「地元の戦火・傷跡知って」 中原空襲展 会長が吐露 川崎市中原区

展示を見学する来場者

1945年4月15日に見舞われた川崎大空襲。川崎中原の空襲・戦災を記録する会は4月12日から17日まで、中原市民館で「中原空襲展」を開催した。

同会は、2009年に中原市民館市民自主企画事業から発足。区内の町会長から空襲体験者を紹介してもらい、聞き取り調査を実施。100人を超える人たちの証言集を作成した。11年から同館で、中原区の戦火の記憶を語り継ぐことを目的に同展を開催。今回で13回目となる。

期間中は、玉川、小杉・丸子地域などエリアごとに、聞き取り調査で判明した焼夷弾が落ちた場所、火災の発生場所などの被災状況や被災者の証言を、当時の地図に落とし込んで作成した資料を展示。今年初めて、幸区延命寺に建つ「御幸地区戦災死者氏名碑」に刻まれた160余名の名前を掲出し、川崎大空襲後に房総半島に墜落した米軍B29搭乗員にまつわる西畑村事件について紹介したパネルも展示された。

13日には、同会の中島邦雄会長が寝床家道楽の高座名で、幼い頃に経験した東京大空襲をもとにした落語「ああ東京大空襲II」を披露した。

中島会長は「今の国際情勢を考えても、戦時はどういう状況なのかを多くの人に知ってもらいたい。中原区で最近暮らし始めた人たちにも、以前の中原区がどのような地域で傷跡があったか知ってもらえるように、今後も活動を行っていきたい」と話した。

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