55歳定年の元自衛官、フリーエンジニアに転身!65歳から年収を上げられた理由…厳しい自衛隊再就職の現実

その多くが50代で定年を迎え、民間企業などへの再就職を果たす自衛官。「50代を過ぎた公務員が再就職を余儀なくされる」と聞くと一見厳しそうにも思えるが、防衛大卒のライター松田小牧氏によると、中には65歳以降に年収アップを果たすなど、“50代での定年”をうまく活用している元自衛官もいるという。第二の人生を輝かせるための秘訣とは――。

※本記事は松田小牧著『定年自衛官再就職物語―セカンドキャリアの生きがいと憂鬱―(ワニブックスPLUS新書)』から抜粋、再構成したものです。

第1回:

第2回:

「50代で定年」は一つのチャンス

その多くが50代で定年を迎え、再就職を余儀なくされる自衛官。一見過酷な環境にも思えるが、いまや「定年退官後に働く」というのは決して珍しいことではない。内閣府の「労働力調査」によると、2022年度では実に65~69歳で50.8%、70~74歳でも33.5%もの人たちが働いていることが見てとれる。

一般的に、「退職」や「転職」といった事柄は、心理的に少なくない負荷を伴う。アメリカの心理学者ホームズとレイの調査では、ライフイベントにおけるストレスの大きさとして、10位に「退職」、15位に「新しい仕事への再適応」、16位に「経済状況の変化」、18位に「転職」が挙げられている。これらはいずれも「1万ドル以上の借金」や「親戚とのトラブル」よりも高い結果だ。

ましてや自衛官の再就職は、30数年間にわたり国家防衛の任にあたった人間が、50代を過ぎて利益を追求する営利企業に勤めることを余儀なくされるケースが多いわけで、営業職がほかの会社の営業職に就くといった転職よりもストレス度が高いことは想像に難くない。加えて、50代後半ともなれば、必然的に自分の身体の衰えを自覚するだけでなく、両親の介護の問題なども出てくる。さまざまなストレスがボディーブローのように効いてくるのが、定年退官した自衛官の状況であるといっていいだろう。

しかしその一方で、50代で定年を迎えるからこその利点もある。陸上自衛隊を1 佐で退官し、数多くの著作がある元心理幹部の下園壮太氏は次のように話す。

「人生100年時代の中、働く高齢者も増加の一途をたどっていますが、65歳まで一つの会社で働き、そこから生き方を変えるのはかなりの困難が伴います。50代でそのチャンスを得られるほうが、圧倒的に柔軟性が高いのです」

「悲しい事故を減らしたい」アウトドアスクールを開校

2022年に55歳、3尉で退官し、埼玉県毛呂山町でアウトドアスクール「WILD FROG Outdoor school」を開校した元航空自衛官の桑原裕則氏も、「金銭的なことを考えれば企業に再就職したほうがいい」ことは十分にわかっていながらも、あえて自身の夢を追った。それは、「65歳、70歳からアウトドアスクールを始めるとなれば、さすがに体力の低下は避けられない。さらに顧客にも『本当にこの人で大丈夫か?』と思われるかもしれない」と考えたからだった。

桑原氏がアウトドアスクールを開校したきっかけは、「山の中で親子が遭難し、亡くなった」という悲しいニュースを目にしたこと。「痛ましい事故を1件でも減らすために自分にできることは何か」と考え抜いた末の結論だった。在職中にファイナンシャルプランナーの資格を取得しており、「稼げなくても何とかやっていけるはず」との見通しも立っていた。

桑原氏のアウトドアスクールは、最小限の荷物で山や森林などに入り、自然の中にあるものを利用するやり方を取る。一見初心者には難易度が高そうにも思えるが、安全なナイフの使い方や簡単な焚火の方法、地図の読み方やコンパスの使い方など、いざというときのサバイバルテクニックなどを「ゆるく、楽しく学んでもらう」ことをモットーとしている。こうした知恵は災害など不測の事態にも役立つだろう。

顧客の数は、いまのところそれほど多くはない。それでも、後悔はない。今後は家庭の事情などでなかなか遊ぶことができない子どもたちに、アウトドアを経験させる取り組みにも注力していくつもりだ。

フリーエンジニアの道で65歳から収入アップ

ちなみに定年を迎える自衛官のうち、自衛隊による再就職支援(就職援護)を受けて民間企業などへの再就職を果たすのは約7割。残りの3割は、自分で開拓したり家業を継いだりするといった選択肢を選ぶ。

2007年に1佐(55歳)で退官した藤原幸雄氏は、自分で自分の人生を開拓した3割のうちの1人だ。藤原氏が退官後に選んだのは、エンジニアの道。自衛官在職中、プログラミングに携わることは一切なかった。それでも、防衛大在校時にプログラミングを「面白い」と感じた気持ちに加え、いまの世の中でも強く求められていることを鑑み、「とにかくもう一度勉強してみよう」と決めた。

そこには、「〝国家防衛のプロ〟として、30余年を歩んできた。しかし、55歳での定年となれば、まだもう一つのプロにもなれるはずだ」という思い、そして「元気なうちは、社会に恩返しをしなければいけない」との思いがあった。

無事ソフトウェア開発技術者(現応用情報技術者)の資格を取得し、“就職活動”を開始したものの、当初は書類選考すら通過することがなかった。「もう駄目なのかもしれない」との思いも頭をよぎったが、ちょうど就職活動中だった大学生の娘からかけられた「お父さん、就職活動では100社受けて普通だよ」との言葉に救われ、娘と励まし合いながら就職活動を続けた。

再就職先が決まったのは、定年のわずか10日前のことだった。東京に本社を置くIT企業が、藤原氏を採用してくれたのだ。再就職先では社内SEの業務を担い、社内SEとしての仕事がないときには、顧客から依頼された案件に触れることもあった。

そして同社を定年により65歳で退職した2017年、藤原氏は「フリーランスのITエンジニア」に転身した。日ごろから鍛えていることもありまだ体力には余裕があったし、ITエンジニアとしても、まだ顧客に喜んでもらえる成果物を提供できる自信があった。

藤原氏に案件の斡旋を行っている「PE-BANK」北海道支店支店長の中村健夫氏は、「弊社としても、当時『65歳のフリーランス』の前例はありませんでしたが、実際に会ってみると『ぜひ一緒に仕事がしたい!』と強く感じました。これまでの案件では、藤原さんだからこそ成果を上げることができたようなものもあります。非常に頼りになる存在です」と太鼓判を押す。

高い成果を残した藤原氏の給与は、フリーのエンジニアになる以前よりもアップした。退官当時、自衛隊の援護を受けた同輩からは「手取りが13万円しかない」といった声も聞いていたため、退官後は「手取りで月20万円ほどあればいい」と考えていた藤原氏。だが自己開拓の結果、手取りは月に30 万円を確保し、定年前には35万円まで上がった。

そして72歳となったいまは、それ以上の収入がある。民間企業で働いていれば給与が増えれば年金が減らされる仕組みがあるが、フリーランスにはそれもない。ここからどこまで市場価値を高めていくことができるのか、そんな挑戦にやりがいを感じている。

第二の人生に正解はない

第二の人生に正解はない。それでも言えることとしては、決して定年は、自分の人生の終わりではないということだ。「退官自衛官の再就職を応援する会」世話人の宗像久男氏は、「定年は人生の『切れ目』ではない。『節目』である」と強調する。

「定年で自分の人生が終わってしまう」と考える自衛官は、定年後の自分の人生が想像以上に長く続く事実に、退官してからようやく直面し、立ちすくんでしまうかもしれない。もちろんそこからまた歩き出せばいいのだが、もとから準備してきた人はそのときすでに、はるか前を歩んでいることだろう。ある援護関係者は、「準備をしてきた人には勝てませんよ」と話す。

また多くの元自衛官は、「定年退官後には勝手の違う新しい職場に行くのだから、謙虚さが必要である」と話す。新しい何かを得るときには、これまでの何かを捨てることが必要。そんな思いが、とりわけ充実した生活を送っている元自衛官からは感じられた。そして、「元自衛官としての誇りがあるから、しんどい業務や雑用でも厭わずやれる」とも話す。

定年退官後は、自衛隊の制服を着用することはもうないかもしれない。だがそれは決して、自分の中から自衛隊で培ったものが消えていくことを意味しないのである。

松田小牧著『定年自衛官再就職物語―セカンドキャリアの生きがいと憂鬱―(ワニブックスPLUS新書)』

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