日本卓球女子のエース早田ひなと歩んだ20年、家族と支え育てた専属コーチに指導者表彰 悩んだ退社、そしてパリへの思い

水野会長(左)からトロフィーを受け取る石田コーチ

卓球日本女子のエースに成長したパリ五輪代表の早田ひな(日本生命)=北九州市出身=を家族で育て、歩んだ日々をしみじみと振り返った。専属の石田大輔コーチ(同)=同=が23日、東京都内で開かれた選手の強化や育成などに貢献した指導者を表彰する「2023年度ミズノ スポーツメントール賞」(ミズノスポーツ振興財団主催)の表彰式に出席した。

早田は4歳から北九州市の「石田卓球N+」で卓球を始めた。最初は石田コーチの母でもある千栄子さんが基礎と楽しさを伝え、その後は父の真行代表らが指導してめきめきと頭角を現した。石田コーチは早田が中学3年の時から家族から引き継ぐ形で専属として、徹底サポートする「チームひな」のメンバーとともに世界のトップ選手へと育て上げた。

「ひなの努力は本当にすごい」

石田コーチは「受賞のお話をいただいた時は本当に率直にうれしく思いました。ひながラケットを握ったのが4歳で、そこから父と母と兄が10年間指導をした。それで私が引き継いで約10年になります」と20年にわたる日々を回想する。

その上で「そう考えた時に本当は父と母が受賞するべきところを僕が代表で(表彰式に)出たような形。この20年、ひなの努力を私たち石田家族で見続けてきたが、全員がひなの努力は本当にすごいと言う。その、ひなの努力の積み重ねが受賞につながったということと、私の家族が大切に育ててきてくれたということが受賞の一番かなと。そして日本卓球協会の皆さんを始め、日本生命卓球部が世界でチャレンジする場所を与えてくださったことに本当に感謝しています」と話した。

【次ページに続く】「あの時の覚悟が…」

自身にとっても感慨深い名誉でもある。石田コーチは約9年前までミズノ社の社員として所属していた。過去の同賞表彰式にもアテンドする側として参加したこともあるといい、早田の専属コーチに専念するために退社した経緯がある。

それだけに「あの時の覚悟が良かったなとは思っています。本当に好きな会社だったからこそ、辞める時には相当ね、人生悔いのないように辞めなきゃなっていう覚悟があった。辞めなきゃよかったって思いたくはないし、そこの覚悟は誰よりも強かった」と振り返る。人生を懸けて〝まな弟子〟と歩んできたかけがえのない大切な時間を、盛夏のパリで結実させる決意だ。

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