原田ひ香、「事故物件」の題材が大きな転機に!小説家への道を開いたのは「もう後がない」という焦り

原田ひ香 撮影/三浦龍司

『一橋桐子(76)の犯罪日記』(NHK総合)や『三千円の使いかた』(フジテレビ系)など、近年、作品のドラマ化が著しい小説家の原田ひ香さん。秘書勤務や専業主婦を経て、文章を書きはじめたのは、30代半ばのことだった。そんな原田さんのTHE CHENGEとは。【第3回/全5回】

自身の年齢を鑑みて”これが最後の勝負だな”と感じていた

今年3月に『定食屋「雑」』(双葉社)を上梓したばかりの小説家・原田ひ香さん。自分が丁寧に作った料理の夫の食べ方が許せず、その溝が離婚にまで発展した女性と、外国産の肉をすき焼きのタレで味付けするような、丁寧な女性にとっては大ざっぱに感じる定食屋のおかみの物語。

発売すぐに重版が決まり、レビューサイトでは「面白くてあっという間に読んでしまった」「温かい気持ちになれるラストがいい!」「出てくる料理も美味しそうで、特にハムカツが食べたくなりました」「まったくハズレのない作家」と、好評だ。

ここ数年は特にハイペースで出版し、精力的に活動しているが、「小説家になりたい」という気持ちは、30代半ばを過ぎたころに芽生えたものだったという。

ーー小説家になりたい、という気持ちは、結婚直後にライタースクールに通っていた当時からあったのでしょうか。それとも、幼少期からの夢でしたか?

「いえ、全然。読書は子どものころから好きでしたが、自分が書くなんて全然考えていなかった。”小説家になりたい”と思ったのは本当に、テレビ局にドラマの企画を出し続ける、シナリオの仕事を辞めた直後。そのとき、もう36、37歳くらいで、テレビ局での仕事相手が私より若い方も多くて、”このまま同じことを続けるとしたら、だんだん難しくなっていくだろうな”と感じました。
一方で、“小説家になりたい”と思うことに、畏れ多い気持ちもあって。でもやっぱり、最後は勝負しなきゃいけないというか。”これが最後の勝負だな”という、舞台から逃げられないな、という気持ちがありましたね。それでちょっと本気でやらなくちゃ、みたいな感じがありました」

”もう後がない”という焦りが小説家への道を開いた

ーー本気でやる、というのは具体的にどんな思いを込めていたのでしょう。

「”もう後がない”と自覚することですね。小説がダメだったら……というとき、ほかのなにかが思いつかなかった」

ーーシナリオの世界に戻る、という選択肢もなく?

「そうですね。年齢がいってしまうし。一方で、ラジオドラマの世界はすごくほんわかして、丁寧に作品を作るいい世界なんですよ。特にNHKのラジオドラマは、海外の賞を毎年1つは絶対に獲るような視野の広い場所でした。ラジオドラマの作家さんは年配の方が多くて、テレビよりも年齢は気にしなくていいし。
同時に、ベテランの素晴らしい作家さんがたくさんいるから、ここで活躍するのは難しいだろうなとも思いました。だからもう、”後がない”。小説もダメで、シナリオの世界もやめたら、全然思い浮かばなかったんです」

そうして自分を追い込み書き上げた『はじまらないティータイム』(集英社)ですばる文学賞大賞を受賞。晴れて小説家としての一歩を踏み出すこととなった。が、2冊目の『東京ロンダリング』まで3年を要した。

「文芸誌『すばる』(集英社)には半年に1本くらい書いていて、ほか2社からお話をいただきぽつぽつと書いていましたが、2冊目まで遠かったんですよね。のちに、すばる文学賞の当時の選考委員だった星野智幸さんたちが心配していらっしゃったと聞きまして。“原田さん、なかなか次の本が出なくて、ちょっと心配”みたいな優しい心配をしていただいていたそうで」

当時はまだ珍しい「事故物件」の題材が大きな転機に

受賞後の新人作家の行く末は、編集者ももちろん熱を込めて見守った。「これからどうするべきか、本を出すために頑張ろう」という決起集会のような集まりもあったという。

「もう芥川賞を狙うとかそういったことではなくて、次の本を出すためにキャッチーな小説を書くことを考えよう、となり、そんなときに私がネットで事故物件に住む人の都市伝説めいた話を見つけてきて。こんな題材はどうかと提案すると、すぐにOKが出たんです。それは大きな転機でしたね」

それが2011年に出版された『東京ロンダリング』(集英社)だ。いまでこそポピュラーな「事故物件」という存在だが、当時は一部ホラーマニアの間で語られる程度だった。同作の登場人物がやっている、あえて心理的瑕疵(かし)物件に一定期間住み、また次の事故物件へと移り住む……という不動産ロンダリングも、都市伝説めいた存在だった。

こうした題材を見つけたことを機に、エンターテインメント作品の依頼も舞い込むようになり、作品を書けばまた他社からも声がかかり──という好循環に、原田さん自身も明らかな好転を実感した。

きっかけは専業主婦のときに言われた夫のあの言葉

そしていまや、2018年に刊行された『三千円の使いかた』(中央公論新社)が2022年には売上累計90万部を超えベストセラー作家となり、あのとき「最後の勝負」と挑んだ小説家の世界で安定した地位を築く。

結婚直後、夫から「一生続けられるような、趣味でもいいしボランティアでもいいし、仕事につながることでもいいから、そういうのを探してみたら?」と言われたことでライタースクールに通ったこともあったが、当の夫は、原田さんの現状を、どう感じているのだろう。

「夫は多分、ボランティアとかテニスとか、そんな風に友達と一生一緒にやっていけるようなものをイメージしていたと思います。“仕事になったらそれはすごくいいことだし、ならなかったとしても一生の友達ができればいいよね”みたいな。だから”ちょっと思っていたのとは違う”という思いはあるかもしれませんが、”まあ良かったんじゃないの”みたいな感じで言われたことはありますね」

ーーまさかこんな風にベストセラー作家になるとは。

「それはまったく思っていなかったと思います(笑)」

そのときどきの転機を軽やかに乗りこなした原田さんだからこそ、「人生はなにが起きるかわからない」というシンプルな言説をポジティブに体現できたのかもしれない。

原田ひ香(はらだ・ひか)
1970年生まれ、神奈川県出身。2005年、『リトルプリンセス2号』で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。’07年、『はじまらないティータイム』(集英社)で第31回すばる文学賞を受賞。’18年に上梓した『三千円の使いかた』(中央公論新社)がロングヒットを記録し、’22年時点で累計発行部数90万部を超え、’23年に第4回宮崎本大賞を受賞した。最新作は、定食屋を舞台にした心に染みる人間物語『定食屋「雑」』(双葉社)。

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