「最低でも金メダル」東京五輪で味わった悔しさから3年 ボクシング・岡澤セオン選手がパリで“本当の頂点”を目指す

2024年夏のパリ五輪出場が内定している、ボクシング・岡澤セオン選手(28)。4月19日、拠点としている鹿児島・鹿屋市で練習を公開し、東京大会に続く2度目の五輪への心境を語った。

「五輪期間に強くないと意味がない」

鹿屋市内のボクシングジムで汗を流す岡澤セオン選手。パリ五輪71kg級の代表に内定している。

「オリンピックまで100日を切ったので、本番に向けて切り替えていく」と語る岡澤選手。
鹿屋という地について、「ここがなきゃ今の僕はないと思うし、最近鹿屋で練習できる時間が短くなっている分、ここに帰ってくると原点なので、ここから始まったなと思い出して改めて頑張ろうと思う。ここでの練習は手を抜けない。特に気合いが入る場所」と語った。

父がガーナ人、母が日本人の岡澤選手は1995年、山形生まれ。大学の後輩に鹿児島出身の選手がいた縁で、2020年に鹿児島で予定されていた国体に向けた強化指導員として鹿児島にやってきた。そして、2021年の東京五輪に出場したが結果は2回戦敗退。そこで岡澤選手が実感したのが、「五輪期間に強くないと意味がない」ということだった。

同年11月、セルビアで行われた世界選手権・ウエルター級で優勝した岡澤選手。
しかし、「そこ(世界選手権)じゃ意味がない。あそこ(五輪期間)の2週間にどれだけ調整できるかを競っているところもある」と語った。

パリ五輪では「金メダルで恩返しを」

4月13日、鹿児島市のホテルで、関係者ら約100人が出席しての激励会が開かれた。会場には、岡澤選手に憧れてボクシングに励む高校生の姿もあった。

ここでも岡澤選手は挨拶の中で「東京五輪でいろんな人を裏切ってしまったとの思いが強く、自分の中では悔しい思い出のままです」と悔しさをにじませた。

鹿児島テレビの取材に対し、「僕はいろんな人に支えてもらって幸せ者だなと思ったし、改めて金メダルという形で何か返せたらなと思っている」と強調した岡澤選手。「金メダル取った先に初めて何か返すことができるようになると思う。まずは恩返しができるような人間になるために、金メダルを最低でも取りたい。金メダルを取りに行ってきます」と宣言した。

自身2度目のオリンピックへ。
岡澤選手は4月下旬から海外や国内で合宿を行い、前回の悔しさを世界最高の舞台で晴らすため、7月27日からのパリ五輪・ボクシング競技に備える予定だ。

(鹿児島テレビ)

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