地元記者でさえ「寝耳に水」だった引退発表。長谷部誠がドイツで愛される理由「ハセベが『プロの鏡』と呼ばれる所以だよ」【現地発】

フランクフルトはいつも週頭にメディア関係の予定を知らせてくれる。今週、広報から届いたメールには、通常監督と選手一人がメディア対応するところ、対応選手が2人と記載されていた。それも水曜日に1件と木曜日に1件と別々に設定された記者会見。そのうちの一人が長谷部誠だったことで、「ひょっとして」という気持ちがなかったわけではない。

ただ、それにしては何のリリースもなければ、噂の記事もない。ビルト紙は「チームが不調でテコ入れが必要なため、今週は例外的にリーダー2選手の記者会見が予定されている」という論調の記事を載せていた。

記者会見場に到着すると、地元記者やクラブ関係者からは普段通りの雰囲気に感じられた。長谷部誠ほどの選手が「引退表明」あるいは「現役続行」という記者会見だったら、先にリリースがあって、それから大々的にというのを勝手にイメージしていたので、ビルト紙の指摘通り、この日は通常の選手インタビューなのかなと思っていた。

だが、広報とともに会場に現れた長谷部は、「今季限りで現役引退することを決めました」と発表した。後方スクリーンには「ダンケ、マコト!(ありがとう、マコト!)」のドイツ語の文字が準備されていたものの、おそらく会見場にいた地元記者を含め、誰もこれが引退表明会見になるとは思っていなかったのではないだろうか。

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地元記者でさえ「寝耳に水」のような驚きのタイミングで、驚きの内容が発表されることはそうはない。通常、正式発表があるまでは公表しないでね、というところで、断片的な話は出てきたりするものだ。

SNSで「長谷部誠記者会見をYouTubeライブでやります」というのがクラブサイドからアップされても、「引退会見をやります」というものではなかった。今回に関しては憶測が流れることがないくらい、周到に準備されていたのだろう。

ネット記事では盛んに様々な情報が出ては消えていく。眉唾ものの話があたかも本当であるかのように装飾されてはSNSで瞬く間に拡散されていき、時に炎上をしながらも、気が付くと鎮静化していく。そうしたうごめく渦の中にいることが日常化されてしまったら、本当に正しいことがなんなのかもわからなくなってしまう。

自分の口から正しい情報をストレートに伝えたいし、それが自身にとっても、チーム、クラブ、ファンにとっても、そしてメディアにとっても大切なことだからという長谷部の思いをそこに感じるのだ。

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ドイツ語で30分間、率直な心境を言葉にし続けた。長谷部はメディアに感謝の言葉を述べたが、メディアサイドも長谷部には感謝の思いでいっぱいだ。僕自身がそうであるし、フランクフルトの番記者はみんな、ことあるごとに長谷部の対応の素晴らしさに賛辞を贈っている。

個人的に思い出すのは2021年、ホームでのブレーメン戦だ。89分にフランクフルトがアンドレ・シウバ(現レアル・ソシエダ)のゴールで逆転に成功し、あと数分で勝点3を手にすることができるはずだった。だがアディショナルタイム1分、ゴール前でのこぼれ球の競り合いに必死に駆け出した長谷部だったが、伸ばした足はボールではなく、ブレーメンMFのディビィ・クラーセン(現インテル)を倒してしまった。響き渡る笛の音。このPKを決められ、引き分けで試合は終わった。

自分のミスで勝点3を獲り逃したともなれば、フラストレーションがあふれ、感情をコントロールしきれず、メディアの前に立ちたくない選手もいるだろう。だが、長谷部は普段通りにミックスゾーンに現われ、地元メディアに向けて、「あれは僕のミスだった」と自分から切り出し、反省の弁を述べ、「でも、サッカーってそういうものだから」とこぼした。

地元記者は「わかっているよ」といわんばかりに温かい微笑みでそんな長谷部の言葉にうなづいていた。

記者だけではない。試合後、さすがに失望を隠しきれずにピッチにしばらく立ち尽くす長谷部を、当時監督だったアディ・ヒュッターは何度も何度も抱き寄せ、大きなボディランゲージを交えて声をかけ続けていた。

どれだけ重要な存在なのか。誰だってミスを犯すことはある。この日も、長谷部のプレーに、存在にチームは何度も救われていたのだ。そのことをフランクフルトの関係者はみんなわかっているから。これまでも、いまも、そしてきっと、これからも。

ブレーメン戦後のコメントを聞き終えた地元記者の一人が、僕に話しかけてきた言葉は今でも僕の心に残っている。

「あれこそがなぜハセベが『プロ選手の鏡』と呼ばれる所以だよ。勝った後に機嫌よく話すことは誰でもできる。だが負けた試合の後でも、大きなミスをした後でも、長谷部はいつも通りに対応してくれる。あれが勇気というものだ。あれこそがプロフェッショナルというものだ」

取材・文●中野吉之伴

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