【神奈川の難読地名】家族で挑戦

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない場所の名称ってありますよね?そんな名称を探してクイズにします!

【神奈川県の難読地名】南足柄市の「怒田」って何と読む?その由来は?

出典:リビング横浜Web

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

そんな地名を探して、クイズにします!

神奈川県南足柄市にある地名「怒田」は何と読む?

神奈川県南足柄市にあるまちの名称です。同市の北東に位置しています。

まちの北の境には酒匂川が流れています。東の境には県道74号が通っていて、町内に鉄道は走っていません。伊豆箱根鉄道大雄山線の終着点である大雄山駅が最寄り駅です。まちがあるのは、怒田丘陵と呼ばれる入り組んだ地形の上ですが、その丘陵のなだらかな斜面には120本ほどの桜の木が植えられていて、毎年3月になるとピンク一色に染まるそうです。

植えられた桜の種類は、南足柄生まれの「春めき桜」。2000(平成12)年に南足柄市で品種登録された桜で、よく見られる「ソメイヨシノ」より開花が早く、甘い香りを放つのが特長とか。卒業式シーズンに咲いている桜として知られているそうで、桜の木の里親制度もあるようです。

怒田のまちを含む南足柄市や開成町では、地域住民が主体の、花による地域おこし「あしがら花紀行」が実施されています。

そんな「怒田」の読み方ですが・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「怒田(ぬだ)」でした!

その由来は?

地域の地名に詳しい本によると、「ヌタ」「ヌダ」「ウダ」などの地名は、山の中の小規模な湿地をさすことが多いとか。この怒田も、小さな沢がいくつも流れるところだそうです。

室町時代の文書には、「怒田」のほかに「奴田」と表記されることもあったようです。

参考:南足柄市ホームページ、春めき財団ホームページ、小田原ライブラリー「西さがみの地名 風に聞き大地に読む郷土の歴史」(夢工房)ほか

皆さんは、正しく読めましたか? 機会があれば、ぜひ散策に訪れてみてください。

【神奈川県の難読地名】横浜市の「本牧間門」って何と読む?その由来は?

出典:リビング横浜Web

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

そんな地名を探して、クイズにします!

神奈川県横浜市にある地名「本牧間門」は何と読む?

横浜市中区の町名です。なだらかな丘の上にある「本牧山頂公園」の南側に位置します。

まちの北東から北西の境には、本牧通り(横浜市主要地方道82号山下本牧磯子線)が通っています。また、南から西までの境には東京湾岸道路(国道357号)が通っていて、この2つの道路は、まちの西端の間門交差点で交わります。

一方、南東の境は、国指定名勝「三溪園」の敷地がある本牧三之谷と接しています。本牧間門は、1994(平成6)年に、間門町と本牧三之谷のそれぞれ一部から新設されました。その際、住民の要望で「本牧」を付けられたそうですが、もとの名だった間門町には、かつて「間門園」という旅館がありました。

そこは、本牧の気風を好み、「よそに住む気がしない」とまで言ったという文豪、山本周五郎の“仕事場”でしたが、1989(平成元)年に静かに廃業。現在は住宅になっているようです。

それでは、気になる読み方と由来ですが・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「本牧間門(ほんもくまかど)」でした!

その由来は?

横浜市のホームページによると、本牧間門のもとの町名の「間門(まかど)」は、そもそもは久良岐郡本牧本郷村の小名だったそうです。

また、横浜市の町名に詳しい本によると、アイヌ語の「マカ(=開く、開けたる)」と「ト(=湖水)」が組み合わさった言葉ではないかという、地名研究でも名高い柳田國男の説を紹介しています。

さらに同書では、「マカド」は「崖などの急斜地」を意味するとか、「マ」のつく地名は「池沼や川の一部などの水溜まり」をさすなど、別の地名研究による説も伝えています。参考:横浜市ホームページ、「横浜の町名」(横浜市市民局)ほか

皆さんは、正しく読め...

【神奈川県の難読地名】足柄上郡中井町の「半分形」って何と読む?その由来は?

出典:リビング横浜Web

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

そんな地名を探して、クイズにします!

神奈川県足柄上郡中井町にある地名「半分形」は何と読む?

神奈川県足柄上郡中井町にある地区です。同町の南西部に位置します。

半分形という地区は、地図で見ると、飛び地が多く複雑に入り組んでいることが分かります。区域の東側には、神奈川県道709号(中井羽根尾線)が通っていて、その道に沿うように中村川水系の本流、中村川が流れています。そして、川の対岸には「五所八幡宮」があります。五所八幡宮は、“五所宮(ごしょのみや)”とも呼ばれる神社で、毎年4月には「五所八幡宮例大祭」が行われます。850年以上の歴史があり、「かながわのまつり50選」の一つでもあるこの祭りには、半分形の地区からも山車が出るそうです。

この祭りの最後には、宮入する前の二基の神輿が、中村川に“川入り”するのだとか。その勇壮な様子は、松明の灯りに照らされて見応えがあるといいます。

そんな「半分形」の読み方ですが・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「半分形(はぶがた)」でした!

その由来は?

中井町のホームページや神奈川県の地名に詳しい本などをあたりましたが、同町「半分形」の地名の由来は知ることができませんでした。

ただ、地元の人の話として、「半分形」という地名は中井町にしかないらしく、その由来は“律令国家の時代”(飛鳥・奈良)までさかのぼれる、という説があるようです。

また、先述の本の「半分形村(はぶかたむら)」の項には、正保国絵図(=江戸時代の国絵図)には「半分方」と表記されていた、と書かれています。

参考:中井町ホームページ、「神奈川県の地名 日本歴史地名大系14」(平凡社)ほか

皆さんは、正しく読めましたか? 機会があれば、ぜひ散策に訪れてみてください。

【神奈川県の難読地名】横浜市の「嶽下橋」って何と読む?その由来は?

出典:リビング横浜Web

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

そんな地名を探して、クイズにします!

神奈川県横浜市にある橋、「嶽下橋」は何と読む?

今回はちょこっと番外編。地名ではない名称にフォーカス。横浜市戸塚区秋葉町にある橋、「嶽下橋」を取り上げます。

その嶽下橋がかかるのは、境川水系二級河川の平戸永谷川(ひらどながやがわ)です。

延長約5kmの川の流れは、港南区野庭町から発して、環状2号線(磯子区を起点として鶴見区に至るまで市内をとりまく環状道路)とほぼ平行して進んだのち、嶽下橋の手前で川上川と合流。さらに戸塚区柏尾町付近で阿久和川と合流して、そこから柏尾川になります。この平戸永谷川の周辺は、食品や陶器、電気、機械などの工場が集まるところですが、かつてはホタルやカワセミがよく見られたようです。

そのような環境を取り戻そうと、水辺では定期的にクリーンアップが行われているとか。また、河津桜が植えられる川沿いはプロムナードになっていて、花の咲くころには「さくらまつり」が開催されるそうです。

そんな平戸永谷川にかかる橋の読み方ですが・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「嶽下橋(たけしたばし)」でした!

その由来は?

戸塚区秋葉町にある、平戸永谷川にかけられた橋が、嶽下橋(たけしたばし)と付けられた由来については、横浜市ホームページなどを調べましたが分かりませんでした。

ただ、この嶽下橋は、洪水などの水災を防ぐ点で重要な役割を果たしているようです。というのは、平戸永谷川を観測する河川カメラの設置地点だからで、そこから記録される平戸永谷川の映像は、「横浜市水防災情報」というサイトで見ることができます。

嶽下橋/横浜市水防災情報(河川カメラ情報地点詳細)

https://mizubousai.city.yokohama.lg.jp/river_camera/rc_details_previous.html?lang=ja&wpc=546642

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【神奈川県の難読地名】足柄上郡松田町の「寄」って何と読む?その由来は?

出典:リビング横浜Web

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

そんな地名を探して、クイズにします!

神奈川県足柄上郡松田町にある地名「寄」は何と読む?

神奈川県の西部、足柄上郡松田町にある4地区のうちの一つです。寄地区は町内で最も広い区域で、ほかに松田惣領、松田庶子、神山(こうやま)と呼ばれる地区があります。

寄地区を南北に通る道路は、神奈川県道710号神縄神山線です。最寄り駅は、JR御殿場線の松田駅と、小田急電鉄小田原線の新松田駅で、どちらも隣の松田惣領地区にあります。主要道路の県道710号に沿うようにして流れているのは、酒匂川水系の中津川。丹沢山系の鍋割山を水源とする清流で、毎年6月の夕暮れ時にはホタルが飛び交う光景が見られるそうです。

その中津川の周辺には、大きなしだれ桜の木が植わっています。樹齢250年という「寄五大しだれ桜」と呼ばれるうちの4本で、花見の時期には散策コースとして親しまれています。

「寄五大しだれ桜」の桜が満開になると、まるで“滝の流れ”のような景色があらわれるとか。そんな桜の花を愛でる「寄しだれ桜まつり」が、2024(令和6)年も、3/24(日)、30(土)、31(日)の3日間に開催される予定です。

足柄上郡松田町「令和6年 寄しだれ桜まつり」

https://town.matsuda.kanagawa.jp/site/kankou-sub/shidare-r6.html

さて、正解は?

それでは、肝心の読み方ですが、正解は・・・

「寄(やどりき)」でした!

その由来は?

松田町ホームページによると、1875(明治8)年に地域の7つの村(萱沼、弥勒寺、中山、土佐原、宇津茂、大寺、虫沢)が合併して「寄村」としたことが、地名の始まりだとか。そのとき、どの村の名前も引き継がないで「寄」にしたのには、次のような説があるようです。

それは、7つの村は合併する前から、ことあるごとに“寄り合って”は相談して解決する、ということをしてい...

【神奈川県の難読地名】伊勢原市の「洗水」って何と読む?その由来は?

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地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

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神奈川県伊勢原市にある地名「洗水」は何と読む?

今回はちょこっと番外編、難読というより珍しい名称にフォーカス。今は神奈川中央交通のバスの停留所として名を残す、神奈川県伊勢原市にあった地名です。

そのバス停があるのは、同市の日向地区(ひなたちく)ですが、まずは伊勢原市全体について紹介します。

伊勢原市は、神奈川県のほぼ真ん中に位置していて、市境は平塚市、秦野市、厚木市と接しています。市内を抜ける主要道路は、国道246号と東名高速道路。鉄道は小田急電鉄小田原線が走っています。最寄り駅は、同線の伊勢原駅です。同市にそびえる大山(おおやま)は、現在も登山やハイキングで人気のスポットですが、江戸時代から庶民の信仰と行楽でおおいに賑わっていた霊峰です。

大山の頂からはいくつかの沢が流れています。そのうち東側の谷を下っていった沢の水は「日向川」となりますが、その急な流れによって削られた両岸は「日向渓谷」として四季折々の景色を見せています。

渓谷を下っていくと、“日本三薬師”の一つとされる、日向薬師・宝城坊があらわれます。その辺りは、春は梅や桜、夏は紫陽花(あじさい)や菖蒲(あやめ)、秋は彼岸花(ひがんばな)が咲くところだそうで、そんな花々を観賞するためには、伊勢原駅からバスに乗って「洗水」の停留所で降りることになります。

それでは、その「洗水」の読み方ですが・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「洗水(あろうず)」でした!

その由来は?

伊勢原市ホームページの「いせはらのトリビア」によると、地名の由来には、鎌倉幕府を開いた源頼朝と関係があるそうです。

というのは、建久5(1194)年8月8日、娘・大姫の病平癒祈願のために日向薬師を参詣した頼朝は、近くの沢の水で馬を洗った...

【神奈川県の難読地名】横須賀市の「不入斗町」って何と読む?その由来は?

出典:リビング横浜Web

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

そんな地名を探して、クイズにします!

神奈川県横須賀市にある地名「不入斗町」は何と読む?

横須賀市にあるまちの名称です。同市の北部、上町第2地区に含まれます。

まちの中に鉄道の駅はありませんが、北側を横断する京浜急行線の汐入駅、横須賀中央駅、県立大学駅と、西側を縦断するJR横須賀線の衣笠駅の間に位置します。

また東の町域には、“三浦街道”と呼ばれる県道26号横須賀三浦線が接しています。まちのほぼ真ん中には「不入斗公園」があります。敷地面積は16.3ヘクタール。陸上競技場のほか、軟式野球場が2面、テニスコートが8面ある総合運動場です。

この公園の場所は、第二次世界大戦が終わるまで、日本陸軍の横須賀重砲兵連隊の練兵場だったとか。敗戦後は農地として使われていましたが、食糧事情がよくなってからは運動公園として整備されたそうです。

公園内の陸上競技場のわきには、グレーの鉄柱が建てられています。これは、国土交通省の国土地理院が設置した「基本電子基準点」だそうで、上空のGPS衛星から発信される電波から受け取ったデータは、土地の測量や地図の作成、地震・火山噴火の予知の基礎データとして利用されています。

そんな不入斗町の読み方は・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「不入斗町(いりやまずちょう)」でした!

その由来は?

「不入斗」という地名は、東京都や千葉県など関東地方に多く、東海地方にも見られるようで、「いりやまず」あるいは「いりやまぜ」「ふにゅうと」とも読まれるそうです。

地名の由来は、平安時代までさかのぼります。当時は、貴族や寺社が土地(荘園)を持っていましたが、その荘園領主の中には、租税を納めなくてもよい権利(不輸の権=ふゆのけん)や、田地を調査する役人(検田使=けんでんし)の立ち入りを断れる権利(不入...

【神奈川県の難読地名】相模原市緑区の「寸沢嵐」って何と読む?その由来は?

出典:リビング横浜Web

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

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神奈川県相模原市にある地名「寸沢嵐」は何と読む?

神奈川県相模原市緑区にあるまちの名称です。まちは同区の北西部に位置しています。

北の町域は相模湖と接しています。相模湖は、相模川を堰き止めてつくられた人造湖(相模ダム)ですが、その湖から流れ出た川の水は、山梨県の道志村から発して、寸沢嵐の町域を南から東にかけてぐるりとなぞるように流れる道志川のそれと、まちの東側で合流。そこから遠く太平洋の相模湾を目指します。まちの北部を横断する道路は、国道412号と県道517号。道の周辺には市街地が広がっていますが、一方、まちの西南部は山間の地域です。緑区牧野と接する西の町域には石老山(せきろうさん)があり、頂上を通るハイキングコースは相模湖エリアではポピュラーなルートだそうです。

その山のふもとには、連続テレビ小説「花子とアン」の登場人物のモデルになった、柳原白蓮(=やなぎわらびゃくれん/大正から昭和にかけて活躍した歌人)が眠る、顕鏡寺(=けんきょうじ/高野山真言宗の寺院)があります。

そんな寸沢嵐の気になる読み方は・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「寸沢嵐(すわらし)」でした!

その由来は?

現在、寸沢嵐の地名は「すわらし」と読みますが、1984(昭和59)年に発行された「神奈川県の地名 日本歴史地名大系14」にある「寸沢嵐村」の項には、「すあらしむら」とルビが引かれています。

また、相模原市ホームページによると、町内にある国指定史跡「寸沢嵐石器時代遺跡」は「すあらしせっきじだいいせき」と、市登録有形民俗文化財「寸沢嵐沼本の徳本念仏塔」は「すあらしぬまもとのとくほんねんぶつとう」と、それぞれ読むそうです。

この地域が「寸沢嵐(すあらし)」とされた由来。そして、「すあら...

【神奈川県の難読地名】横浜市の「五貫目町」って何と読む?その由来は?

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地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

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神奈川県横浜市にある地名「五貫目町」は何と読む?

横浜市瀬谷区の町名です。同区の北部に位置して、町域の北側は東京都町田市と、同じく西側は神奈川県大和市と接しています。

まちの中に鉄道の駅はありませんが、五貫目町は昔から“交通の要所”のようです。というのも、町域の東側には東名高速道路が、反対の西側には国道246号が通っていて、さらに南の町域をなぞるように、かつて“絹の道”と呼ばれた「八王子街道(神奈川県道・東京都道56号目黒町町田線の区間)」が走っているのです。

つまり、町域の東・西・南を、新旧の主要な道路に囲まれているまちなのですが、そういった特徴からか、町内には企業の工場や物流にまつわる施設が点在しています。そんな五貫目町ですが、西側の、神奈川県大和市と東京都町田市との境には境川が流れています。川沿いの「境川ゆっくりロード(境川自転車歩行者専用道路)」を自転車に乗ってのんびり下って行けば、そのまま藤沢市の江ノ島までサイクリングができるそうです。

それでは、肝心の読み方ですが・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「五貫目町(ごかんめちょう)」でした!

その由来は?

横浜市のホームページによると、五貫目町の「五貫目」は、もとは地域の小字の名称だったようで、「江戸時代の初期に年貢の石高が五貫目と定められ、それが字名となったという」と、由来が書かれています。1974(昭和49)年に今のまちが新設された際に、その字名が町名に採用されたそうです。

加えて、横浜市の地名に詳しい「横浜の町名(昭和57年版)」の本をひも解くと、五貫目町の項には、「当小字(=五貫目町)の高(=土地の生産力の表示単位)が五〆文目と決められた。それに基づいて五貫目となった」とあります。

ちなみに、...

【神奈川県の難読地名】小田原市の「栢山」って何と読む?その由来は?

出典:リビング横浜Web

地元ではみんな知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名ってありますよね?

そんな地名を探して、クイズにします!

神奈川県小田原市にある地名「栢山」は何と読む?

神奈川県小田原市にあるまちの名称です。同市の北部、酒匂川と狩川の間に位置しています。

まちの中には、酒匂川水系の仙了川をはじめとした、いくつかの水路が通っています。

それらの多くは農業用水を整備して使われたのだそうで、中には、周辺の自然保全を考えて、「せせらぎ水路」として復元整備された水路もあるとか。「寺下排水路」がその一つで、魚が住める水質の水が流れているそうです。そんな栢山のまちには、南北に流れる仙了川に沿うようにして、小田急鉄道の小田原線が通っています。最寄り駅は、同線の栢山駅です。

線路の東側には、「尊徳記念館」や「尊徳生家」「尊徳墓所」が点在しています。尊徳とは、二宮尊徳(別名・金次郎)のことで、江戸時代後期の農政家でした。栢山のまちは、その彼の生まれ故郷として知られているところです。

それでは、まちの名の読み方ですが・・・。さて、正解は?

正解は・・・

「栢山(かやま)」でした!

その由来は?

神奈川県の地名に詳しい本などを調べましたが、まちの名が「栢山」とされたいきさつは、残念ながら見つけられませんでした。ただ、かつては「賀山」や「加山」と書かれたこともあったそうですが、それがなぜ「栢山」になったのかも分かりませんでした。

ちなみに、栢山の「栢」は、百ではなく「柏」の異体異構の文字だそうです。

「柏」は、「かえ(かへ)=ヒノキ科の植物の総称」、または「かしわ(かしは)=ブナ科の落葉高木)と読みますが、ほかに「かえ」が変化したと思われる「かや」とも読まれます。

その場合はイチイ科の常緑高木のことを意味するそうで、「榧(かや)」の古い呼び名とも言われます。

参考:小田原市ホームページ、国立...

※記事に掲載した内容は公開日時点の情報です。

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