【山陰最大の戦災】「玉栄丸」爆発事故から79年 犠牲者追悼の式典 鳥取県境港市

4月23日は、山陰最大の戦災があった日です。旧日本陸軍の船「玉栄丸(たまえまる)」の爆発事故から23日で79年を迎え、23日朝、事故現場の鳥取県境港市で犠牲者追悼の式典が行われました。

爆発事故が発生した午前7時40分、境港市では多くの人が慰霊碑に次々と手を合わせていました。太平洋戦争末期の1945年4月23日、旧日本軍の徴用船「玉栄丸」は、境港での爆薬荷揚げ中に爆発し、死者120人・重軽傷者309人という大きな被害をもたらしました。23日は、境港市の事故現場近くで慰霊碑献花式が行われ、遺族など関係者が参列し、犠牲者に黙とうや花を捧げていました。遺族の中には、当時4歳で、家も焼かれ、父親を失った83歳の男性も。

4歳の時父親を失った 仲元輝代志さん(83)

「(父親の)顔も知らんです」

Q.会いたいですか?

「もちろんですよ。(今も)おやじにはいつも頼んでますわ。帰って来いと言って」

ところで、この事故の原因は、当時の関係者の証言などから陸軍兵士のたばこの不始末という見方も出てきています。船に爆薬を積んでいたことを軍部が兵隊にも知らせず、軍事機密としたため、積み荷に引火した戦災ともいえます。

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この爆発事故を長年にわたって研究してきた郷土史家 根平雄一郎さんです。

郷土史家 根平雄一郎さん(75)

「すべて軍事機密ということで、一般の町民にもかん口令がしかれ、軍の無謀な(爆薬の積み荷)。戦争がなかったら、このような大惨事は起きていなかった」

戦場だけが戦争ではありませんでした。79年たった今もなお、戦争被害に苦しんでいる人たちがいます。世界各地で今も戦争が続いていますが、この玉栄丸事故も改めて平和の大切さを私たちに伝えています。来年は、この玉栄丸爆発事故の発生から、節目となる80年を迎えます。

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