々の医療ドラマにおいても踏襲され引き継がれているといってよい。

また作中の演出面で欠かせない音楽においても、2作目から作品のオープニングテーマに用いられた楽曲「PANIC」は、騒動が起こる場面にも必ず挿入されたことで、視聴者に強いインパクトをもたらした。劇伴を担当したのはキーボーディストで作曲家の鴨宮諒。ピチカート・ファイヴの創立メンバーでもあった彼が現代的なエッセンスを加味して創り上げたこの楽曲は、例えるなら伝説のバラエティ番組『8時だよ全員集合』の場面転換で使われた、かの楽曲を彷彿とさせるほど、歴代コメディ中でも特筆すべき出来栄えとなっている。

内田有紀、松雪泰子、菅野美穂… フジテレビのコメディは若手俳優の登竜門?

話はややそれるがフジテレビのコメディドラマ枠といえば1980年代のゴールデンタイムで放送されていた『月曜ドラマランド』を思い出す。『翔んだカップル』『生徒諸君!』といった漫画原作の作品や『志村けんのバカ殿様』などのコント作品、また、明石家さんま主演の 『気持ちはロンリー心は…』のようなオムニバス作品まで、若年層を中心に幅広い視聴者層を意識した意欲的なコンテンツが並んでいた。

その方針は1992年から曜日を木曜に移して『ボクたちのドラマシリーズ』へと形を変えて引き継がれていく。この放送枠はティーンエイジャーのファンを獲得すべくアイドルや若手俳優のキャスト起用や脚本家を育成する場としても活用され、ここから内田有紀、松雪泰子、菅野美穂といった俳優たちを輩出し、彼らはやがて “月9” “木曜劇場” といった主要な連続ドラマ枠でもキャストを務めるようになっていく。

『ナースのお仕事』に主演した観月ありさも、同枠の『放課後』(92年)で主演を務めた後、93年に『じゃじゃ馬ならし』、95年には『HELP!』と、フジテレビのドラマで順調に実績を積んでポテンシャルを見いだされた1人である。

日本を代表するコメディエンヌとして主役を務める観月ありさ

当時、彼女と並んでCMなどでもアイドル的人気を誇った牧瀬里穂、宮沢りえを加えた3人の頭文字をとって3M(スリーエム)と呼び、その活躍を称える向きがあったが、彼女たちはいずれもルックスに恵まれて、ファンに愛され続けた俳優である。中でも観月は3人の中では最後発でありながら、10頭身と言われたモデル並みのスタイルと意志の強そうな表情から最も同性からの支持が厚かった。

彼女にはフジテレビのみならず他局からもドラマ出演のオファーが絶えず、94年にはTBS『いつも心に太陽を』で主演を務め、93年に同局で放送され話題となった『高校教師』でも主演オファーがあったことが知られている。また音楽活動においても存在感を発揮。この頃全盛だった小室ファミリーの一角を担うほどの活躍ぶりで、その人気は最もアイドル的であったといえるだろう。

そこで1996年、歴代彼女が演じてきた役の中でもっともはまり役とされる『ナースのお仕事』というコメディへの出演である。ルックスに恵まれた俳優がコメディにおいて実力を如何なく発揮するのは、かのハリウッド俳優においてもよく見られる事実。“アメリカの恋人” とまでいわれたメグ・ライアンやキャメロン・ディアス、最近ではマーゴット・ロビーにもあてはまるかも知れないが、彼女たちはその配役をルックスではなく演技力によって勝ち得たことを世間に認めて欲しいという信念から、喜怒哀楽を自在に表現することを問われるコメディドラマこそが、それを証明できる格好の舞台だと考える。

硬軟織り交ぜ様々なオファーが殺到していた彼女が果たして同じように考えていたかはわからない。だが結果的に彼女はその後も『ボーイハント』『天使のお仕事』『私を旅館に連れてって』『鬼嫁日記』などのコメディ作品で明るく小生意気なキャラクターを演じ続けたことで、まさに主役を張るに相応しい日本を代表するコメディエンヌとして存在感を増していくことになる。

カタリベ: goo_chan

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