なぜ川勝知事のような「ヘイトスピーチおじいちゃん」が日本には多いのか、なぜ謝らないのか…細川ガラシャ子孫まで激怒させた辞世の句

リニア反対派として有名だった川勝平太静岡県知事が4月10日、任期を残り1年以上も残して県議会議長に辞職願を提出したことは、多くの静岡県政ウォッチャーに衝撃を与えた。

川勝知事は在職中、度重なる失言で話題になったが、 中高年男性の生態に詳しいネット論客のポンデベッキオ氏は「川勝知事のような『ヘイトスピーチおじいちゃん』が日本に多いのは当然だ」というーー。

川勝平太「野菜を売ったり、牛の世話をしたりする人たちとは違います」

リニア反対派として有名だった川勝平太静岡県知事が4月10日、県議会議長に辞職願を提出した。その大きなきっかけとなったと思われるのは、同氏の度重なる失言だ。

「県庁というのは別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり物を作ったりとかと違って、基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです」という気持ちよいほどの職業差別ヘイトスピーチに、筆者は思わず苦笑いを浮かべてしまった。

日本では、なぜ毎年のように「ヘイトスピーチおじいちゃん」が誕生するのか

過去にも森喜朗元総理大臣など権力を持つ高齢政治家のヘイトスピーチが問題になったことは度々あり、その都度メディアで取り上げられ世間からバッシングを受けているにもかかわらず、毎年のように新たなヘイトスピーチおじいちゃんが現れる。なぜ彼らは平気で差別的な発言を繰り返し、国民の批判を浴びながらも一向に謝罪の色を見せないのか。いったいなぜ、こんな炎上覚悟の発言を繰り返すのだろうか?

やはり、成功したおじいちゃんは誰からも注意されなくなるからだろう。高齢の成功者は周囲から敬われ、面と向かって怒られることがない。日本は権威主義的かつ儒教の影響による”年功序列”的思想があるせいで、高齢者たちは年下の世代から「アホなこと言うてたらあかんで」と咎められることがないのである。

フランスの諺(ことわざ)「金持ちのジョークはいつも面白い」

さらに厄介なのが、成功した高齢者を持ち上げるコバンザメたちの存在だ。彼らは仕事や利権などの”おこぼれ”にあずかることを狙って権力を握った高齢者に媚びへつらうのである。フランスの諺に「金持ちのジョークはいつも面白い」というものがあるが、どんなオヤジギャグやヘイトスピーチ、セクハラ発言をしても取り巻きが手を叩いて笑ってくれる忖度コミュニケーションにどっぷりつかることで、ただでさえ鈍っているおじいちゃんたちの判断力はどんどん低下していく。

偏屈で頑固ないかにもヘイトスピーチを繰り出してきそうな高齢者ほど、まともな人間からは敬遠され孤独に乾いている。そんな心の隙間にコバンザメたちは入り込むのである。権力者の周りには常にゴマをする者が群がる。そして、その群れが権力者を益々増長させ、際限のないヘイトスピーチを生み出すのだ。

なぜ「ヘイトスピーチおじいちゃん」たちにSNS攻撃は効かないのか

また、ネットリテラシーの欠如も大きな問題だ。SNSなどで誹謗中傷されたことを苦に命を絶ってしまう哀れな若者が後を絶たないが、ヘイトスピーチおじいちゃんたちはいくらSNSでボコボコにされてもへっちゃらである。なぜなら彼らはSNSをやっていないし、アカウントがあっても自分で運営したり見たりしていないからである。

怒りに震えるリベラリストやフェミニストがネットでいくら失言お爺ちゃんを叩いてもまさに馬の耳に念仏、まったくダメージを与えられないのだ。そのため、何度SNSで炎上しても後悔もしなければ悪びれることもない。団塊の世代の高齢者たちの多くは、ネットの意見を未だに便所の落書きのような取るに足らないものと思い込んでいるのである。

若者たちが多く暮らしている東京で選挙を戦う政治家であれば話は変わってくる。もう少しSNSの声にも耳を傾けるのかもしれない。しかし、地方政治家ともなればそんな必要はない。何故なら政治家はもちろん有権者の多くもSNSにあまり興味がない中年や高齢者が過半数だからである。

おじいちゃん政治家が地域の古臭い昭和の価値観を優先するワケ

静岡県も御多分に漏れず、若者の東京や名古屋への流出が止まらずにここ10年で人口は10万人近く減少しているような状態だ。別に東京の若者が主流のSNSで叩かれたところで、地方での選挙にはさほど大きな影響はないのである。むしろSNSに批判されようとも、地元の支持者である中高年が喜ぶ政策を推進したほうが選挙でも勝ちやすいのだ。全国的な批判より地元での人気を重視する。彼らはポリコレだなんだといった世界の潮流より、地域の古臭い昭和の価値観に合わせることを選ぶのだ。

年齢を重ねると、新しいことを学ぶ意欲も衰える。高齢政治家の多くは、時代の変化についていけず、昭和の感覚のまま時が止まっている者も多い。だからこそ、現代社会のポリティカルコネクトレスの流れや多様性について理解できず、差別的な発言を繰り返すのだ。彼らは新しい価値観に微塵の価値も感じていないのである。新しい価値観を受け入れない精神性が繰り返されるヘイトスピーチの温床となっているのである。

なぜヘイトスピーチおじいちゃんは謝らないのか…戦略的に謝っていない可能性

さらに彼らはどれだけ世論に叩かれても謝罪することは少ない。なぜなら強気な態度こそが信者を引き付けることを彼らは知っているからだ。政治家は市井の人々が細かい政策などを見る余裕も興味も時間も持っておらず、印象だけで投票先を決めていることを理解している。いちいちマニフェストを読み込んで投票しているのはネットの政治マニアだけなのだ。

もしヘイトスピーチをして叩かれたときに謝罪してしまうと、あの時にテレビで謝っていた悪い政治家だ、という印象だけが強く植え付けられてしまい選挙で不利になるのである。そのため彼らは多少のバッシングであれば絶対に間違いを認めず、開き直る姿勢を取る。負けない強い政治家をアピールすることが人気の秘訣なのだ。一貫して強気でいることで、信者は離れていかない。政治家としての経験則から、謝罪より開き直りを選ぶのである。

勝ち戦ばかりだった地方の政治家ほど謝罪をしてこなかったので、謝罪することに慣れていないのだ。権力者が謝罪するということは、自らの権威を失うことを意味する。だからこそ、彼らは決して頭を下げようとはしないのである。

細川ガラシャの子孫が激怒「川勝、お前が言うな」

こうして主に地方都市の高齢政治家によるヘイトスピーチは、構造的な問題によって生み出され続けている。これから更なる少子高齢化が進む日本において、これを解決するには難しいだろう。新しい価値観を好む若者ほど古臭い地方を飛び出してエルドラド東京へ向かい、地方に残るのは高齢者とそれらにおもねる人間だけになるからだ。

川勝知事は辞職願の提出前、報道陣から心境を問われた際に、戦乱の世を勇ましく生きて38歳の若さでこの世を去った戦国武将の妻、細川ガラシャの辞世の句『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』(花は散るときを知っているからこそ花として美しいのであり、人間もそうであらねばならない。そして今こそ散るべきときである。という意味)を引用した。

その結果、細川ガラシャの子孫からお前が言うな、と激怒されるというオチまでつけて騒動は幕を閉じた。すでに亡くなった女性に対しても迷惑をかけて知事の座から去っていった川勝元知事の今後の活躍にも注目したい。

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