【なぜMLBで投手の故障が急増しているのか:後編】粘着物質使用禁止、急激な高速化...ピッチクロック以外にも考えられる要因〈SLUGGER〉

MLBでは今、有力投手たちの相次ぐ肘の故障が問題になっている。果たしてこの“パンデミック”の原因は何なのか。選手会はピッチクロックを槍玉に挙げているが、それ以外の要因もいくつか浮上している。

【前編から続く】
とはいえ、選手会が持ち出したピッチクロック原因説も明確な根拠があるわけではなく、時期的に重なっているという状況証拠に過ぎない。他にもさまざまな説が唱えられていて、真っ先に思いつくのは登板間隔の短さ。ダルビッシュ有(パドレス)はメジャー移籍当初から「中4日は絶対に短すぎる」として6人制ローテーションの導入を提唱していた。しかしながら、メジャーでは昔から中4日/5人ローテーションが定着していたのに、これほど肘の故障が多くなったのは最近の出来事である。

日本ではメジャーの公式球が原因だとの声が少なからず聞かれる。NPBの使用球に比べてMLBのボールは滑りやすく、過度な変化が加えられないよう21年に使用禁止となった粘着性物質も、もともとは滑り止めが目的だった。それと肘の故障が増加した時期は合致する。

21年当時はレイズに所属し、「速球の握りも、カーブの握りも変えなければいけなくなった。今までと違う個所の筋肉に痛みを覚えるようになった」と訴えていたタイラー・グラスノー(現ドジャース)は、同年8月にトミー・ジョン(TJ)手術に至った。もっとも、ボールに原因があるなら投手全員の肘がおかしくなっているはずで、これまた“主犯”とするだけの証拠が揃わない。

特定の変化球が影響していると見る向きもある。レンジャーズの医療スタッフを率いるキース・マイスターは、肘に限らず投手全般の故障に関して「スイーパーとハード・チェンジアップが原因だと考えられる」と指摘。スイーパーの大流行はピッチクロック導入と同じ23年から始まっているので、確かに可能性はある。とはいえ、これも明確な医学的根拠に基づくものではない。
そうなるとやはり最大の要因は、急激な球速の向上にあるのではないだろうか。かつては100マイル(約160.9キロ)を投げられる投手はごく一握りだったのが、今では全然珍しくなくなった。19年には1年間で100マイル以上の投球は1056球だったのが、わずか3年後の22年には3348球と3倍以上に急増。ドライブライン・ベースボールに代表されるトレーニング施設で、球速を上げるために最適な投げ方が科学的に研究された結果と言える。

しかしながら、速い球を投げられるようになることと、それに伴う莫大な出力を受け止められるようになることは別の問題だ。どれだけトレーニングを積んで肉体を強化しても、肘の靭帯が耐えられるだけの負荷には限界がある。

事実、前述した故障中の投手たちも大半が速球派だ。昨年の速球の平均球速はコールが96.7マイル、ペレスは97.5、ロアイシガは97.8、ストライダーは97.2。デグロムは98.7、アルカンタラは98.0、マクラナハンと大谷は96.8マイルだった。しかもコールは1739球、ストライダーは1826球も4シームを投げていた。ものすごい速球をこれだけの数投げていたのでは、壊れない方がおかしいとすら思える。

それでも、故障者が皆パワーピッチャーというわけでもない。レイの速球は平均92.9マイル、ビーバーも91.3マイルで、ともに速球派とは言い難いのに手術に至っている。では長年の勤続疲労が原因かと言えば、ビーバーは19、22年には年間200イニングを投げたけれども、その間の20、21年は100イニングにも満たなかった。やはりこの点は個人差ということになるのだろう。 真の原因は一つではなく、さまざまな要素が複合して起こっているのだと思われる。ダルビッシュも持論である「先発の登板間隔の短さ、過密日程などいろんな要因」に加えて「ボールが飛ぶようになってから、もっと球を速く投げる、全力で投げに行かなきゃいけなくなって、危ないなと思っていました」と投球の高速化にも言及。ピッチクロックに関しては、故障の原因だとは言わなかったが「しんどいですよ、やっぱり」と吐露していた。

自身も21年にTJ手術で全休したジャスティン・バーランダー(アストロズ)も、同じように多くのことが少しずつ影響しており、ピッチクロックが原因だというのは安易に過ぎると考えている。「一番大きな理由は、投球スタイルが変わったことだろう。誰もが出来得る限り全力で、高回転のボールを投げるようになったからだ。100マイルの球を投げられる投手に、そうしないよう言い聞かせることなんてできない」。

振り返ってみると、10年前の14年にもTJ手術の頻発は大きな問題となっていた。前年の新人王ホセ・フェルナンデス(当時マーリンズ)、同じく17勝を挙げたマット・ムーア(レイズ)ら、若く優秀な投手たちが相次いで手術に至り、この年ヤンキースに加入し、前半戦で大活躍した田中将大も靭帯を損傷。保存療法を選択したが、2ヵ月半にわたる離脱を強いられた。 当時も多種多様な要因が挙げられ、その中には存在しなかったピッチクロックは、故障の危険性が増す原因の一つではあるかもしれないが、一番の理由とは考えにくい。

となれば、MLBがピッチクロックをやめることはないだろう。明白な根拠があるならともかく、そうではないのだし、野球人気回復の切り札を失いたくはないはずだからだ。けれども選手会の言う通り、どれだけ試合がスピーディーに進もうが、目当ての選手がいないのではファンの満足を得られるわけはない。ピッチクロックと故障の関連は引き続き研究を進めるべき課題であり、重大な影響があると結論づけられれば、早急に見直す必要がある。

クレイトン・カーショウ(ドジャース)は「原因を究明できた人間は何億ドルも稼げるだろう。だって誰にも分かっていないんだから」と言う。かつて「不治の病」とされていたUCLの断裂は、TJ手術の発明によって回復可能となった。そのTJ手術に至るのを防ぐ方法が見つかるなら、それは確かに何億ドルもの価値はあるに違いない。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。

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