2023年11月、パチンコライターの吉田栄華が出版した『偏愛パチンコ紀行』(釘曲げ出版)。この本は全国各地のパチンコ店を巡りながら、彼女が実際に感じたパチンコの魅力が綴られている。そして、驚くべきことに出版元の「釘曲げ出版」とは、この本を作るために有志によって立ち上げられたのだという。
「パチンコにネガティブなイメージを持っている人にも、周辺文化を通して、その魅力を知ってほしいと思ってます」と語る吉田。ニュースクランチ編集部は、現在の立ち位置になるまでの転機やパチンコへの想いなど、好きなことを仕事にした道筋を語ってもらった。
▲Fun Work ~好きなことを仕事に~ <パチンコライター・吉田栄華>
小学2年生から小説を書き始めた文学少女
『偏愛パチンコ紀行』はパチンコの勝ち負けだけではなく、周辺文化についても語られている。織り交ぜられた分析や考察を読んでいるうちに、著者である吉田栄華という人間に誰しも興味を持つはずだ。
「子どもの頃は、一人遊びが好きで空想ばかりしている子どもでした。小学2年生から小説を書き始めて、“大人になったら小説家になりたい”って、いつも言っていましたね。人とは狭く深く付き合うタイプでしたが、じゃあ子どもの頃に仲良かった子と今も関係が続いているかというと、続いてないですね……。基本、一人だったと思います」
小説を読むだけはなく、小学2年生で小説を書き始めていたという。何かキッカケはあったのかを聞いてみた。
「当時、よく読んでいたのは、物語というよりは図鑑のようなものでした。『間抜け図鑑』みたいな本で、つまみ食いをするとか、道路に飛び出すとか、やってはいけないことの例がいっぱい載っているような本。それを繰り返し読んでいましたね。その次に影響を受けたのが、妖怪のカタログです。あとは、小学6年生から宮沢賢治にハマってました。
中学生になってからは、『詩とメルヘン』っていうサンリオ出版から出ている雑誌を読んでいました。童話でも短編小説でもショートショートでもない、ちょっと不思議要素のあるフワっとしたお話で、詩とメルヘンだけで構成されているんです。
そういえば、メルヘン要素のある妖怪小説を自分でも書いていました(笑)。メルヘンって、創作の一つの分野なんですよ。中学校では文芸部に入って、最終的には部長までやったのですが、もう本当に入れ込んで文章を書いていました。当時はいわゆる文学少女でしたね」
パチンコと出会ったキッカケはおじいちゃん
小学生、中学生とさまざまなジャンルの本を読んで、文章を書いてきた彼女は、当然のように書き仕事をしたいと思っていた。そんな彼女とパチンコとの出合いを聞いた。
「小学生の頃、福島県に祖父がいまして。夏休みになると、妹と一緒によく遊びに行っていました。そのとき、手持ち無沙汰な時間があると、おじいちゃんがパチンコに連れて行ってくれたんですよね。パチンコを打つおじいちゃんを見て、密かに“カッコイイ”と思ってました(笑)」
©吉田栄華 2024
祖父がキッカケでパチンコと出合い、それからどんどんハマっていくことになるのだが、母親はほぼギャンブル経験ゼロで、父は競馬をやったり、たまにパチンコを打ったりする程度だったという。彼女の“射倖心”はいつごろから芽生えて、実際に自分で打ち始めたのはいつごろだったのか。
「物心ついたときからです(笑)。子どもの頃、オモチャ屋さんの店頭にあった10円で遊べるルーレットゲームにすごくハマってしまって。誰に教えられるでもなく、自分で勝手にハマっていったんですね。ハマりすぎてのめり込み状態になって、嘘をついて親のお金を使ったり……。
とうとう我慢ができなくなって、土曜とか日曜とか、親が家にいる日も行くようになっちゃったんです。だから……最後は親に見つかってしまって。父に現場を押さえられて、そのまま連れて帰られて、すごく説教をされました(笑)。射倖心の芽生えはそこだったと思います。
でも、高校を卒業したらすぐにパチンコ打ちに行きたいと思っていて(笑)。結局は浪人生になっちゃうんですけど、予備校の入学式の帰り道に行きました(笑)。初めて行ったときは右も左もわからない状態で……緊張しましたね」
「最初に打ったパチンコ台は?」という質問に吉田は即答した。
「『スタジアム』という羽根モノの機種です。三洋というメーカーから88年にリリースされた台ですね。子どもの頃にやった10円ゲームよりも複雑で、スリリングで、ゲーム性もあって……すごく面白かったし、簡単にのめり込みました(笑)。でも、勝てはしなかったです。勝てないのにのめり込んでいたから、途中で苦しくもなりました」
会社を辞めてから取得した国家資格
子どもの頃は書くことを仕事にしたいと思っていた彼女だったが、大学を卒業してから現在の仕事に就くまで、実際にはどのような仕事に就いてきたのだろうか。
「最初は、三重県の四日市市にあるケーブルテレビのディレクターになりました。ミーハーなところもあって、ずっとやってみたかったんです。うまくいけば、書く仕事にもつなげられるんじゃないかとも思って。小説家でもライターでも、最初はそれで生活できるわけじゃないと思っていたので、まずはディレクターになってみようと」
地域のニュースやドキュメンタリーを中心に、カメラを回し、編集をし、ディレクター業を全うしていたという。特にドキュメンタリーを作るのが好きで、自主制作番組コンクールなどを目標にして、実際に賞を取ったこともあったようだ。しかし、4年ほど働くうちに、先輩がどんどん出世し、現場を離れていくのをみて“自分もいずれこうなるのなら”と思って辞めたと語る。
「組織内での昇格とかに興味がなかったんです。本当に好きなら自分でやるよなって。結局、YouTubeでもなんでも好きなものを自分で作って発信できる時代が来ましたよね。だから、あのとき決断して間違っていなかったと思います」
そのあとは、好きなことを好きなようにできるよう、食いっぱぐれることがないような資格を取るための奮闘が始まったと話す。彼女が選んだ作業療法士は、学校に通い、病院で実習をし、レポートを書き、国家試験を受け、合格して初めて取得できる資格だ。
「会社を辞めてから、作業療法士の資格を取りました。私の母が看護師なんですけど、“こんな仕事があるよ”と教えてくれて。学校に3年間も通わないと取れない資格だったんですけど、入り直しました。でも、実際にどういう仕事かは、3年経たないとわかんなかったですね。リハビリの仕事とは聞いていたんですけど、それだけじゃなかったし。
食いっぱぐれるのはイヤだったので、それなりにきちんとした固定収入が欲しかった。これくらいの資格を取っとけば……って感じです。それから3年くらいは、作業療法士として働きました」
さまざまな経験を経て、現在の立ち位置を獲得した彼女。ケーブルテレビで働いたり、学校に通ったりしているあいだも、パチンコに足を運んでいたと思いきや……。
「じつは、大学卒業から結婚までの10年くらい、パチンコは休んでました。大学を卒業した頃にCR機が始まって、ホールにおける羽根モノの割合が減っていくんです。私の求めてたパチンコじゃなくなってしまった。それに加えて使えるお金が限られてしまっていたので、財布が追いつかなくなって……それでちゃんとやめられました」
▲その頃は私の求めていたパチンコじゃなくなってしまったんですよね
結婚して再びパチンコを打ち始める
あれほどのめり込んだパチンコも、働かざるを得ない、通学せざるを得ない状況でやめることができた。あらゆる経験をして現在の職業であるパチンコライターとなった彼女に、人生の転機を聞いてみた。
「転機はいくつかありますね。まずは、結婚を機にそれまでやめていたパチンコを始めたこと。作業療法士の学校に行って、今の旦那さんと出会ったんです。作業療法士の資格を得たことよりも、旦那と出会ったことのほうが大きかったんじゃないかな。
年齢はだいぶ違うんですけど、旦那とは使っちゃいけないお金を使ってパチンコをしていた……っていう思い出を共有できたんですよ。二人とも同じような経験があって(笑)。“懐かしいね〜”って、二人とも羽根モノしか打ったことがないんですけど、“最近もあるのかな? 見に行ってみようか!”って。そこから行き始めて復活しました」
パチンコに理解があり、思い出を共有できる旦那がいなかったら、パチンコライターとしての彼女はいなかっただろう。ただ、趣味でパチンコを打つ人と、仕事としてのパチンコライターは、まったく別だとは思うが、どんな経緯で趣味の範疇を超えたのだろうか。
「予備校生や大学生のときは、勝ち方を考えて打ってなかったので負けっぱなしだったんですよ。結婚後に始めたときは、攻略本を買ってみたり、オカルト的なことも書いてある雑誌を買ってみたり、妹の職場にいた“コンピュータープログラムに詳しい”って人に話を聞きに行ったり、いろんなことをして、どうやったら勝てるかを考えました。あっ、コンピュータープログラムの話はさっぱりわかんなかったです(笑)。
ある日、『パチンコ・パチスロTV』っていうCSのパチンコ専門チャンネルを見ていたら、正攻法のパチンコ攻略を教えていたんです。攻略雑誌のパチプロがボーダー理論というものを語っていて。それまで勝てるか勝てないかを判断する基準が曖昧でしたが、本でボーダー理論を学んだら、パチンコの仕組みを理解できるようになったんです」
そのときに、デジパチは“へその部分”に玉が入った瞬間に当たるか外れるか、すでに決まっているということを理解する。演出でドキドキさせられているあのときに抽選していると思いがちだが、盛り上げるためのインストが行われているだけなのだ。
「ええええ! そうだったの?! みたいな(笑)。パチプロっていう人たちが本当にいて、本当に勝っているかって疑っていたですけど……マネしたら、あっという間に勝てるようになったんです。そこからはもう、一生減らない宝箱を見つけたような感じでした。その喜びとともに、またパチンコにのめり込むことになるんですけど(笑)」
転機について、もうひとつエピソードを話してくれた。
「以前にも本を出す話があったんです。当時、名古屋にいたパチプロ仲間に、同じように周辺文化に興味をもっている人がいたんです。その人から“共同で本を出してみないか?”って言われたんですよ。今回の本につながるような、パチンコの周辺文化に関する本だったんですけど、結局は出せませんでした。当時の原稿を見てみると“これじゃダメだな”って思うような内容なので、出なかったのも納得なんですけど」
パチンコ雑誌で書けたら最高じゃない?
子どもの頃から本を読み、小説を書き、パチンコに憧れを抱いていた彼女。好きなことの掛け合わせを見つけことで、まさに「好き」を仕事にしていくことになる。
「書く仕事に就きたい、とはずっと思っていました。しかも、それをパチンコ雑誌で書けたら最高じゃない?って。いろんなことがようやくそこで結びついたんです。それで、履歴書を『パチンコ必勝ガイド』とかに送り始めました。聞いた話によると、すっごいたくさん応募があるみたいなんです。だから、私の履歴書は見られたとしても、すぐに捨てられるんだろうなと思っていました。
そしたら、送って2日後くらいに電話がかかってきたんです。たぶん……送った文章が比較的ちゃんとしていたこと、あとは名古屋在住だったことが大きかったんだと思います。今は少なくなりましたけど、名古屋ってメーカーの直営店がたくさんあったんですよ」
名古屋にいたのは作業療法士の学校があったからだそうだが、これもパチンコライターに導かれる大きなアドバンテージになっていたようだ。ライターとしてパチンコに勝つか勝たないかに興味があるのは当然のことだが、そうじゃない周辺文化的な部分に興味をもったのは必然だったのか。それとも意識的だったのだろうか。
「周辺文化みたいな部分に興味を持ち始めたのは、ライターを始めて1~2年目だったので早かったと思います。中学や高校時代からサブカルチャーには影響を受けていたし、興味もありました。あとは、やっぱりライターとしての表現、自分にしかできない表現を見つけたいと思うなかで、そこにたどり着いたっていうのもあります」
好きなことを仕事にするのは“生きる術”
彼女が書いた本は、他にはないこだわりが感じられ、パチンコが好きな人じゃない人にこそ読んでほしいものに仕上がっている。パチンコ文化について、思うことがあるからこその表現なのではないか。そうと聞くと……。
「この本に関して、ホールさんとかメーカーさんとか、そういう人たちからの反応が薄いとは思っていました。だから、その人たちに読んでもらうことはあまり想定していなかったんです。けれど、業界関係者が“この本は面白いから、パチンコ屋の店員に読ませたい”と言ってくださったんです。
だから、パチンコを打つ人にも打たない人にも、伝わる本ができたかもしれないなって。今のパチンコ業界については、自分も観察者として入り込みすぎないように考えているんですけど、こういう形で本にしてしまったら、投げかけていることになるんですよね。でも、押し付けることはしたくはない。いろんな人に何か伝わるものがあればいいなとは思ってます」
一歩引いた位置からパチンコを見ているからこそ、業界関係者に伝わるものがあるのかもしれない。競馬・競輪・オートレース……いろいろなギャンブルがあるなかで、彼女が感じているパチンコの魅力を教えてもらった。
「“孤独な大衆娯楽”であることでしょうか。単純に、向き合う先が機械じゃないですか。馬がいるとか、艇があるとか、ディーラーがいるとか、そういうのがない。店内には人が密集しているのに、一人ひとりは孤独で……それなのに、駅前ならどこにでもあるような大衆娯楽なんですよね。それが魅力だと思います」
パチンコの周辺文化を、彼女ならではのこだわりで表現した本のタイトルは『偏愛パチンコ紀行』。“偏愛”と書かれてはいるが、そこには“博愛”にも思えるような何かがある。紆余曲折ありながらたどり着いた現在の職業。彼女にとって、“好きなことを仕事にする”とはどういうことなのか。
「今はもう、生活すべてがパチンコ。何をしていても、パチンコと関連づけないと体が動かなくなってしまうんです。だから、これ以外の仕事を選ぶっていうことが考えられない。好きなことと仕事を切り分ける発想が私にはないんです。こういう人間にとって、好きなことを仕事にするっていうのは生きる術とも言えますよね。だから、好きなものがあったら、迷いなく好きなものを仕事にできるように頑張ればいいんじゃないかな。
現在のパチンコ業界を見ていると、上り調子ではないので、どうしても目先の利益ばかりを追ってしまっているように感じています。私くらいは周辺文化を伝えることで、パチンコの魅力を伝えられたらと思ってます」
▲『偏愛パチンコ紀行』は釘曲げ出版の公式サイトで購入できる
最後に、座右の銘を聞いた。
「うーん……“のさらん福は願い申さん”ですかね。パチプロをやっていた頃に好きだった言葉なんですけど、要は、目の前の利益のことだけ考えてやっていると、最終的に自分の首を絞めることになってしまっている、ということですね。この言葉がすごく胸に響いていた時期がありました」