渡邊雄太、高校時代の自分に「よく、あの時決断したな」。NBA入りを夢見る若い世代に望むのは「僕みたいな選手ではなく…」<DUNKSHOOT>

4月21日、バスケットボールの世界最高峰NBAで日本人最長の6シーズンを戦い終え、来季から日本でプレーすることを表明した渡邊雄太が、都内で記者会見を行なった。

会見では今季終盤戦にチームを離れていた理由、今年2月半ばには日本に戻ることを決断していたこと、11年間にわたるアメリカ生活の思い出など、様々なことを語ったが、随所に日本バスケ界への想いを滲ませた。

渡邊は、「当時は不安もたくさんありましたし、自分も高校生だったので、周りが反対すると『自分がやってることって間違いなのかな』と思った時もあったんですけど…」と自身のアメリカ行きを周囲に反対されていた渡米直前の時期を回想。

「でも、アメリカに行っていろんな経験をできたから、実際NBA選手になって、6年間もNBAでプレーできた。アメリカで生活した日々っていうのは自分にとって宝物なので、『よく、あの時決断したな』ということは言えるのかな」と胸を張った。
大学、NBAと挑戦を続ける過程では、「アメリカに行っても難しいというふうに思われていたのを、自分が成功することによって、そういう考えを変えていけたらと思っていた」と、後進のための責任も背負っていたという。

「僕がどれだけ影響を与えられたのかはわからないですけど」と謙遜したが、結果的に現在では富永啓生(ネブラスカ大)をはじめ、渡邊と同様のルートからアメリカの大学に進む選手は年々増えている。

最後に、将来のNBA入りを夢見るさらに若い世代へ向けて、渡邊は金言を贈った。

「(目指してほしいのは)僕みたいな選手ではなく、今だったらルカ・ドンチッチだったりとか、KD(ケビン・デュラント)、カイリー(アービング)だとか、ステフィン・カリーだったり。今後は日本人がそういうレベルの選手になっていけたらなと思っています。

今後もどんどんNBAを目指してアメリカに行きたいという人が増えていくことを僕は願ってる。僕は僕で、アメリカに行きたいと思っている選手たちに対して、できるアドバイスはたくさんあると思うので、そういうところでも関わっていけたらなと思っています」

2004年に田臥勇太が切り開いた1歩目に渡邊が続き、八村塁がその歩をさらに進めているように、今後も日本人NBAプレーヤーの歴史が紡がれていくことを願っていた。

構成●ダンクシュート編集部

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