『プレステージ』クリストファー・ノーランの真の“偉業”を問う傑作

人間の弱さが物語を動かす


オッペンハイマー』(23)でアカデミー賞を受賞したことにより、クリストファー・ノーラン監督への注目度が高まっている。これまでヒットメーカーとしての地位を築いていたのはファンにはご存知のとおり。すでに過去の作品も高く評価されていたが、今回の受賞はアカデミー賞がようやくそれに追いついた、といったところか。

オッペンハイマー』には時間軸の錯綜に加えて、クライムストーリーというノーラン作品ならではの味がある。政治的に立ち回る悪党たちの、さながら見本市のような映画。主人公オッペンハイマーにしても例外ではない。もちろん、主人公だからその人間性は深く掘り下げられており、同情の余地はあるものの、それでもグレーな感はぬぐえない。

思えば、ノーラン作品の多くは人間の弱さにスポットを当て、それが物語を動かしてきた。弱さとは人が直面する最初の悪であり、すべての悪はそこから派生する。『ダークナイト』(08)のヴィラン、ジョーカーはその究極といえるだろう。ただし、ノーランはジョーカーを恐怖の対象としてとらえており、意図的にその過去を描いていないので、悪党としてのカリスマ性以外には共感を寄せられる部分がない。

『プレステージ』(c)Photofest / Getty Images

その点、本稿の主役である『プレステージ』(06)の主人公ふたりは、モラルを失っていく過程も比較的わかりやすい。ふたりのマジシャンは、なぜ破滅の道をたどっていったのか? 運命の皮肉とも思える状況を描いた、このサスペンススリラーの魅力を、作品の背景とともに語っていこう。

対決の構図に、ノーランの愛するあの名作の影が


舞台は19世紀末、ヴィクトリア朝時代のイギリス、ロンドン。主人公のアンジャーとボーデンは、それぞれに大衆の心をつかんでいる奇術師でライバル同士だ。彼らの根深い因縁は修業時代、奇術のアシスタントを務めていたアンジャーの妻が水中脱出マジックに失敗し、死亡したことにさかのぼる。奇術用に彼女の腕をロープで縛ったのがボーデンだったことから、アンジャーは彼を恨み、復讐を誓う。マジシャンとして独り立ちした後、アンジャーはボーデンのマジックを失敗させ、ボーデンは指を2本失う大ケガを負った。ボーデンも負けじとアンジャーのトリックを暴き、舞台上で恥をかかせた。敵対心に憎悪も加わり、彼らの戦いは熾烈化していく。

原作はクリストファー・プリーストが1995年に発表した小説「奇術師」。この小説に惚れ込んだノーランは映画化を想定して弟のジョナサンに脚本化を依頼する。ところが、『アメリカン・ビューティー』(99)でアカデミー賞を受賞したサム・メンデスも、この小説の映画化に意欲を燃やしていた。ノーランにとって幸いだったのは、彼の出世作『メメント』(00)をプリーストがとても気に入っていたこと。かくして企画はノーランの手に委ねられる。

『プレステージ』(c)Photofest / Getty Images

花形奇術師アンジャーにふんしたのはヒュー・ジャックマン。ブロードウェイの経験も豊富な彼は舞台映えすることから、ノーランはぜひとも彼にこの役を演じて欲しいと考えていた。一方、私生活を犠牲にしてマジックに打ち込むボーデン役にはクリスチャン・ベール。ノーラン作品には『バットマン ビギンズ』(05)に続く主演となるが、その影のある個性はミステリアスなボーデン像にピタリとハマッており、ノーランはそんな俳優たちの個性の対比を気に入っていた。

ノーランに多大な影響をあたえた作品として、マイケル・マン監督の『ヒート』(95)が挙げられる。『インソムニア』(02)や『ダークナイト』などで、男たちの敵対関係を時に激しく、時に補完し合うように描いてきたノーランだが、本作でもそんな『ヒート』の流儀が生かされた。

個性的でエキセントリックな奇術師たちの競演


物語は中盤になると、瞬間移動芸を競うバトルにシフトする。アンジャーの芸のからくりをボーデンはすぐに見破った。ところがボーデンのトリックをアンジャーは見破ることができない。苦悩の果てに、アンジャーはボーデンのトリックを暴くのではなく、ボーデンを超える瞬間移動芸を生み出そうとして発明家のニコラ・テスラを頼る。そしてテスラは、アンジャーの想像を超えるほどの奇術装置を作り出そうとしていた……。

アンジャーとボーデンは架空の人物だが、テスラは実在した科学者、兼発明家。ノーランは物語のトーンを整えるため、テスラを現実離れしたキャラクターとして描こうとした。この役に抜擢されたのは、今は亡きカリスマ・ミュージシャン、デヴィッド・ボウイ。ノーランは映画監督ニコラス・ローグの大ファンであり、『地球に落ちてきた男』(76)で異星人を演じたボウイの存在を求めていた。この頃のボウイはアーティスト活動も俳優活動も休業中で、ノーランからのオファーに気乗りしなかったという。それでも熱心に口説いたことが功を奏した。ボウイが演じたテスラは浮世離れした、ある意味、もうひとりの奇術師のような雰囲気を醸し出している。

『プレステージ』(c)Photofest / Getty Images

ともかく、テスラの革新的な技術を得て、アンジャーは隙のない瞬間移動芸をやり遂げる。ボーデンはこれまでアンジャーのトリックをことごとく見破ってきたが、これだけは何度見ても見破ることができない。映画のクライマックスではそれが明かされ、さらにボーデンの瞬間移動芸のタネも明らかになる。それについては、ぜひ観て驚いて欲しい。

他にも、本作にはアンジャーとボーデンの師匠であり、奇術師の座を退いてからはステージ用のトリックの考案者となっているカッターという男が登場する。演じるは、ノーラン作品の常連マイケル・ケイン。頭に血が上って争い合うアンジャーとボーデンを冷静な視点で見つめると同時に、観客に対してトリックではなく真実を語る。そんなカッター像を、ケインはベテランの貫禄を漂わせつつ演じている。

エゴという人間の弱さでミスリードするストーリーテリングの妙


この中で、もっとも優れたマジシャンは誰か? 結局のところ、それはノーラン監督に他ならない。映画の冒頭で、ノーランはすでにアンジャーのトリックのタネをさりげなく明かしている。たとえば、ボーデンが冒頭で目にする水槽の中身。また、地面に転がるたくさんのシルクハット。その意味するところを観客が気づくのは、クライマックスまで待たねばならない。

その後の物語にも、クライマックスにつながる多くの要素が含まれる。本作を2度3度見れば、ノーランが巧妙に張り巡らした伏線に気づくに違いない。たとえば、ボーデンの瞬間移動のタネを明かす逸話は、セリフやキャラクター描写など、いたるところに見ることができる。しかし、我々観客はノーランのミスリードに導かれ、ときに疑ったり、ときに納得したりしながら、映画というショーの行く末を見守ることになるのだ。

『プレステージ』(c)Photofest / Getty Images

ノーランの巧みなミスリードの最大のポイントは、アンジャーとボーデンの、おたがいを打ち負かそうとするオブセッションの壮絶なぶつかり合いだろう。物語を追う我々観客は、そちらに夢中になり、トリックそのものにはなかなか気づかない。一方のエゴが他方のエゴの先に出たとき、観客は遅れを取った側に肩入れする。俗にいう“判官びいき”というやつだ。人間はエゴから、なかなか逃れられるものではない。本作で物語を動かすのは、そのような人間の“弱さ”なのだ。

“プレステージ”とは“偉業”を意味し、奇術の分野では最後の仕上げの段階に相当する。劇中でも説明されるが、マジックは3つの段階から成立している。最初の“プレッジ(=確認)”では、ごく普通のことを見せる。次の“ターン(=展開)”では、普通のことが異様なことに変化する。それに続くのがプレステージ。映画作りは奇術とよく似ていると、ノーランは語る。そんな彼のプレステージを、ぜひ本作で堪能して欲しい。

文:相馬学

情報誌編集を経てフリーライターに。『SCREEN』『DVD&動画配信でーた』『シネマスクエア』等の雑誌や、劇場用パンフレット、映画サイト「シネマトゥデイ」などで記事やレビューを執筆。スターチャンネル「GO!シアター」に出演中。趣味でクラブイベントを主宰。

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