死者120人境港市街地の3分の1が焼失「玉栄丸爆発事故」大惨事から79年 犠牲者を追悼(鳥取)

未曾有の大惨事から4月23日で79年となりました。終戦間際の昭和20年4月23日に鳥取県境港市で起きた「玉栄丸(たまえまる)」爆発事故の追悼式が現地で営まれ、平和への祈りが捧げられました。

爆発事故が起きた午前7時40分に合わせて営まれた追悼式。参列した遺族や自治会、それに市職員などが慰霊碑に手を合わせ、犠牲者の霊を慰めました。
この事故は、昭和20年・1945年4月23日に、陸軍の徴用船だった「玉栄丸」が火薬類の荷揚げ作業中に突然爆発。120人もの犠牲者を出した上、当時の境港市街地の3分の1が焼失するという大惨事になりました。

当時4才で父を亡くした男性
「逃げろと言われて、母と一緒に逃げたが、父が帰って来なかった。いつかは会えると思ってきょうまで来たが、会えなかった」

伯耆文化研究会・根平雄一郎会長
「太平洋戦争の悲惨な体験を次の世代に語り継ぐことが、日本の平和の礎になると思います」

爆発事故から79年、当時を知る人も少なくなる中、参列した人は記憶と記録の継承を改めて確認するとともに、平和への誓いを新たにしていました。

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