バイエルンの一強支配が終焉!レジェンドが胸中を告白「ドレッシングルームに引き上げても不貞腐れている」【独占インタビュー前編】

2012-13シーズンから11連覇していたバイエルンのブンデスリーガ一強支配が終焉した。開幕から無敗の快進撃を繰り広げるレバークーゼンに勝点16差をつけられ、5試合を残しながらも王座を奪われてしまった。バイエルンに足りないもの、不満を感じる部分、あるいは期待したいことは何か。クラブレジェンドのクラウス・アウゲンターラーが腹蔵なく語ってくれた。【ワールドサッカーダイジェスト3月21日号より転載】

――クラブスローガン『ミア・サン・ミア』についてお聞きします。英訳すると『We are who we are』で、回答者によって解釈がまちまちです。バイエルンを知り尽くす、あなたの言葉で説明していただけますか?

毎試合、すべての選手がお互いのためにプレーすることだ。われわれの現役時代には当たり前だった話さ。いま、いや、いつからか増えたんだ。交代を言い渡されると、スタッフやベンチ要員と握手も交わさずに、ドレッシングルームに引き上げても不貞腐れているような選手がね。はっきり言おう。そんな態度はミア・サン・ミアじゃない! 選手はつねにチームと共にある。そのことを忘れてはならないよ。

――では、他にはないバイエルンの真髄、伝統的な強みは何ですか?

良い質問だ。まさに損なわれているものだよ。例を出そう。バイエルンからレバークーゼンにレンタル中の(ヨシップ)スタニシッチが「レバークーゼンは皆が共に戦い、勝つ時も負ける時も一緒なんだ」と話していた(編集部・注/今シーズンのレバークーゼンは公式戦43試合無敗。スタニシッチが強調するのは心構え)。しかも、それは「バイエルンで得られなかった感触」だそうだ。サッカーとはチームスポーツで、個人競技ではないことを肝に銘じるべきだろう。

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――つまりミア・サン・ミアこそが強みで、それが欠けていると。

その通りだ。選手個々を見れば、バイエルンは(レバークーゼンに大差をつけられた)いまなおドイツ最高のクオリティを有している。しかし、チームとしてはどうか。皆で勝ち、皆で負け、皆で這い上がる。そういう意識が弱まっている。

――そのミア・サン・ミアの体現者を3人挙げるとすれば?

いずれも往年の名手になるが、(フランツ)ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、フランツ・ロート、ゼップ・マイヤー、ゲオルク・シュバルツェンベック、ベルント・デュルンベルガーといった面々だね。いずれも長いこと、バイエルンでプレーしていた。現役の選手を挙げにくいのは、クラブを頻繁に変える者が多いからだ。20代の半ばで5つ、6つのクラブを渡り歩いている者も珍しくないだろう。そういう選手が「ここが私のクラブ」と主張しても、なんの説得力もない。翌年にはまた違ったクラブに行ってしまうんだからね。

――アウゲンターラーさんはデビューから引退まで、FCB(バイエルン・ミュンヘン)一筋でした。

そう、私にはバイエルンしかなかった。古き良きサッカーの一部とでも言おうか。(ワン・クラブ・マンが多かった)あの時代が恋しいよ。まあ、バイエルンに限った話ではないがね。現在のサッカー界は変動があまりにも大きいんだ。

――ミア・サン・ミアの体現者が、いわゆる「ワン・クラブ・マン」となると、ベッケンバウアーとゲルト・ミュラーの両氏は該当しなくなりますね。

たしかに、ベッケンバウアーとミュラーはアメリカに渡った。3人を選ぶなら、デュルンベルガー、ゼップ・マイヤー、そして私ということになるな。

<後編に続く>

■Klaus AUGENTHALER(クラウス・アウゲンターラー)
18歳の時にバイエルンのユースに加入すると、77年にブンデスリーガデビュー。スイーパーとしてメキメキと頭角を現わし、7度のブンデスリーガ優勝や3度のDFBポカール制覇に貢献した。非凡なリーダーシップを備えた主将としても知られ、90年には西ドイツのW杯優勝にも寄与している。91年の引退後は、バイエルンのコーチを皮切りに、レバークーゼンやヴォルフスブルクなどの監督を歴任。近年はバイエルンの国際ユースプロジェクトに携わるなど、古巣のアンバサダー的な役割を担っている。愛称は「アウゲ」(目の意)。1957年5月26日生まれ。

取材・文●遠藤孝輔(ワールドサッカーダイジェスト編集部)
協力●FCバイエルン・ミュンヘン、円賀貴子

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