『アンメット』が映す脳と心の宇宙 杉咲花と若葉竜也の言葉にならない感情が交錯する

脳が引き起こす現象を私たちは驚きをもって受け止める。『アンメット ある脳外科医の日記』(カンテレ・フジテレビ系)第2話では、意識の外側の見えない領域に働きかけた。

半側空間無視という症状がある。事故や病気で脳に障害を負った人に見られ、損傷を受けた脳の半球と反対側の情報を知覚できなくなる高次脳機能障害の一つだ。特に、右半球に損傷を受けた場合に、視野の左側に注意を向けることができなくなる。神経科学者のV·S·ラマチャンドランが著書『脳のなかの幽霊』(角川書店)で紹介し、一般に知られるようになった。

サッカー部のエースだった高校生の鎌田亮介(島村龍乃介)には左半側無視があった。亮介は試合中に倒れて丘陵セントラル病院に運ばれた。担当医のミヤビ(杉咲花)は、亮介とともに後遺症のリハビリに取り組む。しかし治療は思うように進まず、エース不在のサッカー部が大会を勝ち進む中で、亮介は次第に焦りを募らせる。

わからないことが、わからない。「この病気は頭では理解できても実感するのが難しいんです」とミヤビは語る。左半側無視の患者は、自分ではちゃんと見えていると思っている。しかし、絵を描けば対象の左半分がそっくりそのまま欠けている。それでも、亮介は競技への復帰を諦めなかった。ミヤビは亮介の意思を尊重し、亮介も懸命にリハビリに励んで、なんとか日常生活に支障がないところまで回復した。

そんな亮介の希望はいとも簡単に打ち砕かれた。フィールドを走り回るサッカーで、左側の状況が認識できないことは決定的に不利になる。久しぶりに立ったグラウンドで、亮介は周囲の動きに全く反応できなかった。いらだつ亮介に、ミヤビは今まで通りサッカーを続けることは難しいと告げた。

ミヤビの治療方針に疑問を抱く看護師長の津幡(吉瀬美智子)は、余計な期待を持たせて患者を苦しめてはならないと忠告する。たしかに、このまま治療を続けたからと言って、望むような結果は得られないかもしれない。これに対して、ミヤビは「亮介くんの生き方は本人が決めるもの」と言い、「後遺症で苦しんでるこの時間も亮介くんの人生」と答えた。

病気や障害とともに生きる、と口で言うことはたやすい。けれども、実際に病気や障害を抱えて生きることは並大抵のことではない。体験した人でなければわからない苦しみがあり、それぞれが向き合う現実は想像を絶する。記憶障害と診断されたミヤビが、亮介の治療にとことん付き合うと決めたのは、同じように脳に障害を持つ一人として、できることをしたいと考えたからだと思う。

過去2年の記憶がなく、昨日の出来事を翌朝には忘れてしまうミヤビにとって、左半側無視の亮介は、脳の障害によって生じた欠落を抱える者同士である。ミヤビは時間、亮介は空間の認知で、状況に違いはあるものの、そこにあるはずのものがない点で共通する。見えないものを見ようとする姿勢は『アンメット』というドラマの特徴かもしれない。ミヤビはその導き手として、亮介の壊れてしまった脳の地図を取り戻す手助けをした。

記憶障害になったミヤビは「障害があるからって、自分の人生を諦めるのは悔しい」と言う。脳に障害を負っても、亮介には持続するサッカーへの情熱があった。もう一つ失っていないものがあって、サッカー部の仲間たちは亮介の思いを背負い全国大会への切符を勝ち取った。

見えないものを演じる、それは物理的にだけでなく、自身の心に映らないものも含めて「ない」けれど、たしかにそこに「ある」ものを演じることだ。感情だけがその痕跡を覚えていて、いつか何かのきっかけで思い出せるかもしれない。不確かな無意識の境界を、主演の杉咲花は一つずつ手探りで確かめながら、おぼろげな輪郭を形にしていく。ミヤビは絶えず不安と緊張の中に身を置いており、演じる杉咲は記憶障害を抱えて生きることの意味を問いかける。

脳外科医・三瓶友治役の若葉竜也は、空白を内部に抱えたミヤビに寄り添い、様々なトリガーを与えながら、眠っているミヤビの心の領域にアクセスしようと試みる。相手が抱える「わからない」状態を、ありのままに受け止めながら、それでもなおミヤビという人間を信じる心のありようは、“無”と“有”を同時に見すえるようで、仕草や表情の随所から言葉にならない感情が伝わってきた。

2人の対話を軸にした『アンメット』は、脳が生み出す心の世界を丹念に描き出す。第2話ラストで明かされたミヤビと三瓶の過去は、これから歩む未来にも影響せずにいられないだろう。それさえも記憶の1ページに綴りながら、私たちは今日という日を生きていく。

(文=石河コウヘイ)

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