史上最強の後援会・越山会とは 田中角栄秘書が22万票を獲得した選挙戦を語る!選挙ドットコムちゃんねるまとめ

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2024年4月7日に公開された動画のテーマは「史上最強の後援会・越山会とは?」

過去最多の22万票を獲得したこともある越山会の強さの秘密や、他の議員や地域住民との交流についてのエピソードを、「生涯田中角栄の秘書」朝賀昭氏が、ユーモアと愛情豊かに語ります。

【このトピックのポイント】
・有権者の想いが結集した「怒りの」22万票
・中選挙区制の時代、選挙の戦い方
・田中角栄氏の造語「総力結集」と「愛」

新潟3区で空前の大量得票・22万票を獲得

1983年(昭和53年)、ロッキード事件の一審で実刑判決を受けた2ヶ月後、いわゆる「ロッキード選挙」で過去最多となる220,761票を獲得し、当選した田中角栄氏。

舞台となった新潟県第3区の有権者数は約55万4千人。控訴中のため、自民党を離党し無所属で戦った田中角栄氏に対し、ほかの当選者はわずか4万票台。当選者4人の得票数を足しても、22万票には遠く及ばなかったといいます。

ふだんはほかの立候補者の応援を優先し、地元選挙区に入ることのなかった朝賀氏たち秘書も、「この時ばかりは私たちも全力で選挙に当たった」と振り返ります。

田中氏が、これほどの得票を獲得できたのはなぜでしょうか。

越山会は新潟県に存在した政治団体。田中角栄の後援会として「鉄の団結」を誇ったといわれるのは、「自民党員は即、ほとんど越山会」だからというだけではありません。

朝賀昭氏「越山会は、政党活動なんかしてない会員もものすごく多いわけですよ。この人たちが田中先生が政治家になった昭和22年から応援をしてきた」

田中角栄氏の生涯のテーマは「克雪」。

屋根より高く雪が積もり、屋根からの雪下ろしならぬ「雪上げ」と言われる豪雪地帯で生まれ育った田中氏。「日本列島改造論」の原点となった雪問題の克服は、冬の間は働き手が都会に出稼ぎに出てしまう、かつて「裏日本」とさえ呼ばれた地域の悲願でした。

田中角栄氏の、初出馬でのスローガンは「熱き血の叫び」。

政治家になりたいから出馬するのでなく、政治家になって、政治の力で恵まれない郷里を始めとする積雪地帯に光を当てたい。越山会の人々も、田中角栄氏が地域のために頑張る姿を評価したと朝賀氏は語ります。

田中角栄氏が倒れてから亡くなるまでの年数を入れると30年以上。「怒った田中先生は見たことがない。僕が怒られたのが2回だけ。公に、表に向かって怒ったのは2回だった。そのうちの1回がロッキード事件の判決」だったと朝賀氏は語ります。

朝賀氏「田中先生も判決の日、悠々と裁判所に出かけていった。みんなに迷惑をかけたけど、今日で、晴れて無罪で、また昔と変わらないようにみんなのために頑張れる。そういう思いで出て行った」

その怒りが、郷里の皆さんが同じ思いで判決を迎えたのだろう、と朝賀氏はつぶやきます。その中での一審判決と選挙。「お世話になった田中先生に、今回だけは恩返しをしたい」とばかりに、地元が熱狂しました。

MC松田馨「最盛期の越山会は、9万5千人というとんでもない会員数だったと思いますが、地域のかたの『怒りの一票』の想いがあったんですね」

当時の新潟県第3区は、長岡市、三条市を始めとする7市を含めた33市町村。田中氏をこぞって批判していたマスコミの票読みと実際の獲得票の差が、報道の「大勝」か「惨敗」かを分けます。

朝賀氏「批判されればされるほど、うちの、新潟県第3区の有権者は燃えたんだよ。“恩返しと敵討ち”みたいなね。この一票と。角さんには世話になったんだよ、ここで恩返ししないわけにはいかないっていってね。それがこの票になったんだよ」

有権者の「怒り」に支えられた田中陣営。落選することはないといえ、強く批判するマスコミに対しては緊張します。朝賀氏たちの票読みでは、「行っても16万〜18万票くらい」だったそうです。ところが、

朝賀氏「僕らも想定外の、想定を上回る得票だったんだけど、おやじさんだけがひとり、ほくそ笑んでいたんだ」

総力を結集した戸別訪問での働きかけはもちろんのことですが、本来なら越山会と対立するような団体の人でも、「自分は入れられないけれど、うちのばあさんの1票は田中さんに入れるから」と呼応する動きと、地域のひとつひとつの反応を読み切って20万票は行くだろうと予想した田中氏。

朝賀氏「陰に陽に、大なり小なり縁のある人が多かったってことだよね」

中選挙区時代、田中角栄氏の地元での人間模様と選挙の極意

朝賀氏「新潟ってけっこうね、革新が強いんだよね」

当時の新潟県第3区は、5人の選挙区で、多くの場合は自民党3、社会党2という得票で、時に社会党3、自民党2となることもあったといいます。

2006年から選挙プランナーとなったMC松田馨氏にもなじみがない、中選挙区での戦いを、朝賀氏はユーモアたっぷりに語ります。

朝賀氏「(選挙の)応援に行くと街宣車とすれ違う。社会党の先生(小林進・元衆議院議員)に手を振ると、『おーい、おやじさんは元気かーい?』ってスピーカーでやるんだよ」

朝賀氏「(小林先生も)よく考えたと思うんだよね。『ぜひ、皆さんの票をこの小林進に一票ください。私が嫌だったら角さんに入れてください』っていうんだよ。ほかの人に行かないってことだから」

MC松田「中選挙区の戦い方ですね」

国会に行けば政敵でも、ふだんは社会党の議員とも親しくしていたという田中角栄氏。地元では人間同士の付き合いがあったことがうかがえます。

MC松田「田中先生だからこういう後援会が作れたんですね」

朝賀氏は、越山会の結束力の強さを、さらに指摘します。

朝賀氏「(田中先生は)徹底的に選挙基盤が確定するまでは、ご自身の足で全戸歩いたから。何しろ僕らより知らないところはないくらい、選挙区をよく知っていた」

尋ねてくる地元の人々に、共通の知人や店舗のことを次々と語る田中角栄氏の選挙極意は、次のように語られています。

・5万件の戸別訪問と、1万5千件の辻立ちを川上からやって行け
・握手した数しか票にはならない
・だから歩け歩け、ひたすら歩け

田中氏が確かに自分の暮らしを見て理解している、と感じる有権者も呼応します。

みぞれの中、到着が遅れる田中氏を藁と毛布を敷いて待つ老人が、「角さんのな、姿を見れるのは、おそらくこれが最後だと思う。俺は冥土の土産に角さんと会っていくんだから。雪なんざ毎年降ってるわね。オヤジさんの顔を見てから俺は帰るから、いいんだ。心配しなくていいからありがとね」という言葉を聞いた朝賀氏は「ありがたいなあと思って涙が出た」と述懐します。

朝賀氏「この人もやっぱり田中角栄のことが好きなんだな、田中角栄を愛してるんだなと思ったよ。そのぐらい、田中角栄は尽くした政治家だったと思うよ」

MC松田「選挙はやっぱり人間がやるものですから。そこの大原則といいますか……私は中選挙区をまったく知らない(世代)ですが、やっぱり空中戦やネット選ではダメですよね」

今に通じる「総力結集」 政治界のキングオブステーツマン・田中角栄

MC松田が最後に取り出したのは、田中角栄氏が自民党総裁時代の1972年(昭和47年)、選挙の前に書いた「総力結集」の額。

朝賀氏「田中派の先生方は、みんな持っていると思う。二階俊博先生(自民党・元幹事長)も、山東昭子先生(前参議院議長)も」

MC松田「2年くらい前の自民党の政党ポスターで、党員100万人の目標にも使われましたよね」

総力結集という言葉は、田中角栄氏オリジナルの言葉だそう。

朝賀氏「おやじさんは演説の時にさ、こう言ったよ。『総力結集して、全員上がってこい!』って」

田中角栄氏のことを「語り尽くせない」という朝賀氏が、最後に次のように語りました。

朝賀氏「私は田中先生を“キングオブステーツマン”と呼んでいる。政治家としての集金力、集票力、政策力、調整力、先見力、選挙の強さ……円に近ければ近いほど高得点を得られる」

陸上の近代十種競技の優勝者のみに許される「キングオブアスリート」になぞらえた言葉で、朝賀氏は「総合点で田中角栄をしのぐ政治家は、少なくとも僕が生きている間には出てこない」と断言します。

そして、かけがえのない田中角栄氏の魅力は。

朝賀氏「一丁目一番地は“愛”なんだよ。国を愛する、郷里を愛す、人を愛す、政治に愛をもって臨む……これが一丁目一番地」

時代や選挙制度の違いはあれど、朝賀氏が語る、田中角栄氏の政治家としての矜持や哲学、人としての魅力には、現代に通じるものがたくさんあります。ぜひ、今回の動画シリーズをご覧ください!

動画本編はこちら!

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歴代最強の「越山会」の強さの秘密を、田中角栄の秘書が語る!

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