元日劇ミュージックホールのトップダンサー吉元れい花さんは刺繍作家に 2年前には岡本太郎賞を受賞

元日劇ミュージックホールのトップダンサー、吉本れい花さん(提供写真)

【あの人は今こうしている】

吉元れい花さん

有楽町の日本劇場(日劇=現在のマリオン)にあった日劇ミュージックホール(NMH)は華やかなレビューショーで人気を博した。三島由紀夫や寺山修司、蜷川幸雄らが脚本・演出を手がけるなど大人のための娯楽施設だったが、再開発に伴い、1984年に閉鎖。NMHも解散した。ダイナミックなダンスとコケティッシュな魅力で後期NMHのトップダンサーだったのが吉元れい花さん(芸名=朝比奈れい花)だ。退団後、人気漫画家のバロン吉元氏との結婚を機に表舞台から引退した。れい花さんは今どうしているのか。

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「美術雑誌以外での取材を受けるのは40年ぶりかな」

都内のご自宅でお会いしたれい花さん、こう言ってほほ笑んだ。美術誌とはまたなぜ?

「実は結婚を機に刺繍を始めて、ずっと刺繍作家として活動してきたんです。それが、2年前に岡本太郎賞を受賞して、久しぶりに取材を受けまして」

賞は日本を代表する芸術家・岡本太郎を記念して次代のアーティストを顕彰するもので、578点の応募から入選24人の中の最高栄誉が岡本太郎賞。刺繍で選ばれたのは史上初だ。

「子どもの頃から細かい手仕事が苦手で、それがバロンさんとの結婚をきっかけに漫画の生原稿にトーンを貼る手伝いをしていたら、とても楽しくて。『私、こういう作業に向いてるかも』と気づいたんです。指定された範囲をトーンで地道に埋めていく……。トーンによって陰影が生まれる。今思えば、糸でイメージを描き出す刺繍につながる感覚がそこにはありました。ある時、『そうだ刺繍だ!』と天の啓示みたいに思い立って、まずは高名な刺繍家・植木良枝先生のもとで10年間勉強し、師範の免状を取りました。今は『麗花刺繍』を創始して、多様なひらめきを刺繍で表現する『楽繍会』を主宰しています」

岡本太郎賞に応募のきっかけは?

「2017年に病に倒れ入院したのですが、まだ寝たきりだった頃、岡本太郎さんの顔が突然頭に浮かび、『いのち』という言葉が頭の中にあふれたんです。ハッと起きたら目の前に『太陽の塔』がそびえ立っていて……。それまで岡本太郎さんのことを気に留めたことはありませんでした。生と死の境目でとても不思議な体験でした」

入院生活は長期に及んだものの、退院後は日常生活に戻ることができた。

「退院した日から刺繍を再開しましたが、病室での体験が気がかりで……。調べたら私も岡本太郎賞に応募できることが分かり、3回目のチャレンジで大賞。夢のようでしたが、今に至るまで、まさに病室での出来事通り、命と向き合う日々でした。岡本太郎さんの言葉や作品を通して、私自身も過去の出会いや経験の全てが創作の原動力になっているのだと気づかされました。ダンスも刺繍も、私の中では表現として一貫しています。後で知ったことですが、岡本太郎さんは私が生まれた年にNMHの衣装や舞台美術を手掛けられたそうです」

「刺繍もダンスも同じ命の躍動です」

さて、れい花さんは大阪で育ち、中学時代に見た劇団俳優座の「森は生きている」に感動、東京の桐朋短大演劇科に進み、千田是也や安部公房らの教えを受けた。卒業後はダンサーになろうと決意、日本モダンダンス界の第一人者アキコ・カンダに師事した。

「3年間、寝ても覚めてもダンス漬け。下宿に帰っても稽古をしていたので、友だちが訪ねて来た時、ボロボロにすり減った畳を見て驚いてました」

日本テレビのプロデューサーだった井原高忠に見いだされ、高級レストランシアター「赤坂コルドンブルー」で1年間踊った後、25歳でNMHに引き抜かれ、トップダンサーとなった。在団中は池田満寿夫や蜷川幸雄、佐藤信らの演出を受けた。

「ショートカットに172センチの身長なので中性的に見えたのか、宝塚ファンの女性が次々と見に来て。でも司会のトニー谷さんが『れい花に色気があったら鬼に金棒なんだけど』とおっしゃって。『これを見て勉強しなさい』とプレゼントしてくれた、見返り姿の日本人形は今も大切にしています。休暇中もニューヨークのアルビン・エイリー・ダンスカンパニーで修業をしたり、体中の細胞が爆発しそうなくらい、毎日踊っていました。今、刺繍をやっていても『表現の神髄は肉体に在る』と信じているのは、この頃の体験がベースになっています」

NMH解散の後、バロン氏と結婚した。

「バロンさんは私の表現活動の最大の理解者。彼と結婚したから気持ちはずっと踊り子のままでいられる。日本の踊り子の元祖は古事記のアメノウズメ。彼女は全裸で踊ることで天岩戸を開けて世界の光を取り戻した。私も肉体をさらけ出し踊ることこそが至上の美だと、レビューの世界に飛び込みました。刺繍もダンスも命の躍動。世界は戦争が絶えないけど、日本はアメノウズメが開けた光の扉を閉めることなく、平和の国でいてほしいと思います」

(取材・文=山田勝仁)

▼楽繍会主催「楽繍展」は4月20~26日(火曜休館)、阿佐谷・アートスペース煌翔

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